もう1ヶ月以上も前のことですが、思いでとして記しておきます。
7歳になったばかりのピピウが、初めて作った(?)料理。
ソーセージ
フライパンの上で転がしただけですが💧
インスタしてます。
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イタリア生活十数年。イタリア人ダンナとの結婚生活も十数年。
“イタリア生活”…なんてステキな響きなの~…と思ったら大間違い!
人生そんなに甘くないのね。
甘いこともあるけれど、苦いこともあるのです。
それが日本でもイタリアでも。
私のイタリア生活の甘いも苦いも御紹介。
イタリア・フィレンツェで日本語を教えています。
2017年3月に息子が誕生しました。3か月早い早産でした。
日本語講師の仕事の事、
私・ダンナ・息子・ねこの3人と1匹家族のイタリア・フィレンツェ生活を綴っていきます。
※ブログに掲載されている写真を無断で転載したりしないよう、よろしくお願いします。
「不適切にもほどがある」
…という日本のドラマを日本語コースのイタリア人生徒さんから勧められて見ました。
面白かった
80年代の体育教師が、現代にタイムスリップして、80年代と今を行き来するドラマなんですが…
バランスが良かったなと思います。
80年代のいいとこと悪いとこ、
今のいいところとわるいとこ、
両方、バランス良く描かれていたと思います。
人は年を取ると、「昔はよかった」とよく言いますが、そんなはずはないよね。
きっとよかったこともたくさんあるけれど、今の方がいいことだってたくさんあるはず。
で。
80年代と言えば、私が生まれた年代なので、私は幼すぎたわけですが、私が中高生だった90年代でさえ…
私はずっとバレー部だったんですが…
部活中は水を飲むな!と言われたし、
顔にボールが飛んでくることもありました。
それでも、私もチームのみんなも顧問の先生が大、大、大好きでした。
先生は熱心でしたし、私たち生徒のことをよく考えていてくれたのを知っています。
でも、今なら訴訟もの?
イタリアだったら、親がきっと学校と先生を訴えると思います💧
そのドラマを見て思ったのは、
30年そこそこで、常識は大きく変わったなということ。
今、カセットテープどころか、CDだって無い時代。
みんなテレビをあまり見ない時代。
そして、顔も見たこともない人たちに批判されることを恐れてる時代。
(SNSの影響)
私が子どもの頃は自閉症も知られていなかったし、ジェンダーといった言葉も使われていませんでした。
すごくないですか?
いい意味でも、悪い意味でも。
常識は20年~30年くらいで大きく変わるものなのですね。
このドラマの話ではありませんが、ピピウが「千と千尋の神隠し」を見ていたときのこと。
この映画は主人公の千尋が車の後部座席に乗って引っ越し先の家に両親と向かっているシーンから始まるのですが…
「マンマ、千尋はシートベルトしてないね。ダメだね。」
と言うのです。
そのシーンでは千尋が後部座席で花束を持って寝転がっているのです。
確かに、今はダメだわ
イタリアも一般道でも後部座席のシートベルト着用は現在義務です。
調べてみると、「千と千尋の神隠し」が公開されたのが2001年。
日本で後部座席のシートベルト着用が一般道でも義務化されたのが2008年。
ピピウはイタリアでも、日本でも、車に乗ってシートベルトをしなくてもいいという状況を知らないわけです。
「日本はシートベルトしなくていいの?車でゴロンしてもいいの?」
と聞くので、
「この映画は古いから千尋がシートベルトをしてないの。
今は日本でもシートベルトはしないといけないよ。」
と説明しておきましたが。
…なかなか鋭い
ピピウが大人になるころにはどうなっているのでしょう?
私とダンナはついていけるのかな???
今の何が「迷信」と言われ、今誰でも使用している何が存在しなくなっているのでしょうね?
延長クリップ、すごく便利です!
チャイルドシートで高くなっている分、シートベルトの金具を差し込むのが地味に困難。これだと、それを解消できます。使ってます!
こんなにかわいらしいタイプの物ではありませんが、ピピウも使用中のシートベルトカバー。
やっぱりあると肌に擦れなくていいみたいです。気に入ってます。
シートベルトカバーも使ってます。
インスタしてます。
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先日、授業で日本の家について話していたときのこと。
セミプライベートレッスンのこの生徒さんたちは日本語中級レベル。
一人は短期留学で日本へ行ったことがあり、もう一人は日本語の勉強を始める前に旅行で日本へ行ったことがあります。
留学した生徒さんは日本の"家"の中を知っていましたが、旅行でしか行ったことがない生徒さんはホテルか旅館しか知りません。
旅行で行った生徒さんは、高野山の宿坊にも泊まったらしいです。
その生徒さんが、「和室で食事をするのは大変です。小さなテーブル(←膳のことを言っている)が低すぎて、食べるのが難しかったです。」と言うのです。
最初、畳の上に座って低いテーブル(膳)で食べることに慣れていないから難しいのかと思ったのですが…
「食べ物を箸で口まで持っていくのが難しかったです。」と言う…。
え?
