小笠原諸島旅行記⑦〜地獄の帰京編 前編〜

いよいよ帰る時がやって来た。

 

民宿がじゅまるで父島での最後のひとときを噛み締めながら過ごしていると、突如としてフジコさんの怒号が民宿中に響き渡る。

「そろそろ荷物纏めて出発の準備お願いします〜!」

時間は既に13時過ぎ。

普通のホテルではチェックアウトの時間をとうに過ぎてしまっている。

むしろこの時間まで居させてくれたことに感謝である。

おもむろに荷物をまとめて民宿を出る。

目の前が港の民宿だったので、荷物を抱えながらの移動でも楽だ。

港にはおが丸と共勝丸の姿が。

父島に来た当初は共勝丸はいなかったが二日くらい前に入港して、荷役作業を行っているようだった。

この日も船に乗っているクレーンを使って作業していたが、この時は爆弾低気圧の影響で二見港内でも少なからず波の影響が出ていた。

船はグワングワンと横揺れを続けているのにもかかわらず、平然と荷役作業を続ける様には関心する他なかった。

船の待合所には続々と乗客そして島民達が集まってきた。

飛行機のようにチェックインだとか手荷物検査はなく、特にやることがないのでそのあたりをブラブラする。

この時の便はおが丸ドック入り前の最後の便だったので、本土に「里帰り」する人たちが大勢乗るようだ。行きの船よりも人が多い気がする。

ちなみにこの船に乗らない場合、次の船は一か月近く先となり、当然その間は島から一歩も出られなくなる

そんなこんなで出航時間が近づいてきた。

一人旅で知り合いもいなく、宿の送迎もない自分にとっては当然見送りに来てくれる人もなく…と思っていたら一人の青年の姿を発見した。

それは島に滞在中、何度かお世話になったバーの店員の青年だった。

彼は父島に来てからまだ数か月で、その前は大学を卒業した後山小屋でアルバイトをしていたらしい。近頃の若者の中では珍しいタイプだ。

いくつか言葉を交わし、ガッチリと握手をする。

「また父島に来てくれますか?」と彼は言う。

「まあ、行けたら行くよ」と答える。

僕は社交辞令が嫌いなので、この言葉に裏はない。

何年か先に、再び父島を訪れた時、彼はまだそこにいるだろうか。

もちろんそれは分からない。

地理的には父島や母島はどん詰まりの位置にある。

もうそれ以上、一般人はその先の島へは進めないからだ。

そんな父島や母島への移住者はそのまま定住するのかというと、実はそうでもないらしい。という雰囲気を滞在中に感じることが出来た。

本土から遠く離れた島であるにも関わらず、若者が多く、多くの人が思い描く離島のイメージはあまり無いかもしれない。また、思いのほか物価や家賃が高いという事もあり違う移住先を求め旅立っていく人も少なくないらしい。

地理的には終着点にふさわしい父島ではあるが、他方では通過点でもあるのだ。

 

そんなこんなで乗船。

往路と同じ二等寝台である。

ドック入り前とあって本土に帰る島民の方々も大勢乗りこんでいるので、往路よりも船内密度が高めな感じだ。

「本土に帰る島民」と書くと変な感じだけど、他の記事でも書いたように、小笠原は本

土からの移住者が多い。なので、一か月近く船が無いドック入りの期間は一旦本土へと帰る島民の方が多いのだ。

船内を見渡してみると、滞在中に見た顔がちらほら。

レンタサイクル屋の娘はいかにも地元の高校生という感じだったが、船内で見かけたので、実は本土出身だったのかもしれない。

出航の時間。

一応デッキに出てお見送りの様子を見てみることにした。

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島民の方々が総出で(そう思いたい)お見送りをしてくれている。

名物のお見送りの船は出ないのでいささか寂しいが、それでもお見送りとしては上等なものだった。

和太鼓のリズムに乗せられて、ゆっくりと船が動き出す。

じゅうぶんに離岸し、前進を開始したところで長い汽笛を一発。

だんだんと岸との距離が離れていく。

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なんだかあっけなかったなぁとぼんやり思っていた次の瞬間。

とんでもない事に気が付いてしまった。

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お分かり頂けただろうか? 

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防波堤を工事しているパワーショベルが、アームを振り回してサヨナラの気持ちを伝えていたのである。

あっけに取られていたが次の瞬間!

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こちらに近づいてくる小型船が一艘。

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馬鹿な!?お見送りの船は出ないはずでは?

