雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

地震雷火事親父

2019-10-19 01:11:53 | 願い
恐いものの筆頭!として、
江戸の昔から語呂も調子も良くまとめられた慣用句に

「地震、雷、火事、親父」

「じしん、かみなり、かじ、おやじ」

というものがあります。
昭和までの世代なら?一度は耳にしたことがある方も多いかと。
ただ、その言葉の最後の「親父=オヤジ」に関しては、実は、
本来は台風を意味する「大山嵐」とか「大嵐」という文字であって、

「おおやじ」

だったのではないかと。
そんな俗説があるようなのです。
「オヤジ」というのは、それが後に短く、
語呂良く変化していったものではないのか?と。
しかし、この説には明瞭な根拠が無く。
証明できるものでもないようなのですが、
あながち嘘とも言い切れない感もあり。
確かに、
錚々(そうそう)たる自然災害の中に台風が入っていない
ということは少し不自然とも思えますし。
江戸時代のオサレで茶目っ気の利いた方々がギャグとして生み出し、
使い、今に至る、なんて感じも十分想像できますし。

「可能性としては消しきれない話だなぁ、、、」

と。人によっては、

「地震、雷、火事、津波!」

とか。

「地震、雷、火事、奥さん!」

とか。

「地震、雷、火事、おんな!」

とか。

「おとこ!」

とか。

「うんち!」

とか。

「ぱんつ!」

とか。

なんでもいいっちゃ、いいのでしょうけど。
ええ。ええ。



前回記事に載せた、
朝日新聞さんの洪水後の多摩川上空の写真なのですけど。
改めて。



巨大台風の風雨でチリがなくなった空気と大空はですね、
美しく輝いているのです。すごいのです。
そんな、焦がれるほど美しい空なのに、
その下に広がるコレはいったい何なのだろう?と。
未だにショックを感じている状況でして。
思い出すのは、
つい10日ほど前までいたバルセロナの街のことで。

タクシーの運転手さんやホテルのスタッフさんに至るまで、

「この街は緑が素晴らしいんだ。
どこに行っても高い街路樹や公園が沢山ある。
建物も高くないしね。
どの道も広くて明るいんだ。
サイコーだから。楽しんでくれ」

と。いつもそんなことを言ってました。
イビサ島でもそんな感じ。



























以前、アメリカのLAに三か月ほど住んでいたことがあるのですが、
その時に、現地に一人親しい友人が住んでいて。
週末になるとちょこちょこと彼の家に遊びに行っていました。
ある日、その友人と二人で近所のヨットハーバーの中にある、
お気に入りのカフェに出かけていったことがありました。
そのヨットハーバーのカフェからは、遠く、
太平洋につながるハーバーの出入り口も見えるのですが、
そこで、ぽしゃん、ぽしゃん、と、
よくイルカさんが飛びはねていたのです。
カフェの辺りには、船から降ろされる魚を狙って、
小学生ぐらいの大きさのペリカンさん達が沢山、
バサバサと足元にまで寄って来て。
小さな子供などは頭をガブリとやられそうで、
恐くて泣きだしたりもしていたのですけど。
いつ行っても、だいたいそんな感じで。
そのハーバーのさらに南には、
沢山のアザラシさん達と人々が隣合わせでゴロ寝している
ビーチなどもあったりもして。
そして、皆、それを、
ごく普通の当たり前の風景として受け入れているのです。
その時、その友人やカフェの店員さん達は
僕にこんなことを言っていました。

「LAのいいところってさ、
日常の中に非日常があるんだよ。
そこが素晴らしんだ。
日本や、特に東京は、それがマッタク無い気がする」

景観への意識ということに関しては、
日本は欧米諸国より低い様な気がしています。
それは個人的な印象ではありますが、本心でもあります。
下のイラストは世界の主要都市における
「一人当たりの緑地面積」
のチャート。
東京は最下層の方で、
公害で有名な北京とほぼ同じ数字となっています。
大阪に至ってはもっと下です。



