特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

一寸先

2020-06-24 08:44:23 | 浴室腐乱
やっときた“アベノマスク”、もういらない“アベノマスク”。
周囲にも、それらしきモノを使ってる人を見たこともない。
TVで観る政治家の一部が仕方なさそうに着けている布マスクがそれなのだろうが、そのサイズは明らかに小さい。
本来なら、鼻の上から顎の下までスッポリ覆われなければならないはずなのに、あの小ささは、昔よく見た(?)エロ本の水着級で、貧相を通り越して卑猥に見える。
「何かの冗談か?」と思ってしまうくらい。
安直発想の企画立案、欠陥品だらけの開発製造、いつまで経っても届かない配達頒布、すべてにおいて大失敗ではないか!
おまけに、多額の税金が突っ込まれているわけで・・・
“善意でやったことなら赦される”と思ったら大間違い、世の中には“過失責任”というものがある。
この大コケの責任は、誰がどうとるのか。
ただ、世間の雑音は当事者の耳には届かないだろう。
人間というものは、権力をつかむと“背徳性難聴”を患いやすいようで、都合の悪いことは聞こえないらしい。
また、“部分性視覚障害”も併発しやすいのか、都合の悪いものは見えないらしい。
結局、先を読めなかった御上の責任は、「アベノマスク」なんていう不名誉な名前によって静かに相殺され、“なかったこと”にされるのだろう。

定額給付金の申請書、私のところには6月1日に届いた。
で、早速、返送。
入金がいつになるかわからないけど、助かることは助かる。
しかし、得した気分にはなれない。
先々、徴税というかたちで、この何倍もの金額が課されるのだから。
それはさておき、まずは温泉旅行にでも行きたいところだけど、寂しいかな、気持ちにも懐にもそんな余裕はない。
今のところ減収には至っていないけど、“一寸先は闇”。
私は、もともと、余裕のある生活をしているわけではないけど、この先に待ち受けているかもしれない経済苦を考えると、生活資金は少しでも多く手元に置いておきたい。
給付金は一時的に貯蓄に回った後、結局のところ、生活費としていつの間にか消えていくのだろうと思う。
ま、筋金入りの守銭奴の私は、節約生活は苦にならないので、これからも“ケチ道”に邁進するのみだ。


重症の“汚腐呂”が発生。
現場は、公営団地の一室。
依頼者は初老の女性で、亡くなったのは女性の弟。
無職の一人暮らしで近所づき合いもなかったため、長期放置。
で、遺体は腐敗溶解し、浴室は凄まじい光景に変容。
遺体も浴室も、とても一般人が見られる状態ではなく、女性は、警察からも「見ないほうがいい」と忠告を受けていた。

このレベルで汚損してしまった浴槽設備は、清掃消毒をしたところで再び使えるようにはならない。
浴槽内側には遺体液の色素が沈着し変色したままになる。
給湯設備内にも汚物や異物が侵入し、それをきれいに除去することは困難。
仮に、きれいに掃除できたとしても、次に入居する人が気にしないとは思えない。
並の神経では、そんな経緯のある風呂は入りたくないだろう。
結局、浴室設備は一切合切、新しいものに入れ替える必要がある。
ただ、解体処分される浴室設備とはいえ、そのままの状態では何の工事もできない。
できるかぎりの清掃・消毒をしないと、工事業者も仕事ができない。
で、特殊清掃の出番となるのである。

“浴室死亡”って、居室死に比べれば少ないけど、そんなに珍しいことではない。
中でも、浴槽に浸かったまま亡くなるケースは多い。
そして、それがそのまま放置されるとどうなるか・・・
経過時間や湯温にもよるけど、相当なことになる・・・
“24時間風呂”等、湯温が自動的に維持される仕組みだったりすると、それはもう・・・
その昔、文章を書くことに慣れていなかった頃は、“煮込系の肉料理”で表現したこともあったけど、当然、実際は そんな生易しいものではない。
同時に、放たれる悪臭がどれほど深刻なものかも 言うまでもない。
浴槽死亡の場合、部屋死亡の場合とは異なった独特の生臭さがある。
私が嗅ぐケースとしては部屋死亡の方が圧倒的に多いから、“慣れ”の問題もあるのだろうが、これが、結構 腹にくる。
結局のところ、不気味さや悪臭はハンパなレベルではなく、常人を寄せつけない威圧感を放つのである。