そんな気持ちをよそに、ぐんぐん近づいてくる。

この船の正体は…?

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会場保安庁の船でした。

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わざわざありがとう!

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自衛隊員もお見送りしてくれました。

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よくよく見ると、部下の仕事ぶりを見つめる上官の姿が。

 

恒例の船でのお見送りはなかったものの、父島の方々のお見送りの精神は存分に感じることが出来た。

しかし、このようにのんびりと甲板に立っていられたのはここまでであった。

船は港を出るやいなや、激しい波とうねりに晒され、甲板は即時閉鎖となってしまったのである。うねりは非常に激しく、目測でも5~6mの高低差はあったと思う。

やれやれ。これは往きのような平和な船旅にはなりそうもないな、と頭の中でつぶやく。

「家に帰るまでが遠足」という言葉があるが、これは小笠原旅行の為にある言葉だとしみじみ思う。

なんせ、竹芝桟橋に着くまで24時間以上掛かるのだから。

 

~後編へ続く~

 

 

 

小笠原諸島旅行記⑥〜五日目〜


 五日目の今日は東京に向けて出港する日。

とは言っても出発は15:30分なので午前中はまだ時間がある。

そのため、前もって予約しておいたシュノーケルツアー的なツアーに参加することにした。

ツアーと言っても砂浜で行う簡易的なものだ。

小笠原と言えばダイビングが有名だけど、ダイビングのツアーは免許だったり、ある程度の経験が求められるようなので、手っ取り早く出来るシュノーケルを選択した訳である。

前もってツアー業者の事務所で申し込みを済ませておいたが、今回はおが丸ドック入り直前ということで、一年で最も暇な時期ということで、参加者は僕一人ということを予め聞いていた。

当日、宿まで車でインストラクターの人が来てくれて、事務所とは別の場所の更衣室やらシャワーがある場所まで行きそこでウェットスーツに着替える。

ところでこのウェットスーツっていうのを初めて来ては見たものの身動きが非常に取りずらい。これで海に入ったら一体どうなってしまうんだろうという不安がよぎる。

インストラクターは浅黒く日焼けした若いお兄さん。

僕一人の為に仕事してもらって、とてもありがたく、かつ申し訳なく思う。

着替えたらすぐに車で出発。目指すは島の裏側の海岸。

車ではお兄さんと少し雑談。

小笠原では観光業で移住してくる人は少数派。大半は公務員とか普通の仕事(?)で来ている。あと家賃とか物価が東京都心並みに高い、等。

家賃や物価が高いのはもちろん物資を船で運んできてるからで、よくよく考えると小笠原にある人工物はほぼほぼ船で運んできたんだよなあと考えると中々感慨深い。

もちろん小笠原で調達出来るものもあると思うけど、小笠原で鉄やコンクリートアスファルトを生産出来るとは考えずらい。

そんなこんなで目的の海岸に到着。

今日はあいにくの爆弾低気圧で海が大しけ。

(帰りの船でこの爆弾低気圧に苦しめられることになる)

湾の外を見ると波が激しくうねっているいる。

海岸は一応湾内にあるが、それでも穏やかと言える状態ではない。

湾の一番外側の部分にブイで境界が作られており、それを指さしてお兄さんが一言。

「あのブイから先は危ないので出ないで下さいね~」

いや、そんなこと言われるまでもないですわ、と心の中でつぶやきつつ準備を始めた。

結論から言うと、初めてのシュノーケルは残念な結果となった。

ウェットスーツは物凄く動きづらく、水泳が出来る僕でも溺れるんじゃないかと思ったくらいだった。

おまけに海中は波の影響でひどく濁っていて何も見えやしない。

おにいさんとマンツーマンで10分くらい奮闘したのち、一旦浜へ上がり休憩することに。

控えめに言ってもシュノーケル日和とは言えない状況を見るに見かねたお兄さんからここで提案があった。

「この海岸は岩場を歩けるコースがあるのでそこを散歩しませんか?」

もはやシュノーケル関係ないが、いい提案だ。

僕は快諾した。

男二人、海岸線をぶらぶらする。

コースは距離は短いものの、高低差があり中々面白かった。

機転を利かせてくれたお兄さんには感謝しかない。

こうして僕のマリンスポーツ初体験は実にほろ苦いものとなったのであった。

帰りの車でお兄さんから悲しい話を聞く。

今日は海が荒れているので、出港時のお見送りが出来ないかもしれないとのこと。

お見送りとはおが丸出港時に小舟で並走し、島民の人が見送ってくれるイベントのこと。

テレビ等で見たことがある人もいるかと思う。

この業者さんも船を持っているが、今日はそれが難しいとのこと。

まあそれ目当てで来たわけではないし、別に大丈夫といえば大丈夫なのだけど、いつもあるものが無いとちょっと寂しい気もしてくる。

「まだ決まった訳ではないですけどね」とお兄さんは言っていたが、出港直前お兄さんから「やはり中止になりました。ごめんなさい。」というメールが来たのだった。

 

