「無駄」の大切さ | 福岡 共感ヒーリング ATHANAHA(あたなは)

「無駄」の大切さ

「無駄は悪」の価値観。

 

「時間を無駄にしてはいけない」

「お金の無駄遣いはいけない」

「失敗してはいけない」

 

 

 

お金は意味のあることに使わないといけなくて、

 

時間は有意義に使わなくちゃいけなくて、

 

直感的に、行き当たりばったりで動いてはいけなくて、

 

 

 

その結果、

 

貯金が無かったり、

お金が無くなったり、

借金したり、

 

時間が足りなくなったり、

遅刻したり、

予定が狂ったり、

 

余計な手間がかかったり、

良い結果が出なかったり、

 

 

したら、怒られる。

責められる。

 

どこがどう悪かったのか、原因を突き止めて、反省して、次こそはうまくいかなければならなくて、もう二度と失敗は許されない、みたいな、

 

 

 

そんなプレッシャーの中生きてる人が、とてもとても多い。

 

 

その世界の住人達は、自分のこともそうやって四六時中見張って叱咤し続けてるから、他人にも同じことを要求してる。

 

誰かがそのタブーを犯すと、その上で失敗なんかしようものなら、一斉に攻撃して叩きまくる。

 

 

 

まさに地獄絵図。

 

 

みんな、自分たちが地獄に住んで、お互いに殴り合って、切りあって、刺しあってるって気づいてないけどね。

 

心の中が地獄なの。

 

 

 

 

「無駄」ってさ、

 

私たちの顕在意識、「たった5%程度のそれ」がそう判断したに過ぎないんだよね。

 

 

 

その5%の「無駄基準」に合わせて生きるとするならさ、子供を持つなんて、その極致じゃないの?

 

ペットもそう。

 

 

お金がかかるし、

時間も手間もかかる、

 

自分の時間も労力もめっちゃとられて、

人生設計も大きく変わって、

 

いろんなことが一人の時よりもやりづらくなって、

 

制約も増えて、、、

 

 

良いことない、無駄だらけじゃない?

 

 

 

だけど、その「無駄理論」なんかはるかに超えた、理屈じゃないところでものすごい価値を感じていて、それを分かってて、だから、みんな子供作るし、欲しがるでしょ?

 

 

ペットも似たようなもの、なんならペットは人間の子供以上に役に立たない、ずっと動物の知能のまま、人間よりもずっと早く死んでしまうしね。

 

「無駄理論」で言うなら、無駄以外の何ものでもないよね。

 

 

 

 

「世間」からは「無駄」のレッテルを貼られるかもしれないこと、誰でもあるよね。

 

 

だけど、それは、本当に「無駄」なのかな?

 

その「無駄」には、あなたにとっての大事な、大切な何かがいっぱいで、その宝庫で、

 

だから、それを選んだんじゃないのかな。

 

 

 

一般的に言う「無駄」「有用」「良い」「悪い」「当たり前」「非常識」、それって、他人の基準だから。

 

 

それに合わせて、自分の心や感情にもっともらしい理由を作らなくていい。

 

世間に、他人に、自分の「やりたい」「欲しい」の言い訳なんかしなくていい。

 

 

 

 

他人の価値観を自分から追い出して、「地獄」から出よう。

 

 

そこにいなくても、生きていけるから。

 

彼らと仲良くしなくても、一人ぼっちにはならないから。

 

 

自分だけの「天国」の住人に、今すぐなったらいいんだよ。

 

 

 

→すごくなくても、えらくなくてもいい