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  高校で教えていたころ、普段飽きやすかったり、少しやんちゃな生徒もペン集字のなぞり書きをやらせると50分集中してやっていた。出来上がった字が上手く見えるからである。

  手本を書いてやり練習させると集中してやる生徒たちも、自分の好きな詞句を書きなさいというと、20-30分考えている子が何人もいた。

  自分で書いたものが下手に見えるのに、臨書や先生の手本を真似して書くと上手く見える。本来臨書は自分の字を上手くするための練習である。臨書を展覧会に出す、ブログにアップする行為を、私は自分の力以上に見せようとする心理だと考える。
  

  
 書における臨書は、野球に例えると打撃練習、守備練習などだと考えているので、展覧会に臨書作品を出したことはない。添削を受けていたのは22-3歳までだったので、以降手本を書いてもらったこともなく、添削を受けて展覧会に出したこともない。


  書の勉強は臨書・鑑賞に始まり、これが終生続く。臨書は先生に手本を書いてもらうものではなく、古典を直接見なければならない。高校の書道の教科書でも、編著者が古典を臨書した作例は極めて少ない。それは文科省も古典は直接臨書させなさいという方針だからである。

  どんな上手い人がマネしても形には違いが出る。だから写真で部分拡大して載せる。これは高校が一度に多人数を教えるので、先生が手本を書ききれないからではない。学校には簡易印刷機が何台もあり、教師が臨書したものを印刷するのは簡単に出来る。

  この臨書例はある出版物から転載  私が書いたものではない
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『有名な書家の臨書ほど似ていない』とは日本書道史の権威 堀江知彦教授の言である。

  二玄社の技法講座や展大法帖が世に出て50年位になる。中国でもたくさん同じような本が出版されている。それだけ多くの人に支持されているということである。(自分の頭で拡大しても・・) しかし原寸で臨書するのが一番良いような気もする。 

  私は先生が臨書するのを門人に見せることを否定はしていない。指導の一環として有効だと思う。私は教わるほうが、師の臨書したものを古典に代えて手本として習うことに疑問を持つだけである。


 テレビで言う医師の情報はいろいろである。電車のつり革などでウイルス菌に感染した手でスマホを触ると、スマホには2-3日菌が残るので、手を洗ってもまたスマホを触ったのでは感染のリスクがあるという。

 手と一緒に毎日スマホも石鹸で念入りに洗わなくては・・・  (アルコール液で拭いても可)

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