イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(8-1)私ヨハネが統治体を今どのように考えるか | ヨハネのブログ

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I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
I love Jehovah God and the Bible.
I explaine Bible
prophecies in my
Yohane no blog.

 

 ヨハネです。エホバの証人の統治体は、少なくとも当人が聖書から論じていると考える説に耳を傾けず、その点について聖書から論ずることもせず、ご自分たちの教理と異なるならば、組織から排斥します。
 

 そのため、事実は、聖書研究を行い聖書に忠実に従う努力をする聖霊で油そそがれたクリスチャンが証人たちの組織以外にも存在しています。

 

 今回は、わたしが証人から排斥されて、今、証人の統治体と組織をどのように考えているか、また、統治体は、信者に対して聖書の解釈の変更と間違いを逐一謝罪をした方が良いという点、またわたしヨハネが統治体の預言の時の解釈の間違いのためにどのような問題を抱えることになったかという(1)から(3)の点について話したいと思います。

 

(1)私は証人の統治体から教えられたことをどう思っているか

 

 わたしは証人の組織から排斥されたのですが、わたしは、統治体によって、創造者の存在や神のみ言葉聖書に対する信仰、進化論の間違い、神の律法の重要性について教えていただいたことは正しかったと思います。そのことは感謝しています。


 

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私たちの祈りを聞かれる創造者なる神は証人の言う通り存在されています




 

 すなわち、創造者エホバ神は確かに存在され、神のみことば聖書は確かに真実で、その預言の言葉は必ず成就していくと思います。


 

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証人の言う通り神の言葉聖書は確かに真実でその預言は成就していきます

 




 

 そして、エホバの証人の出版物の教理や教えは、間違ったものも含まれていますが、そのすべてが、間違っているとは思いません。その教えの中には、聖書に調和する正しく良い教えも含まれています。


 

 わたしは、統治体の言うように、すぐに、終わりがくることは決してないと思いますが、いずれ、この事物の体制が終わるということ、神の王国政府が完成し、地上は「パラダイス」になるということはやはり事実だと考えています。(ルカ23:43新世界訳改訂版)証人が預言の時の解釈を間違っても、それはやはり起こります。
 


 

 

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地上のパラダイスはやはり実現することになります





 

 それで、わたしは証人の組織から排斥されましたが、聖書から多くの正しく良いことを証人の統治体から学んできたと考えます。証人が殺人や性的な不道徳、輸血、偶像崇拝、心霊術などを避けているのは正しいことだと思います。ですから、証人たちとかなり多くの点で同じことを信じて、神の律法に従っています。ですから、他の人々が証人たちの集会に行くことを絶対反対だということはありません。






 

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証人の言うように性的な不道徳を避けるのは聖書的に正しいです



 

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証人たちの輸血を拒否する立場は神の命令であり健康に益があります





 

 また、わたしも証人たちの集会に行くこともあります。とりわけ、イエスの死の記念式の時には、年に一度だけパンとぶどう酒にあずかるという取決めを設けているのは、エホバの証人だけなので、証人たちの記念式に出席しています。(ルカ22:19,20)

 

 それで、私は、エホバ神に対する愛と信仰と奉仕を中心にして自分の人生を送ってきましたが、エホバの証人として、若い時に聖書を日々読んで、自分を神に捧げて過ごしてきたことは基本的に間違っていなかったと思います。それは、わたしとエホバ神との間の問題で、わたしはエホバに喜ばれる生き方ができたので良かったと思います。


 

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若い時に創造者に仕えてきたのは間違っていなかったと思います




 

 そして、エホバの証人として、教えられた知識の一部は間違っていましたが、真理である聖書の知識を深めることができたのは良かったと思います。

 

 そして、例え、証人がわたしを助けなくても、わたしを支えてくださるのは、ただ人間ではなく、エホバ神とイエス・キリストご自身だと思います。(詩編37:25)

 

 わたしは若い時も、エホバ神に仕えて、日々エホバ神の支えを感じてきましたが、年をとった今も変わらず、エホバとイエスの支えを感じています。エホバ神とイエス・キリストは、わたしが証人から排斥されても、わたしの祈りに答えてくださり、日々助けてくださっていることを感じています。

 

 もちろん、真理の反対者たちのため、また、証人たちの監督たちの不親切のため、現実的な問題も起こってきましたが、それに対処するのに、エホバ神への祈りと聖書の知恵と助言はやはり、助けになっています。ですから、証人の統治体からエホバ神と聖書に信頼を置くように励まされてきたことは、間違っていませんでした。それは、役立ってきました。



 

(2)エホバの証人の統治体が過去の教理の間違いを謝罪した方が良いこと

 

 わたしは、証人は、三位一体、霊魂不滅、地獄の教えや、その他の教えの多くに関しては、正しい立場をとっていると思います。しかし、エホバの証人は、聖書を100%正しく理解しているわけではありません。証人は、預言の解釈の点で、今まで、信者に間違ったことを何度も期待させました。統治体は、過去に、すぐにこの事物の体制の終わりがくるということをもう何度も言って、統治体の言う通りにはなりませんでした。

 

 証人の統治体は、それを正直に認めるだけでなく、謝罪をするべきだと思います。わたしは、エホバの証人の統治体が、解釈の間違いに気づいた場合、以前の間違った解釈について謝罪をした方がいいと思います。

 

 なぜなら、必ず、間違った解釈は、弊害を産むからです。その間違った解釈に従って、皆行動します。すると、問題が生じます。

 