地獄の帰京編に続く。

 

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男二人でふらぶらした宮之浜海岸


 

 

 

小笠原諸島旅行記⑤〜四日目〜

朝からシトシトと雨が降る。

深刻な水不足に喘ぐ父島において、少しの雨でも恵となる。

取りあえずこの日は何も予定はたてなかった。

昼まで寝て、午後からレンタサイクルでぶらぶらしようかといったところだ。

思いつきで来た父島なので、やることも特に決めていない。

何たって昨日のツアーも一昨日申し込んだくらいなのだ。

 

雨は午前中でひとしきり降り終えた。

民宿の庭ではフジコさんがご近所さんとお喋りをする声が聞こえる。

ようやくベッドから起き上がり、行動を開始する。

朝食というか昼食を近所のお店で済ませ、レンタサイクルを借りる。

受付は一昨日と同じ、地元の女子高生風の女の子だ。

レンタサイクルにまたがり島へ繰り出す。

どこへ行ったのかは記憶が曖昧だけど、ウミガメを見に行った事は覚えている。

島には二つ海の生物を見れるミニ水族館的な施設があって、そのうちの一つでウミガメを保護したり、ウミガメの赤ちゃんを育てて海に放したりしている。

施設の名前は忘れたので、適当に調べてください。

 

自分自身、カメが好きかと問われるとそうでもないと答えると思う。まあ、なんとなく泥臭いイメージがあるからかもしれない。

しかし、ウミガメだけは別だ。別腹ならぬ別亀だ。

理由はよく分からないけど、強いて言えばナチュラルにムスッとした表情をしているのが逆に良いのかもしれない。

という訳で施設内に入ってみる。

入場料は払ったかもしれないし、払わなかったかもしれない。めんどくさいので、適当に調べてください。

 

施設内に入ると、まず、小笠原とウミガメにまつわる資料コーナーが。

そこを抜けると大人?のウミガメがいけすに1頭ずつ入れられている。

人影が近づくと、ウミガメも近寄ってきてくる。

ただし、頭に手を近づけようとすると噛みつかれることもあるので、気を付けよう。

 

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これらのウミガメは何らなの理由で保護が必要で、この施設で育てられているという。

その奥のいけすにはウミガメの赤ちゃんが。

その姿はフニフニしていて、なんともかわいい。

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これらのウミガメたちを眺めてるうちにある疑問が浮かんでくる。

 

ここの職員の人たちはカメ肉を食べるのだろうか?

 

もちろん直接聞いてみた訳ではないし(聞いてみれば良かった)、本当のところはよく分からないけれども、やっぱりここの職員でもカメ肉は食べるんじゃないだろうか。そう思わせる凄さが小笠原にはある。

小笠原の人にとってはカメを保護することも自然なことであり、カメを食べることもそれと同じくらい自然なことなのだ。

ってこれはあくまで想像だけど、父島を訪れてみればなんとなくそう感じることは出来る。

 

宿の方に戻る。

民宿の目の前が船着場になっているが、ちょうど第二十八共勝丸が停泊していた。

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この船は貨物船で、日用物資から危険物や廃棄物など、おが丸が運べない荷物を主に運んでいる。

おが丸が光なら、影で活躍する存在。ゴッサムシティにおけるバットマンみたいな感じだ。

※2019年1月から新造船として番号のつかない共勝丸が就役している。

ちなみに、過去に27隻の共勝丸が存在していたわけではなく、ナンバリングは適当につけているとかなんとか。

 

そんなこんなで四日目が終わろうとしていた。

明日は明日の午後には竹芝に帰る船が出る。

 

続く

 

小笠原諸島旅行記④〜三日目 後編〜

青いファミリアに邪魔されていて更新が滞っておりました。

本当にすまないと思っている。

 