この故人も、浴槽に浸かった状態で死亡。
ただ、その死因はちょっと違っていた。
それは、“溺死”。
通常は、脳梗塞は心筋梗塞等、脳血管や心臓の疾患での突然死。
しかし、故人はそうではなく、上半身は湯をはった浴槽の中に突っ込み、下半身は洗い場に残し、前屈したような姿勢で亡くなっていた。
風呂に入ろうとしたところで何かの病気を発症し、そのまま浴槽に向かって倒れ込んだのだろう。
しかし、腐敗がヒドくて、解剖もままならず。
生前から脳血管系の疾患があったことはわかっていたものの、死因は“事件性のない溺死”となった。
最期、故人が苦しんだのかどうか・・・
多分、突然に意識を失ったのだろうから、苦しまずに逝ったことが想像されたが、“上半身だけ湯に浸かっての溺死”って、無理矢理、水中で頭を押さえつけられたような光景がイメージされ、ヒドく気の毒に思えた。

故人は、もともと高血圧症で降圧剤を服用。
酒は飲まなかったが、高血圧の大敵であるタバコをやめず。
また、生活習慣の改善にも取り組まなければならなかったのに、それも満足にやらず。
たまの電話で忠告する女性にも、自分に都合のいい言い訳ばかりしては、体調については「そんなに悪くはない・・・」と言葉を濁していた。
数か月前、路上で倒れ、通りすがりの人に助けられて救急搬送されたこともあったらしい。
この時は、軽症で事なきを得たのだが、以降も、それを教訓にすることなく不摂生な生活を送った。
そういった具合だから、急に倒れるリスクは常にあった。

浴室から漂ってきているのだろう、玄関を開けると汚腐呂特有の異臭が私をお出迎え。
更に、明りのない室内の薄暗さが、不気味さを演出。
私は、ゆっくり歩を進めながら、壁のスイッチを一つ一つ押して明りを灯していった。
そして、この後に受けることになる衝撃に備え、それまでに遭遇した幾つもの“汚腐呂”を思い浮かべながら、メンタルのウォーミングアップをはじめた。

玄関を入って進んだ廊下の左側に洗面所があり、問題の浴室はその脇。
遺体を引きずり出した際に汚れたのだろう、手前の洗面所の床や浴室扉の枠にも汚染痕。
そこからは、遺体を搬出する際の難儀がうかがえた。
全身ズルズル、膨張溶解して、大人二~三人がかりでも容易に持ち上げらなかっただろう。
しかも、頭部はまるごと湯に浸かっていたわけで、その形相は、例えようもなく恐ろしいものに変容していたはず(故人を愚弄しているわけではない)。
その昔は、そういった作業は、葬儀屋が“仕事欲しさ”でやらされることがほとんどだったようだが、最近では、コンプライアンスの問題(警察と葬儀社の癒着)で警察自らの手で行うようになっているらしい(実のところは不明)。
とにかく、誰がやるにしても、その作業が超過酷であることに変わりはない。
私は、見ず知らずの誰かがやったその作業を労いながら、同じような労苦を味わうことになる自分を励ました。

私は、浴室の前で停止。
明りを灯すと、扉越しに中の色がボンヤリと映し出された。
普通の浴室なら、だいたい白っぽく見えるはず。
しかし、この浴室は全体的に黒。
それは、本来の浴室にはないはずの大量の何かがあることを示唆。
それが、扉を開けなくてもわかるくらいで、私は、微かに期待していた“軽症”を諦めざるを得なかった。

高まる緊張感を無視して浴室の扉を開けると、そこには凄まじい光景が・・・
浴槽の淵には皮膚や頭髪がベッタリ・・・
下半身があった洗い場には、茶黒の腐敗粘土・・・
重厚な悪臭を放っていたことは言うまでもなく、警察が女性に「見ないほうがいい」と言ったのは大正解!
衝撃的な光景が精神を患わせ、あまりの悪臭が胃まで吐き出させるくらいに腹をえぐってきただろうから。
もちろん、“非日常”を楽しむ余裕はないものの、私は、悲惨な光景も、凄まじい異臭も、ほぼほぼ慣れている。
あと、止まって見物していても仕方がないわけで、床の汚れに気をつけながら浴室に足を踏み入れ、浴槽に顔を近づけた。