難しいっけ?
私が日本人だから
問題ないだけ?
と一瞬思ったのですが…
あっ💧
「食べるとき、小さなお皿を持って食べましたか?」
と聞くと、
「いいえ。」
と答える生徒さん。
やっぱりね
イタリアでは(欧米では?)、食事中皿を持ち上げるのはマナー違反です。
お行儀が悪い。
ところが、日本では反対で、大きな皿以外は手に持って食べるのがマナー。
確かに、低い膳で食事をする場合、皿を手に持てば、料理と口の距離が近くなるので、料理を口へ運ぶのが簡単です。
逆に言えば、だからこそ、日本では小さなお皿は持って食事することがマナーとなったのでしょう。
子どもの時から「お茶碗を持って食べなさい!」と言われて育つ日本人にとっては当然のことで、考えてもみませんでしたが…
反対に「皿を持ち上げるのは絶対にダメ!」と教えられて育つイタリア人にとっては、違和感があるでしょうし、そもそも皿を持って食べるというアイディアさえないのだと思われます。
日本の旅館や料亭などに、欧米の観光客が来たときは、「小さなお皿は手に持って食べる」ということを教えてあげるのが、もしかすると親切かもしれませんね。
ランチョマットの代わりに日本の膳(お盆)が欲しい…
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現在、ピピウ7歳と2か月ほど。
イタリア語は年齢の割には知っている語彙が多いと学校の先生に言われます。
父親に似て、放っておいたらず・・・っとしゃべっているので、それはおしゃべりの特権なのかなと思います。
あと、おそらく耳もいいのではないかと私は思っています。
歌にしろ、言葉にしろ、耳からおぼえて、それを発音することが得意なような気がします。
幼稚園に入るまでは日本語優勢だったピピウ。
幼稚園にはいり、どんどんイタリア語がおいついてきて、小学校に入り確実にイタリア語優勢になりました。
知っている語彙の数が日本語とイタリア語とでは今となってはイタリア語の方が多いです。
普段、私や日本人の知り合いと日本語でも抵抗なく話し、日本語でコミュニケーションを取るのは問題ないレベルですが、何かを説明しないといけないとき、日本語でよりもイタリア語でのほうが上手に説明できていると感じます。
相変わらず、私とピピウの二人で話すとき、私がイタリア語を話すと違和感があるようで、私が少しイタリア語を使うと、「マンマ、日本語で話して!」と怒ってきますが、日本語で会話している途中、「マンマ、〇〇は日本語で何て言う?」とけっこう聞いてくるようになりました。
それは、イタリア語ではその言葉は知っているけれど、日本語では知らないからです。
やはり、語彙数の差。
毎週土曜日の午後3時間、日本の小学校の教科書を使って国語の授業を補習校で受けているピピウ。
勉強は好きじゃないけれど、先生とお友達が大好きなので、休み時間と放課後を楽しみにピピウは喜んで通っています💧
漢字も1年生の80字を習い、今年は2年生なので160字…。
得意不得意はおいておいて💧ピピウ的に漢字が嫌いなわけではないので、とりあえずほぼ毎日がんばっています。
なかなか覚えられませんけどね。
一つ覚えたら一つ忘れてますけどね。
国語の教科書の音読もなかなか大変です。
いやいやながら、すごくゆっくりなら読めるようにはなってきましたが。
でも、漢字にしろ、音読にしろ、大切なのはやはり言葉の意味を知っているかということ。
言葉の意味を知らなければ、音だけで文の理解ができません。
これから慣用句とか出てくるようになったら本当に大変ですよ
これまでは補習校の宿題をするときも、全て日本語で説明してきました。
日本語での会話にイタリア語を混ぜないように、それなりに努力してきました。
ただ、最近、ピピウの宿題をみていて思うのは…
“訳”としてのイタリア語なら、日本語の勉強中に使ってもいいんじゃないかなということです。
イタリア語版ルー大柴になるのはあまりよくないと思います。笑
でも、ちゃんと「これ、どういう意味?」と聞かれたときに、「それは〇〇ということ。イタリア語では◇◇だよ。」と訳としてのイタリア語を使うのは今となってはピピウの役に立つのではないかなと思い始めました。
そのほうが、やはり理解しやすいと思うのです。
言葉の意味を訳すのは、バイリンガル教育にはよくないことなんでしょうかね?