神社とか、お寺とか、その辺の文化が残っていることで、
かろうじて緑地部分を踏みとどめている感がありますが。
もし、そんな信仰心的ものが残っていなかったとしたら......
今の東京には、
いったいどれ程の緑地が残っていたのでしょうか。
理性的な都市のグランドデザインなど殆ど無く、
常に場当たり的で、
商売や経済、権力や私利私欲に寄り添い続けた結果の街の形なのか。
それをギリギリで神仏が救ってくれていたのか。
中国の各地やアジア各地のリゾート系の町とか、
日本や東京よりもっとヒドイところもあるような気もしますが、

「自然と共に暮らしてきた東洋の人々」

と言うわりには、環境意識のどこかが、
そのどこかのポイントが、
西洋の方々や文化に劣っているような気がしてなりません。
もしかしたら、
この日本という国は太平洋戦争で負けた後、
急激な経済発展を遂げていく過程で、
その急進さの中で、

何かが壊れてしまったのか?

忘れてしまったのか?

僕はそんな気がしてなりません。
なんとかならないものかと。
偽善でもなんでもなく。
動物的な本能として、そんな気がしてなりません。

僕らは近代化という点において、
一度大きく離されてしまった西洋の文明や文化に対し、
どこかで大きな劣等感を抱いてしまったのではないか?と。
自分達の伝統や文化を
信じれなくなってしまった時期があったのではないか?と。
周りからそう仕向けられたのかもしれませんし、
自らそう思い込んでしまったのかもしれません。
ただ、そのことが、その結果が、
朝日新聞の写真には写っているのではないか?と。

劣等感。

コンプレックス。

それは重大なことなのだと思います。
今、この国の向こう何十年のグランドデザインを誰が?
皆で?
どう描くのか。
全てが遅くならないよう、
国として真剣に考え抜いて描ききるのか。
とにかく、洪水後の後片付けの日々は、
そんな途方も無いことを思い、
考えながら過ごしていたりします。



今回の台風であと1センチで浸水するところだった
ガレージの中にあるCDやDVDやアナログ盤さんたち。
僕の仕事道具であり、
商売道具でもあるゆえに5千枚ほどあります。

前回記事に記したように、
今回の台風では最初から浸水を予測していたのですが、
流石にコレらを上階に運び上げることは至難なことだったので、

サブスク時代だし、、な、、

と、全てあきらめていました。
幸いにも、結果的には自宅は浸水をまぬがれ、
今はまた、これらのパッケージさんたちを細かく整え、
整理をしているところでして。

しかし......
これを全て捨てることが......
今の俺に......
出来るのだろうか......

そんな問いかけも、今、
自分に毎日しているところではあります。
問いかけた先の自分を顧みるに、
どーも心細く。情けなく。

修正もできない。

後戻りもできない。

誤った道を歩んだ文明の情けなさも味わっている?
という感も......あるでしょうか......
なんだか、また、
自分を変えたくてしょうがありません。

にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ

コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Tough | トップ | 即位の礼 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (aosuzu)
2019-10-19 04:58:31
こんばんわ・・・というか、おはようございます!に近い時間に失礼します。
台風、北の地から(ネットで)恐々と様子を伺っていました。
ご無事で良かったです( ;∀;)

去年地震の大停電で色々思う事があったのに、喉元過ぎれば~な自分にモヤっとしたり。でも少しずつ備えは続けます。
いざというとき今家にある物は殆ど持って行けないのですよ?!と思いながら・・・中々物は減らせませんね💦
むしろ増やしてる!!?Σ( ̄□ ̄;)
負けないで頑張ります。
Unknown (ハナウタ)
2019-10-19 10:23:40
複雑に利権が絡む世の中の流れの中で、
誰かが舵を切ろうとしても、
どこからどう手をつけてよいのやら、、、
容易ではないですね。
前回記事のコメントにあった過去記事にあったように、
「地球に生きている生物は皆家族、地球に暮らす大家族」
のような意識に変化していくことが
やっぱり必要なんだと思いました。
aosuzuさんへ。 (amenouzmet )
2019-10-19 10:48:27
僕さんも頑張ります!(`_´)ゞ
ハナウタさんへ。 (amenouzmet )
2019-10-19 10:49:36
ホントに、どーしたものやら、、、ですねー
Unknown (返事不要🌟)
2019-10-23 11:17:58
困難から逃げてしまう
時もありますが

この経験をするために
ここに居る
と思う時も来る
かもしれません

恐れて境界を創るより
境遇を受け入れた方が
前に進むのかもしれません

コメントを投稿