啓示5-7章-子羊が第一から第六の封印を開く(16)人が山と岩塊の間に身を隠す②イザヤとナホム | ヨハネのブログ

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Katahira, age 66.

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第六の封印を開くと、天体に異兆があり、天と山と島がなくなっていきます。さらに、あらゆる種類の人々がほら穴や山の岩塊の間に身を隠し、山と岩塊に隠してくれと叫び求めます。(啓示6:15,16)今回は、啓示の書の言葉に類似の言葉がのせられているイザヤの預言と、ナホムの預言を検討して、啓示6章の預言の理解を深めます。

 

(1)類似のイザヤの預言


 

 地の王たち、自由人、また奴隷などあらゆる人々が、ほら穴や山の岩塊の間に身を隠します。(啓示6:15) そして、「山と岩塊とにこう言いつづけ」ます。「わたしたちの上に倒れかかれ。そしてみ座に座っておられる方の顔から,また子羊の憤りからわたしたちを隠してくれ。彼らの憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ちえようか」(啓示6:16,17)


 

  イザヤ書にも類似の預言があります。「万軍のエホバの日」があり、「岩の中に入り,塵の中に身を隠せ。」という勧めがなされています。(イザヤ2:10,12)また、「人々はエホバの怖ろしさゆえに,またその光輝ある優越性から」「岩の洞くつや塵の中」また、「岩の穴や大岩の裂け目の中」に入ります。(イザヤ2:19,21)

 

 

 

 

 


イザヤの預言によると人々はエホバを恐れて岩の穴に身を隠す




 

    預言者イザヤは、当初神に選ばれたユダとエルサレムが神に不忠実になったので、バビロンによる軍事攻撃を受けることになることを警告していました。例えば、イザヤ3章には、イスラエルの人々に関して、「あなたの男たちは剣によって,あなたの力強さは戦いによって倒れる。」ことが預言されています。(イザヤ3:25)

 

    啓示の預言もイザヤの預言も人々が、神の怒りを恐れて岩の穴や岩の裂け目に身を隠すことが預言されています。それで、これは、軍事侵攻を受けて、文字通りの岩の穴や裂け目に隠れるとという文字通りの行動を意味する預言でもあると思います。バビロンの軍勢が侵攻してきた時に、人々はそうした行動をとったのでしょう。


 

 同様に、将来、大患難の時に、北の王の軍勢が南とその同盟国を攻撃してくる時に、人々は、そうした自然界の避難所に身を隠すのではないかと思います。



 

  Vassia Atanassova - Spiritia

 

北の王の軍事攻撃がある時に人々は恐れて自然界の避難所に逃れるのでしょう







 

 さらに、イザヤの預言にもホセアの預言と同様に、人々が偽りの神の偶像を見捨てることが預言されています。「無価値な神々は完全に過ぎ去る。」(イザヤ2:18)「地の人は,その前で身をかがめるために人々が自分に造ってくれた,銀の無価値な神々や金の無価値な神々」を・・・「投げ出す」ことになります。(イザヤ2:20)




 

 イザヤ書では、人々は、「エホバの恐ろしさゆえに」行動しています。(イザヤ2:19)すなわち、神を恐れて行動しています。啓示6章の預言の中でも、人々は「彼らの憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ちえようか。」と言ってエホバの怒りを恐れています。(啓示6:17)

 

 ですから、人々は、大患難がエホバとみ子イエス・キリストの怒りのゆえに生じていることを認めています。そのようにして、人々は、正しくエホバ神とイエス・キリストに対する恐れを表明しています。

 

 エホバへの恐れは良い結果をもたらします。「わたしはまことの神を恐れる者たちが神を恐れていたために良い結果になることに気づいてもいる」と聖書は述べています。(伝道の書8:12)非常に大勢の人々が、そのような神に対する恐れを表明するために、その「影のようなその日々を長くする」という良い結果になります。(伝道の書8:13)


 
神のクリスチャン会衆に保護を求めるために、北の軍勢の攻撃を免れることができる結果になるのでしょう。

 

(2)類似の言葉があるナホム書

 

 地の王たち、高位の者たち、軍司令官たち、富んだ者、強い者、すべての奴隷また自由人は、ほら穴や山の岩塊の間に身を隠します。

 

 そして、「山と岩塊とにこう言いつづけ」ます。「わたしたちの上に倒れかかれ。そしてみ座に座っておられる方の顔から,また子羊の憤りからわたしたちを隠してくれ。彼らの憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ちえようか」(啓示6:15-17)

 

 この山と岩塊に身を隠すという行動は、何を意味しているのでしょうか。人々は、神と子羊の「憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ち得ようか。」と言っています。(啓示6:17)ナホム書は短い書で3章しかありませんが、「その糾弾に面してだれが立ち得ようか。」という啓示617節と同じ言いまわしを用いています。(ナホム1:6)

 

 ナホム書には、流血の都市ニネベに対する宣告が記されており、エホバが、復しゅうされることが述べられています。それは、ニネベを「攻め」、ニネベの兵士を、「剣がむさぼり食う」ことによって行われます。(ナホム2:13)そのため、「討ち殺された多数の者,大量の死がい。死体は果てしなく続く」ということになります。すなわち、大量の死者の発生という結果になります。(ナホム3:3)


 

 そのため、神の糾弾に面してだれが立ち得ようかと人々は言います。(ナホム1:6)ですから、啓示6章の言葉も、神の怒りと憤りの表明である剣の攻撃による大量の死者の発生が近づいているので、あらゆる種類の人々が恐れて語っているという事が分かります。
 



ナホム書によると人々は神の怒りのために多くの死者が出るために神の怒りを恐れることになる




 

 

(3)クリスチャン会衆はどんな準備をする必要があるか

 

 大患難の前に人々が大勢にわかクリスチャンになって、大患難の戦闘から逃れようとクリスチャン会衆に頼って来る事が予期できます。それまで、聖書の預言が逐一成就してきたのであれば、人々が恐れるのも当然でしょう。

 

  それで、クリスチャン会衆としては、山に逃れて農業をして、突然の会衆の成員の増加に対応できるよう食糧を備蓄して大患難に準備をしているのが賢明でしょう。しかし、まず、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が設立された時に、クリスチャン会衆は、山に逃げ始めることによって備えができます。(マタイ24:15,16)



 そのためには、まず、聖書と調和した正確な預言を見分けて、その正確な現に信仰を働かせ、それに従って行動る必要があります。
まず、聖書をよく読んで、それがどんなことを言っているのか把握する必要があります。それで、聖書朗読に励みましょう。
 



聖書に精通して正確な預言を見分けるようにしましょう