山の中へ入っていく。

山道はなんてことない普通の山道だが、本土でよくある細い丸太で作った階段なんてものは無い。

人工的なものは極力排除されているのだ。

勾配はあまりきつくないので、滑り易いとかそういう事もない。

心なしか道幅も若干広めである。

それもそのはず、聞くところによると、この山道は太平洋戦争中は軍の車が通れる道だったらしい。

見た目はちょっと幅の広い山道なので、かつて車が通っていたとはとても信じられない。

逆に言うと70年の歳月が車道から山道へ戻してしまった事になる。

自然の回復力は実に侮れないものである。

太平洋戦争中の父島では上陸作戦などの大きな戦闘は起こらなかったと書いた気がするけど、正確に言うとそれは誤りで、地対空でのドンパチはそれなりにあったらしい。

そのドンパチに関わっていたのが元アメリカ大統領のパパブッシュ。

大統領任期後、亡くなった戦友の為に父島を訪れたことがある。

そのため、山道には戦時中の物がところどころに残されている。

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道端に捨てられたエンジン。日産製。

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こちらはトヨタ製。



人工的なものが極力排除されたこの山の中で見ることのできる数少ない人口物である。

山頂に着き(といっても何もない)反対側に少し下ったところにあるのが、本日の目的地であるハートロックである。

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土が赤いのは鉄分によるものらしい。



このハートロックは海からみるとハートの形に見えるのでハートロックと呼ばれる。

ハートロックを海から眺めるツアーもあり、父島における人気のツアーとなっている。

ハートロックから見る景色をうまく表現できる言葉は無いかもしれない。

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僕も人並みに綺麗な景色を見てきたとは思うけど、以上の景色は見たことが無かった。

空の青と海の青は、地球が青の惑星であることを実感させてくれる。

丸みを帯びた水平線は、地球が惑星であることを改めて実感させてくれる。

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遠くに母島からの船が見える(ははじま丸がドック入りしていたため、これは代走船)


船で24時間以上、健脚で2時間以上かかる場所だけど、ぜひ実際に訪れてこの景色をご覧になって頂きたい。

また、察しの良い方は当然気づいているだろうけど、このハートロックは断崖絶壁にも関わらず柵らしきものは当然ない。

端の部分は脆くなっているので、気を付けよう!

 

この場所で昼食をとり、下山を開始する。

基本的には来た道を引き返すだけだけど、途中がじゅまるの木が生えている場所に立ち寄る。

今回の旅で宿泊した民宿の名前にもなっているがじゅまる。

沖縄や奄美諸島に生えているイメージだけど、父島にも生えている。

この場所のがじゅまるの木はとても巨大で、ちょっと不気味な形をしている。

 

そんなこんなで15時前にはスタート地点の駐車場に帰ってくることが出来た。

父島では王道とも言えるコースなので、とても満足感があります。

 

今回利用したツアーガイドのオガツアーさんはとても親切なガイドさんでした。

父島のツアーガイドさんなので、現地の情報に詳しいことは当たり前ですが、旅の経験が豊富なようで、旅好きな方は話が弾むと思います。

また、単調な山道でも飽きさせないトークが売りのようで、一人または少人数での参加でも楽しめると思います。

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オガツアーのツアーガイド、小笠原さん

オガツアー

ブログは高頻度で更新されていて、今でもたまに見ています。

 

四日目に続く

 

 

 

 

 

 

小笠原諸島旅行記④〜三日目 中編〜

なんやかんやで登山開始。
登山口(のような所)までは駐車場から徒歩5分くらい。
目印は足ふきマットと石を入れるボックスのみ。
まず、外来種の種子の侵入を防ぐため、足ふきマットで靴の裏を綺麗にする。
そして自分の所属に従い、石を入れる。どんな人が入山しているかを把握する為らしい。
観光客・地元民・研究者などにカテゴライズされている。

それが終わるといよいよ山に入る。
といっても雰囲気は地元の里山と似ている。
細い道を歩き、何度かゴツゴツした岩を越える。
父島の山は沖縄みたいに「ザ・熱帯」という感じではなく、どちらかと言うと本州の山に近い気がする。
沖縄と違いハブもいない。
時折、小笠原の固有種が現れる。
幹に八の字があるから「マルハチ」、葉から芽が出るから「ハカラメ」等絶対に本州で見られない植物もある。
山を数十分登っていくと、岩肌がむき出しの山の斜面が見えてくる。
そういえば、島に来た時からこのむき出しの斜面が気になっていた。
当初は小笠原諸島特有の土の質?なのかと思っていた。
そして、よく目を凝らして見てみると数頭のヤギの姿が。


