浜松の家、現場監理。なぜか雨が多かったこれまでの現場監理(雨男?)、今日は晴れ。
気持ちのよい秋晴れ。建物もシャープに見える。
大工さんは縁側の工事中。
鉄砲梁が入れられた。もともとあった場所に、戻ってきた。
はつり目も以前のまま。こうしたものを見ながら日常生活が送れるのは、うらやましい。
季節が進みずいぶん高度が低くなった太陽、軒下奥まで日が差し込む。
醤油蔵を解体したことによって、以前は入らなかったような陽射しが見られる。以前と同じように建物を建てているからわかること。
縁側の板張りは、上と下とで二人セットで。
下からビスで固定することで、上から釘が見えない納まりになっています。ビスがなかった江戸時代には、できなかった仕事。
縁側、土庇は、以前の建物の再現。以前と同じ場所に、同じものが新しく作られるというのは不思議な感覚。場所はかわりませんが、伊勢神宮の式年遷宮にも似た仕事。第二次世界大戦後のワルシャワのような仕事でもある。
青空と瓦屋根。古い建物のようなのに新しい、新しいのに懐かしい。不思議な感覚。
工事中の縁側に腰掛けてみる。縁側に座るとほっとするのはなぜだろう。日本人のDNAの中に、そう刷り込まれているのかもしれない。
室内から外を見る。一間毎に柱が建つのは、古い様式。それがかえってリズミカル、古いようで新しい。
座敷から見る庭。西に建っていた醤油蔵が解体されて、西日が差し込み、以前とは違う表情を見せ始めた。今は手つかずで荒れているが、手入れのセンスの素晴らしい造園屋さんに直してもらったら、いい庭になるだろうなあ。
気持ちのよい秋晴れ。建物もシャープに見える。
大工さんは縁側の工事中。
鉄砲梁が入れられた。もともとあった場所に、戻ってきた。
はつり目も以前のまま。こうしたものを見ながら日常生活が送れるのは、うらやましい。
季節が進みずいぶん高度が低くなった太陽、軒下奥まで日が差し込む。
醤油蔵を解体したことによって、以前は入らなかったような陽射しが見られる。以前と同じように建物を建てているからわかること。
縁側の板張りは、上と下とで二人セットで。
下からビスで固定することで、上から釘が見えない納まりになっています。ビスがなかった江戸時代には、できなかった仕事。
縁側、土庇は、以前の建物の再現。以前と同じ場所に、同じものが新しく作られるというのは不思議な感覚。場所はかわりませんが、伊勢神宮の式年遷宮にも似た仕事。第二次世界大戦後のワルシャワのような仕事でもある。
青空と瓦屋根。古い建物のようなのに新しい、新しいのに懐かしい。不思議な感覚。
工事中の縁側に腰掛けてみる。縁側に座るとほっとするのはなぜだろう。日本人のDNAの中に、そう刷り込まれているのかもしれない。
室内から外を見る。一間毎に柱が建つのは、古い様式。それがかえってリズミカル、古いようで新しい。
座敷から見る庭。西に建っていた醤油蔵が解体されて、西日が差し込み、以前とは違う表情を見せ始めた。今は手つかずで荒れているが、手入れのセンスの素晴らしい造園屋さんに直してもらったら、いい庭になるだろうなあ。
ぬれ縁だと、夏にはスイカを食べて種はぽいぽいなんてしてましたが、どっしりと落ち着いたこのお屋敷には向かないでしょうね
1間ごとに柱があったというのは、神社仏閣にあるような下部は板壁に上部は障子で御簾戸を持ち上げるようになっていた名残でしょうか。
京都は古民家の再生が進んでいますが、昔の木を再利用できることはいいですね。
お茶室だけしか無理と諦めていましたが、小さな置き水屋を購入し、織部の小さい水屋瓶を据え、食卓に布巾を敷きお点前のお道具は立ったまま準備するのはどうかと考えています。
瓶の水を汲んで洗い、お水はバケツに貯めるようにとも。
ベランダに水道があるので、庭用の椅子に手洗鉢を置きたいとイメージしています。
竹を半分に割って、流し素麺のように鉢に水を落とせばなおいいかとも。
夢は膨らむばかりです。
置き水屋は網代にしました。
照明にもよりますが、茶室の中で天井だけが白すぎて浮くようでしたら、費用さえ収まれば網代天井にするのも面白いかと思います。
コメントの欄で失礼しました。