小笠原諸島旅行記⑥〜五日目〜


 五日目の今日は東京に向けて出港する日。

とは言っても出発は15:30分なので午前中はまだ時間がある。

そのため、前もって予約しておいたシュノーケルツアー的なツアーに参加することにした。

ツアーと言っても砂浜で行う簡易的なものだ。

小笠原と言えばダイビングが有名だけど、ダイビングのツアーは免許だったり、ある程度の経験が求められるようなので、手っ取り早く出来るシュノーケルを選択した訳である。

前もってツアー業者の事務所で申し込みを済ませておいたが、今回はおが丸ドック入り直前ということで、一年で最も暇な時期ということで、参加者は僕一人ということを予め聞いていた。

当日、宿まで車でインストラクターの人が来てくれて、事務所とは別の場所の更衣室やらシャワーがある場所まで行きそこでウェットスーツに着替える。

ところでこのウェットスーツっていうのを初めて来ては見たものの身動きが非常に取りずらい。これで海に入ったら一体どうなってしまうんだろうという不安がよぎる。

インストラクターは浅黒く日焼けした若いお兄さん。

僕一人の為に仕事してもらって、とてもありがたく、かつ申し訳なく思う。

着替えたらすぐに車で出発。目指すは島の裏側の海岸。

車ではお兄さんと少し雑談。

小笠原では観光業で移住してくる人は少数派。大半は公務員とか普通の仕事(?)で来ている。あと家賃とか物価が東京都心並みに高い、等。

家賃や物価が高いのはもちろん物資を船で運んできてるからで、よくよく考えると小笠原にある人工物はほぼほぼ船で運んできたんだよなあと考えると中々感慨深い。

もちろん小笠原で調達出来るものもあると思うけど、小笠原で鉄やコンクリートアスファルトを生産出来るとは考えずらい。

そんなこんなで目的の海岸に到着。

今日はあいにくの爆弾低気圧で海が大しけ。

(帰りの船でこの爆弾低気圧に苦しめられることになる)

湾の外を見ると波が激しくうねっているいる。

海岸は一応湾内にあるが、それでも穏やかと言える状態ではない。

湾の一番外側の部分にブイで境界が作られており、それを指さしてお兄さんが一言。

「あのブイから先は危ないので出ないで下さいね~」

いや、そんなこと言われるまでもないですわ、と心の中でつぶやきつつ準備を始めた。

結論から言うと、初めてのシュノーケルは残念な結果となった。

ウェットスーツは物凄く動きづらく、水泳が出来る僕でも溺れるんじゃないかと思ったくらいだった。

おまけに海中は波の影響でひどく濁っていて何も見えやしない。

おにいさんとマンツーマンで10分くらい奮闘したのち、一旦浜へ上がり休憩することに。

控えめに言ってもシュノーケル日和とは言えない状況を見るに見かねたお兄さんからここで提案があった。

「この海岸は岩場を歩けるコースがあるのでそこを散歩しませんか?」

もはやシュノーケル関係ないが、いい提案だ。

僕は快諾した。

男二人、海岸線をぶらぶらする。

コースは距離は短いものの、高低差があり中々面白かった。

機転を利かせてくれたお兄さんには感謝しかない。

こうして僕のマリンスポーツ初体験は実にほろ苦いものとなったのであった。

帰りの車でお兄さんから悲しい話を聞く。

今日は海が荒れているので、出港時のお見送りが出来ないかもしれないとのこと。

お見送りとはおが丸出港時に小舟で並走し、島民の人が見送ってくれるイベントのこと。

テレビ等で見たことがある人もいるかと思う。

この業者さんも船を持っているが、今日はそれが難しいとのこと。

まあそれ目当てで来たわけではないし、別に大丈夫といえば大丈夫なのだけど、いつもあるものが無いとちょっと寂しい気もしてくる。

「まだ決まった訳ではないですけどね」とお兄さんは言っていたが、出港直前お兄さんから「やはり中止になりました。ごめんなさい。」というメールが来たのだった。

 

地獄の帰京編に続く。

 

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男二人でふらぶらした宮之浜海岸