よくよく見るとヤギの姿が

おがちゃんさんによると、実はこの特有の山肌は小笠原特有とかそんなものではなく
単にヤギに草木を食べられまくった結果だったのだ。
ヤギは戦前、食料として島に連れてこられたが、ヤギはあまりおいしくなく(というか臭い)ので
結果として放置され野生化してしまったらしいのである。
その為、定期的に駆除が行われているそうだ。
今を生きるヤギ達にとっては何とも迷惑な話ではあるが、草木を食べられる事による被害も大きいので
仕方のない事なのかもしれない。
この様な駆除はヤギだけに限らない。
小笠原原産でない動植物は徹底的に排除される傾向にある。
特にやり玉に挙げられるのが野ネズミ・トカゲ・野良ネコである。
野ネズミは殺鼠剤を空からばらまく、トカゲは罠を用いて、野良ネコは捕獲して本土に強制送還するなどしている。
端から見ると自称環境団体から抗議が押し寄せそうな事をしているが、手を抜かない姿勢に小笠原諸島の本気度が伺える。
まさに保護と駆除は表裏一体なのだ!と言わんばかりである。
ちなみにヤギの駆除は猟銃を用いるので、観光客の少ないおが丸が出港している期間で行われるらしい。

このように小笠原の観光業はオンとオフが区別出来るのが特徴でもあるかと思う。

また長くなりそうなので続きます。

小笠原諸島旅行記④〜三日目 前編〜

3日目の朝が来た。
と言っても島ではまだ2日目なので、なんだか24時間の時差がある感じでもある。
今日は父島の山の中にある「ハートロック」という眺めの良い場所まで行く予定になっている。
8時にツアーガイドの人が宿の前まで迎えに来てくれるそうなので、それまでに準備を済ませる事にした。
7時前に起床し、すぐ近くにあるスーパーマーケットで朝食と昼食と飲み物を買いに行く。
父島のスーパーマーケットはやたら早い時間から営業しているので、こういう時は非常にありがたい。
事前の情報によると、山の中は何も無いらしいので、とりあえず稲荷寿司とパンを買っていく。
水分はミネラルウォーター2Lとポカリスウェット500ml。片道三時間くらい掛かるらしいので、この位は必要だと思う。
それらを昨日土産物屋で買った小さいリュックサックに詰める。
東京から出発する際、リュックサックを持っていこうかと迷って結局持ってこなかったので
小さいリュックサックでも、あれば重宝すると思います。

そして8時きっかりにオガツアーのオガちゃんさんが白いワンボックスカーで迎えに来てくれた。
ちなみに父島には、明確な住所なるものは無く、建物名で皆どこか分かるらしい。
後部座席に乗せてもらい、登山口的な所へと向かう。
なぜ、登山口な所なのかというと
一般的な登山道のように神社とかズラッと並んだ土産物屋とかケーブルカーの乗り場とか
登山道を象徴する物は一切無いからである。
その登山口的な場所の近くに宿があり、そこに宿泊されているご夫婦も参加されるとの事。
オガちゃんさんは見た感じは感じの良い若者という感じで、30代にも見えなくないが
後部座席の目の前に張られたプロフィールを見ると結構お年を召されているらしい。
なお、「オガツアー」という屋号を最初見たとき「小笠原だからオガツアーって、なんて安直なネーミングなんだ」
と正直怒りが込み上げてきたが、よくよく話を聞くとなんと本名が小笠原さんとの事。
若いころ放浪の末に小笠原に辿り着き、そのまま定住したとの事だったが
小笠原自体を気に入ったのか、単に苗字と同じだったからなのかは不明。
そんなこんなで、登山道近くの駐車場に到着。
港との位置関係はというと、ちょうど島の反対側にあたる。
と言っても、車で10分くらいの距離。
父島自体があまり大きな島ではないが、そもそも島の南側大半が山であるため、車で移動できる範囲は少ない。
ご夫婦と合流し、今日の日程の説明・準備運動などを行い、いよいよ山へと向かう。
この日は平日だったので、普段は満員電車に揺られている時間だと考えると不思議な気分になる。
東京の朝の満員電車の対極にある場所が日本にあるとすれば、それは朝の父島(もしくは母島)な気がした。

