変換~2009-06-03 051変換~2009-06-03 052  上海西泠印社門市部 (河南中路)
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  大学卒業記念に『比田井天来先生碑』を木耳社から出版しようと思っていた。この碑は上田桑
鳩の代表作で、鎌倉建長寺の庭に建っている。

  推薦文を香港中文大学の佘雪曼先生と、埼玉大学教授だった服部北蓮先生に書いてもらい、あと一人書いてもらおうと、大東文化大学教授の宇野雪村先生のお宅を訪ねた。

  宇野先生は前衛書道の第一人者だが、文房具や拓本の研究者としても日本を代表する収蔵家であった。推薦文の件ははすぐ快諾をいただき、ほとんどの時間を収蔵する多くの印を見せてくれた。

  この時私は「印箋にはどんな紙を使えばよいですか? 」と質問した。先生は『白紙』か『連史紙』がよいと教えてくれた。大学四年生の1月である。

  大学四年生の夏以降毎年香港に行っていたので、いろいろな書法用具店で有無を聞いていたが、良質の紙はなかなか入手できなかった。20代後半香港島の書法用具店に薄くてしっとりした連史紙があったので、全紙500枚を買った。

  印箋として市販されている紙は連史紙が多い。しかし質の良いものは少ない。名前は連史紙でもその質はいろいろである。紙が薄くても、印譜にするときは入紙をするので裏うつりすることはない。

  10年前、保多先生の生誕100年記念に【柞廬印存】50部を出版した。日展、毎日書道展、日本書道美術院展などに出品した代表作50顆をすべて私が1人で鈐印し、製本や帙も私がつくった。

  紙は根岸の精華堂に頼んだ。非常に質の良い連史紙を持っていたので、全紙400枚を買い、半紙くらいの大きさの印箋3000枚を作ってもらった。薄いので罫を印刷するのが難しく、四国の印刷屋に出し、一枚一枚紙を手送りして刷ったと聞いている。(今はもう出来ない)

  連史紙は中国に行けば売っている紙であるが、良質なものは少ない。自分の刻った印は12000以上印影が残っている。自製の印箋に捺してある。連史紙を使っている時期と、日本のお習字用の表面のなめらかな紙を使っている時期がある。

  数年前に連史紙をまた全紙300枚を買い、一部を半紙大に1000枚くらい切った。。それよりやや大きい厚さ1cmの板を4枚買い、四隅にネジをつけ、その紙を挟んで圧縮してある。(シワをのばしている)

  良い用具・用材を使おうと思ったら、使う時に買いに行くのではなく、良いものに出会ったときに5年10年使う分を買っておくことである。

 
  上海福州路の書法用具店
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 一般的には中国に行った方が種類も多く安い。しかし日本でも手に入ることがある。端渓硯の産地は肇慶市で広州市から100km 離れている。広州に行くと硯の価格が肇慶の2倍になり、北京まで行くとさらに高くなるという。

 日本の業者が大量に肇慶から直接仕入れて売っている硯は、北京や上海で買うより安いこともある。日本の業者の眼の利く人は良品を仕入れている。

 書道用品専門店の社長には、日展審査員や大学教授より用具・用材に精通している人が多い。いろいろな店に通えば勉強になる。(ただで教えてくれる) 良いものも入手できる。

 業者は仕入れ先を教えてくれない。私はその仕入れ先を探して直接よいものを買おうとしている。もちろん私は業者ではないので、生産者に売ってもらえるかどうかは私の熱意次第である。


 私も一応   生徒募集?  をしているのだが一向に希望者がいない。ブログには書けないことが多い。書くのも面倒くさい。直接くればいろいろ教えてあげられるのに・・・

 希望者は東梨房まで  小学生や初心者から大学書道教員まで可。

 私は住所も電話番号も公開しています。


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変換~047変換~053    オーストラリアで孫が生まれた時に
               植えた『ブラシの木』

    10年以上たち、今年も花が咲き始めた。
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