日本対ブラジル その3 焦りと無理と、そしてミス日本対ブラジル その5 実は真面目なバックス

2020年01月12日

日本対ブラジル その4 無機質のanjo





「いいわね。ブラジルの前線で一番怖いのは中央のラムだけど。左右のWFも警戒しないといけない。その中でも左のフェアリーは非常に独創的なプレーをするわ。絶対にマークを外さないこと」

ブラジル戦前日。ミーティングでブラジルの試合を見ながら松原聖が選手達を見渡した。









 



「うん、ラムは怖い子。巧さ、強さ、速さ、高さ、それと決定力。全部持ってる」
聖の言葉に続き、ラムと同じチームでツートップを組んでいた風見真琴がそう言った。
ある意味チーム内でも日比野あすみとは違うベクトルで自信過剰気味の真琴が手放しで持ち上げる事実が、ラムという選手の凄さを際立たせる。

「じゃ、左のフェアリーってのはわかる?」
藤田みのりの質問に真琴は首を振った。
「わかんない。対戦したこと無いから」
「えーっと、フェアリー選手はクルゼイロEC所属ですね」
かぶりを振った真琴をフォローするように聖の隣に立つスーツ姿の川添すみれがクリップボードに目を落とし、データを読み上げる。

「南米はまだ女子サッカーがそこまで盛んではないから、映像記録とかのデータが集めづらいのよ。ただ、女子サッカージャーナルの浜田さんって記者によれば……」
すみれに続いて言葉を発したのは聖だった。いったん言葉を切り、にこりと笑みを浮かべた。


「ブラジルの『ファンタジスタ』なんて呼ばれることもあるみたいね」


聖のその言葉に、選手の殆どが一斉に中央付近に座る羽奈の顔を注視。羽奈はキョロキョロオロオロしている。
「あんた、おんなじファンタジスタなら、なんかわかんじゃないの?」
「え?そんなこと言われてもわかんないよー、それにファンタジスタって何?」
みのりの問いに羽奈はぶんぶんと首を振る。しかし全員の視線は羽奈から離れず、仕方なく考える仕草をした。

「えっと、みんなそうだけどこのフェアリーって人はボールタッチが丁寧で正確。それから…」

羽奈は画面に映るブラジルの試合の様子を見ながら言葉を紡ぐ。


「いつも違う景色を見てるような、そんな気がする」


画面に写る背番号19番の選手、フェアリーは表情を変えることない無表情だった。















リメルダがみのりがマークに付く前に左サイドに向けて大きなボールを打ち込んだ。
ボールが打ち込まれた瞬間、「無機質のanjo」フェアリーが緑色に輝く瞳を揺らしながら稲妻のように加速した。
フェアリーに付くのは日本右WBの高遠エリカ。エリカは打ち込まれるロングパスの軌道と動き出したフェアリーを等分に見ながらフェアリーに追いすがる。そして最終ラインから近藤榛名がフォローに寄ってくる。


(小さい子……)
エリカはフェアリーに併走しながらそう思う。
まるで日本人のように漆黒の黒髪は短く刈り揃えられていて、幼い顔立ちも相まって少年のような印象も見え隠れる。しかし緑色に輝くエメラルドのような瞳が、その少年という印象を打ち消している。
そして、「無機質のanjo」と呼ばれるほど、その表情に色がない。

フェアリーは無表情のまま、大きく飛ぶボールの落下点に向けて走る。小さい体―身長150センチと、殆どみのりと変わらない高さで右足を伸ばして落ちるボールを地面に着く前に捉えた。

(ここっ!)
エリカはフェアリーに併走しながらこのトラップの瞬間を狙って体を寄せる。
小さい体に肩を押し当てて自由を奪い、ボールを奪取する。前にボールを弾いてもフォローに回っている榛名がボールを取れる。


しかし、フェアリーはその目論見を凌駕していた。


フェアリーは走りながら右足を伸ばしてボールを足の甲で触り、下に下げながら丁寧にボールの勢いを殺す。そして勢いを無くしたボールを柔らかく上に突く。
ふわりと1メートルほど浮き上がるボール。フェアリーは寄せるエリカの体を支点にするように回転しながらかわし、浮き上がったボールに駆け込む。
フォローに回っていた榛名が追いつく前にフェアリーが左足をボールに向かって振り抜いた。
蹴り込まれたボールは榛名の頭上を越えてゴール前に向かって大きく飛んだ。


「アーリークロス!」

みのりが下がりながら叫び、ペナルティ・エリア内にラムと右サイドからリンディノが入り込み、西園寺玲華と木曾崎佳乃がそれぞれマークに付いた。
ボールはゴールに向かうような軌道で、GKの紺野美咲は落下点で身構える。

「違う!!」
フェアリーの放ったロングボールを見ながら羽奈はそう叫んだが、前線からの声は仲間には届いていなかった。




アーリークロスは落下点手前で左にカーブしながら急激に落ちる。
そして、吸い込まれるように日本のゴール左隅に入った。
乾いたネットとボールが擦れる音、その数瞬後に主審のゴールを告げる甲高い笛の音がルーテシア・パークに響き渡った。



『前半8分!ブラジル先制!左サイドフェアリーのアーリークロスが直接ゴールに吸い込まれました!』
『これは……』
『ブラジルにとってはラッキーな、そして日本にとってはアンラッキーな1点です!』
『アンラッキー?違いますよ。今のは明らかに狙って打ってますよ』
実況席で夏川美沙はそう反論しながら実況の男性アナウンサーに非難の目を向けていた。



「くそっ!」
エリカは舌打ちをしながら右足でピッチの芝を蹴りつけた。
その傍らではフェアリーが無表情のまま仲間の手荒い祝福を受けている。
(まさか、あの場所から直接ゴールを狙うなんて思わなかった……)

浮き上がったボールをフェアリーは左足アウトフロントで蹴ることにより、ゴールに向かう左回転を付けていた。更に浮いたボールの下側を当てることにより、強烈なドライブ回転も併せていた。
それらをインプレーの中で、エリカのマークを剥がしながら実行できるスキル、技術。なによりそのプレーを選択できる閃き。

これが「無機質のanjo」フェアリーという選手なのか。
これが、ブラジルという国なのか。


エリカは敗北感に打ちのめされていた。







 

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