続く

小笠原諸島旅行記③〜二日目後編〜

後編

予定は決まったので後は移動手段。
通常の旅行であればレンタカーを借りるところだが、小さい島なので原付を借りればいいやと
行く前から決めていたので、メイン通りのレンタカー屋さんっぽいお店へと向かう。
ちなみに島内の公共交通はコミュニティーバス的なバスとタクシーがある。
ただし、タクシーは台数が限られているらしく、また時間も限られているとのこと。
もはやタクシーと呼べるのかさえ不明だけど、とにかく島内で自由に動き回りたければ何かしら借りた方が良いです。
もっともツアー等に参加する場合は業者の車で迎えに来てもらえるので、車は不要。
店頭に居た地元の高校を卒業したばかりっぽい感じの女の子に、原付を借りたい旨を伝えたところ
「普段原付は乗られますか?」と尋ねられた。
実を言うと、原付には普段乗るどころかただの一度も乗った事が無い。
まあ、車の運転は慣れているし、おばさんでも乗っているから大丈夫だろと考えていたので
こんな質問は想定の範囲内!と思い素直に「普段は乗りません!」と答えたところ。
「普段乗られない方には電動アシスト自転車をお勧めしています」とキッパリ言われてしまった。
うーんと数秒考えていると「事故も多いので」と更なる追い打ちを食らう。
まあここで事故を起こしても仕方ないので、あっさり懐柔され、電動アシスト自転車を借りる事になった。
レンタル代は三時間で数百円くらい(よく憶えていない)

借りた自転車でとりあえず島の高台にある「ウェザーステーション」向かう。
高台と言うだけあって、途中の道は物凄い激坂。電動アシスト自転車で良かったとしみじみ。
頂上に着くと十数人の先客が。午後からのツアーがもう始まっているらしく、ガイドの方が何やら解説している。
どうやら自転車でここまでやってきたのは自分一人だけらしい…。
肝心の眺めはというと、とても素晴らしい。
太平洋の大海原が見渡せ、絶海の孤島(諸島だけど)に来てしまったことを否が応でも実感させられる。
ウェザーステーションはなにゆえ「ウェザーステーション」と呼ぶのかよく分からないが
想像するに、海況がよく見渡せるから「ウェザーステーション」なのではないだろうか。
父島では山が多く港も入り江の奥まった場所にあるので、外洋が見渡せる場所は多くは無いので。

ウェザーステーションを離れ、一旦山の中腹まで降り、そこから港の裏側にある宮之浜まで降りる。
宮之浜は隠れ家的でとてもきれいな砂浜だった。人影もまばら。

また坂を登り、山の中腹まで戻る。そして反対側の港まで一気に降りる。
自転車のバッテリーを気にしつつ、島のメインストリートを抜け、島の南方向へ進む。
父島は一応東京都なので、ゆとりある財政状況のお陰なのかは分からないが、割と立派な道が整備されている。
意外と交通量は多いし、大型トラックも結構通るので、自転車で走るのは中々神経を使う。
いくつかのトンネルを抜けてたどり着いたのが、境浦海岸。
ここには第二次大戦中に座礁した貨物船が朽ち果てた姿で残っている。
米軍の魚雷をくらった末に、ここまで流れ着いてきたとの事。
海岸、というか砂浜には人影もまばらで、何とも哀愁漂う雰囲気だ。

自転車のバッテリーも減ってきたので、そろそろ自転車を返却しに港へと戻る事にする。
今回は諦めたが、頑張れば電動アシスト自転車で島一週することも可能だと思う。

薄々気が付いてきたが、父島は全体に人影がまばらだ。
狭い島なのにあまり人が目につかない。
300人以上船に乗ってきたはずなのに、他の人達は一体どこにいるのだろうか。
唯一の例外がスーパーマーケットだ。
自転車を返却し、民宿に戻る。
夕食の買い出しにスーパーマーケットに行くことをフジコさんに告げると
「袋はもっているの?袋は有料だからこれ持っていきなさい」とビニール袋を渡される。
そして、いざスーパーマーケットに行ってみると、物凄い人・人・人。
それもそのはず。船の入港日は食料品の入荷日でもあるので、買い物客がすごい事になるらしい。
また、今回はおが丸のドッグ入り前の最後の入港なので、この後は3週間荷物が来ない。
その為、いつもにも増して凄い人出となっているようだった。
店内はレジに並ぶ人の行列で溢れている。
通りの向かいのスーパーマーケットも同様。
これじゃ買えるまで何時間掛かるか分からないなと思い、素直に外食に切り替えることにした。

※飲食店の事はまとめて書く予定です。

三日目に続く。