アダムがエデンの園で、神に背いたために、アダムもその子孫も死んで滅びてしまう状況になってしまいました。(詩編49:11新共同訳)
しかし、イエス・キリストは、初めて、アダムの子孫に天の政府に入るという見込みを差し伸べられました。ですから、イエスの到来までのバプテスマのヨハネなど信仰の人々は立派な人であっても、神の国に入りません。(マタイ11:11回復訳)バプテスマのヨハネは将来地上に復活して地上で永遠の命を享受することになります。
ですから、聖書の中には天的な希望と地的な希望と二つの種類の希望があります。今回はそのことを裏付ける他の聖書的な根拠について、説明したいと思います。
(1)イエス・キリストが言われた囲いの中の羊の小さな群れである十四万四千人
イエスは二つのクラスのクリスチャンが存在することを説明されました。ヨハネによる書10章では、イエスは、「囲い」の中の羊と、「囲いに入っていないほかの羊」が存在すると言われました。(ヨハネ10:1,16回復訳)羊飼いであるイエスは、おおむね最初に「囲い」の中の羊に個人的な注意を向けます。
数が限定的な囲いの中の羊が存在する
「囲い」の中の羊というのは、その羊の数が限定されていることを示唆しています。また、イエスはルカによる書の中で、神が「神の国」をくださるクリスチャンに対して「小さな群れ」と呼びかけました。 イエスは、 「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」と言われました。(ルカ12:32新共同訳)
イエスは天の王国に入る見込み持つクリスチャンたちを小さな群れと呼んだ
ですから、神の国の成員になるクリスチャンは人類全体から見ると、「小さな群れ」、すなわち、少数派になります。そして、その数は「囲い」の中の羊なのですから、限定的な数であるはずです。
回復訳の啓示録7章にも二つのクラスの神の僕が登場します。ひとつのクラスは、「わたしたちの神の奴隷」の「十四万四千人」で、「イスラエルの子たちのあらゆる部族から印を押された者」です。(啓示録7:3,4回復訳)
この「イスラエル」とは生来のイスラエル人のことではありません。(啓示録7:3,4回復訳)新約聖書では「肉によるイスラエル」に確かに言及されています。(一コリント10:18回復訳)しかし、「この規範によって歩くすべての人、すなわち、神のイスラエル」にもパウロは言及しました。(ガラテア6:16回復訳)
「神のイスラエル」にとって「割礼も無割礼も重要ではありません」とパウロは説明しています。(ガラテア6:15)ですから、神のイスラエルには、割礼を受けるイスラエル人も、無割礼の「異邦人」も含まれます。(使徒10:45回復訳)
それで、「神のイスラエル」とは、単に血筋でアブラハムの子孫である人たちを意味していません。「神のイスラエル」は、割礼を受けた「肉によるイスラエル」だけではなく、「無割礼」であっても、キリストの贖いの犠牲に基づく「信仰」に基づいて「義」とされる「異邦人」のクリスチャンたちも含まれます。(ローマ3:28-30。一コリント10:18回復訳 )
神のイスラエルの中には信仰によって義を得た異邦人も含まれていた
それで、この啓示録7章の「イスラエルの子たち」とは、肉のイスラエル人を意味しているのではなく、キリストの贖いの犠牲に基づいて、新しい契約に入り神の王国に入る見込みが与えられる多国籍のクリスチャンたちを意味しています。
一世紀にキリストによって最初に差し伸べられた見込みは、天の神の国の成員になるという希望でした。彼らは、イエスが言及された「囲い」の中のクリスチャンで、その数は限定された「十四万四千人」で、「小さな群れ」ということができます。
144000人の小さな群れの王国の希望を与えられるイエスの兄弟たちが存在する
(2)数が限定されていない地上でとこしえに住み続ける他の羊の大群衆
一方、イエス・キリストの説明によると、「囲い」の中の羊ではない、「ほかの羊」がいます。(ルカ12:32新共同訳)「ほかの羊」は囲いの中に入っていませんから、その最終的な数は未定です。
「ほかの羊」は、「あらゆる国民と、すべての部族、民族、言語の中から、だれも数えることのできない大群衆」です。(啓示録7:1,7回復訳) この大群衆も神を崇拝し、奉仕しています。(啓示録7:9,10,15回復訳)この大群衆は数が限定されていません。ですから、大群衆の数は数えきれない数になります。
他の羊は数が限定されておらず・・・
あらゆる国民からなっており・・・
地上で永遠の命を享受するという希望を持つ大群衆
「囲い」の羊は天の神の国の成員になるという希望を持つクリスチャンを意味しています。イエスは「小さな群れ」に対して、「あなたがたに王国を賜わることを、あなたがたの父は、大きな喜びとされてきた」と述べました。(ルカ12:32回復訳)
ですから、「小さな群れ」のクリスチャンは、「王国を賜わる」クリスチャンであって、その数は限定的です。一方、その数が限定されていない「ほかの羊」は、天の王国に入るという希望は抱きません。彼らは、この地で「とこしえ」に「住み続ける」という希望を抱きます。(詩編37:27,29新共同訳)
啓示録7章で、「十四万四千人」とは別のクラスの「大群衆」は「命の水の源」に導かれ永遠の命を享受することになりますが、それは地上での永遠の命です。(啓示録7:17回復訳)
(3)小さな群れの羊は来る主の記念式で表象物にあずかり他の羊は見守りましょう
ですから、「小さな群れ」の羊は、「新しい契約」に入っていて、将来神の王国を受け継ぐという見込みがあります。(ヘブル9:15回復訳)また、数の限定されていない地的な希望の他の羊があります。おのおの自分がエホバ神から与えられている希望はどちらであるかを吟味しましょう。
来る4月19日(金)には、主の記念式が行われます。囲いの中の小さな群れだと考えるクリスチャンは、表象物にあずかりましょう。そして、自分を吟味して、自分は「他の羊」に属していて、自分が神から与えられている希望は、この地上で永遠の命を受けることだと考えるかもしれません。その場合は、天的な希望のクリスチャンが表象物にあずかるのを見守りましょう。
「回復訳」は、JGW日本福音書房より発行されています。(この記載は著作権の関係でバイブルフォージャパンから求めに応じて表示しています)