ゆっくり湯に浸かろうとしていたのだろう、浴槽にはタップリの水。
もちろん、上半身の多くが溶け込んでしまっているわけだから、凄まじい汚水に変容。
コーヒー色に濁り、その水面は黄色い脂が覆い、水中には得体の知れない異物が浮遊。
当然、浴槽の底なんか見えるわけはなく、視界は ほぼゼロ。
ただ、底の方はヘドロ状態で、身体の何かしらが沈んでいるに決まっている。
水の色の濃度と浮遊物から大方の判断はできるので、見通せなくてもわかる。
水の中に何が溶け込んでいるのか、何が残留していそうなのか、“汚腐呂屋”の私には容易に想像できるものだったけど、できることなら想像したくなかった。

汚水の濃度や中身によって作業の難易度は大きく変わる。
もちろん、ドロドロじゃなく、できるだけサラサラである方が助かる。
汚染レベルを確認するため、ゆっくりかき回してみると、視界の悪い汚水の中なら白いクラゲのような物体がいくつも舞い上がってきた。
見慣れていればすぐわかる、それは、故人の身体から剥がれた皮膚。
水死体特有の現象で、長く放置すると遺体は“脱皮”する。
ふやけてサイズアップした皮膚が、手の場合は手袋のように、足の場合は五本指靴下のように、スッポリ抜けるのだ。
所々が破れてしまい 五本指すべてが揃っていたわけではなかったが、爪まできれいに残っており、指関節の曲がり具合も実物そのもので、それがあまりにリアルなものだから、そんなことあるはずないのに、“手が落っこちてんのか?”と驚くくらいだった。

この状況、どう見たって簡単な作業にはなりそうにない。
見たくないものを見、嗅ぎたくないものを嗅ぎ、触りたくないものを触らなければならない。
仕事とはいえ、こんな現場で気分が乗るわけはない。
それでも、やらなければならない・・・憂鬱と戦いながら、自分が生きていくために。
ただ、作業が進めば進むほど、先が見通せてくるから、気持ちが楽になってくる。
同時に、憂鬱感は薄らいでいく。
浴槽の底が見えてくると もうこっちのもの、“峠を越した”感じて、気持ちに余裕がでてくる。
そのうちに憂鬱な気分は消えていき、達成感や爽快感が湧いてくる(こんな現場で“爽快感”ってのも変だけど)。

作業中、私は、独特の緊張感や恐怖感を覚えながら、何度も汚水に手を突っ込んだ。
そして、視界に浮遊してきた“故人の手”を自分の手で掴み取った。
そのとき、汚物に怯え、汚物を嫌悪していたはずの私に、生身の人と握手したみたいな妙な感覚が走った。
同時に、この汚物が、自分と同じ人間であったことを、人として生きていたことを再認識した。
しかし、それは、実態のない、ただの皮。
水から上げると、一瞬で無実態・無重量に。
その様は、生死の境に建つ壁は、自分が思っているほど高くなく、自分が思っているほど厚くなく、ただ、細い線が一本引いてあるだけのような状態であることを表しているかのように感じられて、“いずれ、皆 死ぬ・・・”“それでも、今 生きている!”と、ひと時ではあったけど、私から余計な憂いを取り去ってくれた。


すべては、自分が蒔いた種、自業自得。
決して、好きでやっている仕事ではない。
辞められるものなら辞めてしまいたい。
「なんでこんなことになってしまったのだろう・・・」と、この人生に自問する日々。
しかし、私は、この仕事、過酷であればあるほど、生きていること、生かされていることを実感する。
そして、これまで私に与えられてきた無数の恵と自分を取り巻く無数の幸を再認識して、そのありがたさを痛感する。

一寸先は闇か、光か。
それを決めるのは自分であったり、自分でなかったり。
自分次第の部分もあれば、自分の力が及ばない部分もある。
それでも、時間だけは過ぎていく。
明るい未来を想像(創造)しにくい昨今ではあるけど、一日一日の出来事を積み重ねて、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎ、一生が過ぎていく。

見えない先には不安しかない。
しかし、わかっているはず・・・人生、ずっと真っ暗闇ではないことを。
まずは、一寸先・・・一寸先に集中。
私は、明るい明日を掴み取るため、必要なだけの勇気と小さな希望をもって、一寸先も見えない汚水に手を入れるのである。


特殊清掃についてのお問い合わせは
0120-74-4949

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