 例えば、実際、わたしがバプテスマを受けた1976年にも、すぐに終わりが来ると言われていました。また、その後も、20世紀に書かれた出版物の中には、21世紀が到来する前には、新しい体制が始まっているだろうと思われるという記述を見ました。それを聞いた時には、それに従って日々の選択を行いました。でも、その統治体の言葉は間違っていました。

 

 でも、私も、聖書の研究に日々励んでいますが、聖句の見落としなどのために、聖書の解釈が間違っていることに気づくことがあります。それで、わたしも聖書の以前の自分の解釈を変更することが何度もありました。その時は、自分の以前の解釈に基づいて行動した方がおられるかもしれないので、謝罪をするようにはしてきました。今後もできるだけ逐一謝罪をするようにしたいと思います。

 

 カトリック教会の法王が過去の歴史的な間違った教えや行動について謝罪をすることがあります。それは、神の目に正しいことではないかと思います。ですから、証人の統治体は、過去に間違ったことを言って、信者に間違った選択や行動をさせてしまったことに謝罪をした方がいいと思います。

 

(3)わたしヨハネが統治体の解釈の間違いのためにこうむった生活の仕方の選択の間違い


 

 わたしは非常に若い頃から、証人と交わってきました。わたしは、証人の統治体の言うことを信じていたので、こんな年をとるまで、古い体制が続いているとは思いませんでした。自分が年をとった時には、新しい体制になって楽園が始まっていると考えていたので、老後の準備をほとんどしませんでした。

 

 そのために、年をとってしまった現在、老後の備えと蓄えがなく、さらに、もっと年をとって働けなくなった場合の経済的な状況はどのようになるかをある程度不安に感じます。

 

 その上、エホバの証人の組織から排斥されてしまったために、長年築いてきた人的ネットワーク、すなわち、多くの証人の友人たちもその支えも失ってしまいました。人的なネットワークというのは、非常事態に実際役に立ちます。証人である間は、そうした仲間からの助けを得ることができていましたが、それを失いました。

 

 それで、わたしは長い間正規開拓者として、若い時代をエホバの証人の教理を広めるために、打ち込んできましたが、それに対する感謝はされていないという結果になりました。もちろん、わたしは第一にエホバ神に奉仕を捧げてきたのですが、証人たちの組織にも協力してきました。

 

 でも、証人たちの教理の一部、とりわけその預言的な教えは間違っていたので、間違ったことを伝えたことはわたしも良くなかったです。でも、まだ、自分を大群衆だと考えていて、聖書の解釈については、統治体の教えを盲目的に全面的に受け入れていたので、正しいことと誤っていることの識別は長い間できませんでした。

 

 そのために、実際、エホバの証人の解釈の間違いのために、老後の準備もできておらず、人的なネットワークもないという窮地に追い込まれました。証人の人的ネットワークは実際的な助けや支えをもたらしていました。

 

 わたしは以前は、証人でしたが、その時は、証人たちからは個人的にとても助けられました。食事招待をしていただいたり、引っ越しを手伝っていただいたり、衣服や食べ物をいただいたり、お金をいただくことさえありました。

 

 バイクを譲っていただいたり、車に乗せていただいたり、また、泊めていただこともよくありました。そのような実際的な助けは大変助けになりました。また、証人と交わっていた時には、自分もできる範囲で、同じような仕方で愛を示すよう努力をしてきました。

 

 確かに、証人の間でも、愛を示し助け合う努力が払われていると思います。そういうサポートは貧しさを和らげるものになります。緊急時に助けになります。わたしは証人から排斥されることにより、その実際的なサポートを失いました。

 

 しかしながら、結局、サポートがあるにしても、基本的に「自分で稼いで得た食べ物を食べ」て自活をする努力しなければなりません。(テサロニケ第二3:12)ですから、 わたしは、今の事物の体制が年をとるまで続いていると若い時に考えていたら、幾らか違った生活の選択や仕方をして、もっと、老後の経済的な準備もしていたと思います。

 

 そして、若い時の教育や職業の選択は、一生涯影響が続く場合が多いです。それで、わたしは、排斥されてしまったので、統治体の言ったことのために、生活の選択や仕方をある程度、間違ってしまったことについて、統治体から謝罪を受けることもありません。これは、現在エホバの証人としてとどまっている人の中にも同じように感じている信者が多いでしょう。

 

 もちろん、たとえ、証人から排斥されても、エホバ神はご自分により頼む人を「見捨て」ません。(詩編27:8,9新世界訳改訂版)実際的な点でも助けてくださり、エホバの助けを日々感じてもいます。

 

 例えば、私は、教会にも交わりますが、多くのキリスト教会の祈祷会では、互いの個人的な状況を伝えて、互いのために祈りあうという習慣があります。個人的な問題について祈っていただくと、心が温められ、その祈りも聞かれているように思えます。また、教会でも物質的な助けが得られる場合もあります。

 

 しかし、わたしが長年培ってきた証人との人的ネットワークは失われ、やはり現実的に不便をこうむっていることも事実です。わたしは、性的な不道徳や偶像崇拝などのために排斥されるのであれば、その処置は不当だとは考えません。でも、わたしは聖書から自分が正しいと考えることを論じたために、証人から排斥されてしまいました。

 

 そして、わたしのような状況にある不当な理由でエホバの証人から排斥された人も割と数多いのではないかと思います。