やまさんの読書ブログ

やまさんが本の紹介してるブログ、でした。いまもしてます。


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ども。

 

近況報告も兼ねて。

 

誕生日を迎えて、どう言い訳しても大人としか言えないような年になりました。

いまだに未成年と間違われますけど。ここまでくると見た目服装が子供っぽいってか。

波乱万丈の一年間をなんとか生存したのでほっとしています。いました。

学業と仕事の2足のわらじのうちは楽できないんですよね。そのうえサークルが被ってくるので手すら足りない。

順調に行けば後1年半、人生の夏休みを満喫していこうと思います。ほんと忙しい夏休みだこと。

 

前の記事を見ると、物語論に興味があるようなことを書いています。

この物語論と呼ばれる分野、大きく分けて2つの領域に分かれます。

一つは、物語哲学と呼ばれる、理論的な分野。

「誰の視点」から、「いつ」語られた「どのような」物語か、なんて、物語に切り込む理論を筋立てるのが彼らの役目です。不勉強だった場合に備えて謝罪の意を示します。

もう一つは、物語論こと批評の分野。実践。

実際に書かれたテクストに、理論と自らの立場から切り込んで新たな読みを示します。

正直この分野、一体何の意味がとは思うところです。即物的に役立ちはしないよなぁと。当たり前ながら。

新たな読みを提供し、テクストへの見地を深めて、どうするんだろう。これ怒られるやつかな。

何をして物語論を学問分野足らせているか、わかるくらいまでちゃんと勉強しようと思います。

 

 

久しぶりにブログを更新しようとしたきっかけです。芥川賞受賞したそうですね。

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 

どんどん話題になってるけど、読む時じゃないよなと思ってて手出してませんでした。

というか恐らく読まないつもりでいました。来世で読もうとかなんとか。

読んだきっかけは、本棚の整理で出てきたこの本のことを思い出したからです。作者が同じ。

タダイマトビラ (新潮文庫)

タダイマトビラ (新潮文庫)

 

 

この本、『コンビニ人間』に負けず劣らずの厚さなんですけど。薄いと言いたい。

内容が次元超えた激しさなんですよね。少ない語彙を捻りだす。

 

取り敢えずのテーマは家族物語になるんでしょうか。

家族の愛が得られない子供の話、なんて筋は、最早チープです。

私たちの生きる世界の方が百倍現実的ですからね。

もう、フィクションの小説で何かを問えるほどのテーマでは無くなりつつあります。

しかもこの薄さかよ、と思いながら読んでたんですけど、電車の中で読み進むうち、いつしか怪しげな雰囲気だけを感じさせながら物語は進んで行きます。

明確な伏線や、転換点があるわけではないけど、何をか感じさせるような。

そして、その雰囲気を纏ったまま進む文章は終盤のある一文で本性を表します。

そこから先は怒涛、まさに私たちの生きる世界すら変える世界観へと達します。

哲学的、に似た雰囲気はあるんですけど、哲学でも無いですよね。かと言って現実で打ちのめすわけでもなく、ただただ世界観が変わるのみ。

この本、2件しかブログ書かれてないのが意外すぎて。ニコ動で言えば#もっと評価されるべき 作品だと思います。もしくは作者。芥川賞取ってましたね。評価されてるわ。すごい。

これは別件ですが、この本を読んだ人が、この結末をハッピーエンド系ととるかバッドエンド系ととるか、に興味があります。読んだ人、いらっしゃったら是非教えて下さい。

 

長い前置きを経て。本題。『コンビニ人間』。

 

帯には「現代の実存を問う」なんてコピーが書いてありますけど。どの層に訴えかけてあのコピーなんでしょうね。80年代の古き良き理論武装を感じます。哲学アレルギーのあなたにも簡単にわかる「現実存在」。

芥川賞まで受賞してしまえば、ネットには意見感想批評の類が溢れかえります。そんな文章群をみて、この作品に「反抗期み」を感じたあなたが正しい。と思います。私は。

 

余談。

芥川賞受賞作品で面白さがあるのって珍しいですよね。一瞬直木賞と間違えたかと思いました。

 

この本の文学的技巧等々についてはよくわからないんですけど、このテクスト、あまりに読者が一言申したくなる社会?問題が盛りだくさんなんですよね。念のため、「良くわからないけど馬鹿ほど真理に近い」系の意図は無いです。その信仰は嫌い。

おそらく、「普通」までを問われて一切共感出来ない読者はいないでしょうよ。大体の読者が、無意識に、何かしらを読み込んでこの本に向き合うわけです。そして、書かれた以上の何かを読み出す。

読者を飲み込んで、書かれていないことまで読み出させるほどの裾野の広さと、力をもった物語ってすごいなと思います。特に論拠はない。

 

余談その2。

主人公、合理的です。対比すべきは感情でしょうか。感情の余地を感じさせないほどに合理的。

多分、生理的に、この主人公を受け入れられずに読破を断念する人がいると思うんです。

まともに道徳を積んでいれば、公園で死んだ小鳥を焼き鳥にして食べようとする3歳児(でしたっけ)は受け入れられないはずです。ちゃんと、家族の好物が焼き鳥であることを考慮したとしても。

でも、主人公の方が現実的だと思うんですよね。

ある一つのきっかけから、家族全員の幸福を願うか、道徳的感情を抱くか、私は前者が自然だと思うんですけど、いかがでしょう。自分で言ってて無理な気がしてきた。前者を選択する余地くらいにしときます。

哲学書を読む際の必須スキルの一つに、実際に使われている文脈ではなく、文章上の論理関係からその単語の意味を判断する、というようなものがあります。これがないとカントが読めん。

そんな、主人公から哲学に通じるものを感じたというだけの話です。話が長い。

 

今学期、特に倫理について学ぶ授業が多いです。そこら辺について考えてみようと思います。