異常気象が通常になることを恐れる

2018年08月06日 | 持続可能な社会

 「人間の生活力の強さ!人間はどんなことにもすぐ慣れる動物である。
私はこれこそ人間に対する最上の定義であると思う。」

 上記は、シベリア流刑という異常事態を体験したロシアの作家ドストエフスキーの言葉です。

 ここのところの「経験したことのない」「命に危険のあるレベル」「災害といってもいい」猛暑も、何日も続くと、「うんざりだ」と言いながらも、人間は慣れてくるのでしょうか。

 それは、人間の生活力の強さという意味ではいいのかもしれませんが、異常が通常になり、そうするとまるで正常であるかのような錯覚が生まれ、異常を正常に戻す努力をしなくなる危険が大きいと思われます。

 最近、気候変動・温暖化に対して中長期的にどう対処すべきか、メディア等であまり話題になっていないように思えるのですが、どうなのでしょう(私の認識不足なのでしょうか)。

 ちゃんと異常事態、緊急課題として議論されているのでしょうか。

 この傾向は今後も続くと予想されており、続いていくと当然ながら「またか」と通常のことになってしまうでしょう。

 しかし、異常は、たとえ通常化しても、本質的には異常なのであって正常ではない、と思われます。

 慣れてはいけないことがある。異常事態を「またか」ではなく「またしても異常」と感じ、感じるだけでなく認識し、それにふさわしい行動を取ることが必要だ、と私は考えますが、読者はどう考えられますか?。

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2 コメント

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弁別が難しい (白鳥)
2018-08-15 20:13:00
人間は確かに「慣れる」ということがあります。
人間に限らないことでしょうけど。
そして異常事態をこれで普通だと思ってしまうことは危険なことだし、恐ろしいことだと思います。
ただ、慣れていいもの、慣れないとやっていられないものというのも一方にはありますね。
慣れてはいけないものと、慣れなくてはならないものの弁別というのも、なかなか難しいように思えます。
致命的なものには (おかの)
2018-08-22 21:46:16
>白鳥さん

 コメント有難うございました。

 そうですね。一般的には弁別は難しいですね。

 しかし、気候変動・温暖化については以下のようにはっきり弁別できると思いますが、どうでしょう?

 ①当面、毎夏ごとに暑くなっていくことは避けられそうもないので、なんとか慣れて生き延びるしかありません。

 ②しかし、人間は無限に慣れることができるわけではないので、当面の暑さに慣れたせいで、人類が「茹でガエル」になるほど致命的に暑くなっていくのを放置するという結果に到るのはよくない、ということなのではないでしょうか。

 一面慣れながら、もう一面では慣れることなく、本気で対処するという姿勢が望まれるのではないかと思いますが、どうお考えでですか?

 

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