私はその道のプロでも専門家でもないので、それが正しいのかは分かりません。
それでは、日本語が“母語”と言えなくなってしまう。
だんだん“外国人が習う日本語”に近づいてしまう。
という危惧がないこともないのですが、そもそもピピウの母語はイタリア語ですし、ピピウが学ぶ日本語は継承日本語。
その継承日本語というものがどれだけネイティブのレベルに近づけるか、それとも外国人が習う日本語に近づいてしまうのか…それは本人と親次第…かな?
でも、言葉を学ぶ目的が、コミュニケーションツールであるならば、外国語としての日本語を学んだとしても、全く問題ないと私は思っています。
特に、私の日本語の生徒さんたちを見ているとそう思います。
大人になって、0から日本語を勉強し、今となっては難しい日本語の分を読み、理解し、意見まで言えるイタリア人生徒さんたち、本当に尊敬。でも、やる気があるなら、そうやって大人になってからも学べるということの証明だと思います。
なのでね…最近は日本語の言葉の意味を聞かれると、日本語でも説明して、イタリア語の訳も少し加えるようになりました。
さぁ、これは吉とでるか?凶とでるか?
今年の夏は日本へ1か月半行きます。
日本へ行けば日本語漬け。
漢字だって普段イタリアでは目にしない数の漢字を毎日目にすることになります。
どんな変化がピピウに現れるのか楽しみです。
少し前、親子3人でソファーに座って、日本の母とビデオコールをしていたんですが、ダンナがイタリア語で話すと、「ちょっと!日本語でしゃべって!」と日本語でダンナに言ったピピウ。
いや、それは酷と言うもんよ
8月に入ってからダンナも日本で合流するのですが、その際はピピウがダンナと日本人との通訳をしてくれることも切に願って
私1人じゃ大変なのよ💦
インスタしてます。
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日曜日。
ピピウはクラスメイトの男の子と公園で遊んでいました。
私たちはその男の子の両親とおしゃべり。
途中、二人の姿が見えなくなったので、少し探しに私はおしゃべりの輪を抜けて、一人公園の反対方向へ。
少し行くとすぐに2人が見えたので、引き返そうとしたら、同じくピピウのクラスメイトの女の子のお母さんに会いました。
女の子はお父さんと一緒で、そのお母さんは女の子が置き忘れたジャケットを取りに来たそうで、そのときは一人でした。
「チャオ!最近どう?」
と、少し立ち話。
すると、「うちの子、金曜日から明日の算数のテストを心配してるの。間違ってもいいからって言ってるんだけど…本当にプレッシャーに弱いんだから…。」とそのお母さん。
え?
明日、算数のテストなの?
ピピウはそんなこと
一言も
言ってなかったけど?
と言うと、笑っていたそのお母さん。
そのお母さんと別れ、ダンナとピピウの友達両親がいるところに戻り、
「今、◯◯のお母さんに会って話してたんだけど、明日、算数のテストがあるらしいよ。
知ってた?」
と聞くと…
そんなことは
一言も聞いてない
との答え。
ピピウとお友達が私たちのところに来たとき、
「ねぇ、明日、算数のテストがあるの?」
と聞くと
「知らなーい!」
と二人。
金曜から月曜の算数のテストを心配する女子。
かたや、算数のテストがあることすら知らないと言う男子2人。
この差!
そして、今朝のこと。
今日は半日遠足があって、ピピウのクラスは農場へ行くらしいです。
貸し切りバスに乗って行くと聞いていました。
朝の登校途中、ピピウのクラスメイトの近所の女の子に会って、一緒に登校することに。
「今日はバスで農場へ行くんだよね?
ピピウと◯◯(←女の子の名前)は誰の隣に座るのかな?」
と二人に聞くと、ピピウは
「知らなーい。」
と答え、女の子は
「教室の席順にバスに座るの。
だから、私は◯◯くんと、ピピウは◯◯くんと座るよ。」
と。
この差!
この女の子、幼稚園でもピピウと同じクラスだったのでよく知った子です。
ご両親はダンナ世代で、話しやすい。
中学生のお姉ちゃんがいるからか、すごくしっかりしたこの女の子は、近所に住んでいるのでよく道でも出会うんですが、学校のこと、クラスのことは彼女に聞いた方が早い💧
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