森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

相模原障害者殺傷事件 植松聖被告に死刑判決へのコメント

2020-03-17 10:04:42 | 人類の未来

昨日、2020年3月16日、横浜地方裁判所は多くの障害者を殺傷した植松聖に死刑を言い渡した。

NHKニュース

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200316/k10012333681000.html?fbclid=IwAR2D1Apc7Le0pP3z9MMwvf4O38Z28ygwTnRaC9hBBuS1hJJhMpZmzp_SR4U

この記事の最後に、この事件に深く関わった8名の人たちのコメントが出てくる。特に4名は社会的にも知名度の高い有識者である。

私が取り組んできた種問題がこの事件と深く関わり、解決への方向を示す一つの答えがあるので、ここでこの事件についてコメントをしておきたい。4月18日の市民シンポジウムの趣旨説明でお話をさせていただく予定であったが、コロナウィルス収束の見込みがなく、今年の市民シンポジウムは中止となったので、特にここでコメントしておきたい。

NHKニュースの、記事の最後に付記された森監督のコメントにあるように「被告は僕らの矛盾をついた」と言う点である。これは他の有識者も同様の視点を持っているように感じられるが、ではそれがどういう矛盾なのか、誰にもわかるよう具体的にはほとんど誰も指摘していない。

その点について、私は2017年11月に放送大学文京SCで機会をいただいて講演した。問題点は明確である。トランプはメキシコ国境に巨大な壁を作った。ベルリンを東西両陣営に分断した壁は30年前に打ち壊されたが、現代はその6倍にも及ぶ通行防止柵が空爆地域からの難民流入を防ぐために作られた。

なぜ、それらが作られたのか?

貧しい移民や難民を国に入れれば、国費(国民の税金)で食べさせねばならないからである。難民を排除するという政策を掲げたポピュリスト政党が欧州で台頭している。既に政権与党になった国すらある。日本でも同じ流れがある。若者が苦しい生活のなか、なぜ何の関係もない赤の他人の食い詰め老人を食べさせなければならないのかという声を聞いた。70歳以上の老人に対する生活保護や弱者への福祉を一切やめるべきだという声を私は聞いた。助けたいと思う人が助ければよい。私は嫌だという声を聞いた。もちろん自分自身の財力で生きている人は別である。しかし、お金のない人、自分自身で生きていけない赤の他人をなぜ俺たちのお金で食わさねばならないのかという素朴な疑問を聞いた。この疑問が世界の巷に溢れ出てきている。自分たちの考えだけが絶対に正しいという盲信が、このような異質の声を排除してしまい、それゆえにその対策をとることができないのである。

植松聖は、自分自身を救世主と言った。日本を含む、世界中にこのような考え方が溢れ出し、今や濁流となって世界を飲み込もうとしている。

植松聖の行為は、その濁流から目に見える形で吹き出した一つのあぶくである。植松聖のこの考え方が一方的であること、その意味で誤りであることを、彼に認めさせないまま彼をあの世に送ったら、彼の逃げ切りだろう。彼の考え方に賛同する人は、今や世界を席巻する濁流となっている。言うまでもなく日本にもたくさんいる。植松聖は、その人たちのその考え方を背負って、その人たちの救世主として、異教徒から死刑に追い込まれたジャンヌダルクとなって死んでいくことになる。それでは彼をあの世に送った我々の敗北だろう。NHKニュースが記事の最後に列記した有識者は、そのことがなんとなくわかっているのだろう。

彼は、一方しか見ていない。しかし一面で正鵠を突いている。だから難しいのである。

人間はそれぞれが独立しそれぞれ固有の意志を持つ個人である。しかしもう一方で、種として一つの存在である。こちらの視点が完全に欠けている。こちらの視点を持つ者もまた、一方的に自分だけが正しいと盲信し、もう一方の視点を意に介さない。実際にはこの両方が現存する。生物学で議論されてきた種とは何かという「種問題」は、新しい実在論を伴って現在の人類が飲み込まれようとする濁流を止める一つの盾となる。自然科学から派生した問題であるが今人類にそれが求められていると私は考える。

植松聖の考えが一方的であることを彼に理解させることができれば、その濁流に与する人たちの考え方を変える嚆矢となる。現代は、一方的な濁流とともに、それを止める手立ても一緒にやってきたと私は考える。

 

 

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2 コメント

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森中さま (小寄道)
2020-12-13 15:57:29
植松聖は、その人たちのその考え方を背負って、その人たちの救世主として、異教徒から死刑に追い込まれたジャンヌダルクとなって死んでいくことになる。
それでは彼をあの世に送った我々の敗北だろう。

上記の森中さんの文章には、相模原事件がはらんだ深刻な問題が収れんされています。この青年を、従来の刑事事件と同じように「死刑」として処理するのは、拙速であり禍根を残します。この問題に深くかかわっている最首悟さんも同じように考え、彼なりに努力なさっているようです。

さて、ここにコメントを書いたのは、実は別の目的がありました。
1.私のフェイスブックで「森中定治」で検索したのですが、該当者がありませんでした。私のFBに問題があるのでしょうか? 当方は「藤本雅人」です。
2.ご著書の「プルトニウム消滅!」は、第2章まで読みました。恥ずかしながら「溶融塩原子炉」なる存在は知りませんでした。この技術は現在も有効で、かつ実験炉および開発している国はありますか?
3.「プルトニウム消滅!」なるタイトルは、森中さんご自身がつけられた名称ですか? まだ、全部を読んでいないので間違っているかもしれませんが、ご著書の内容を端的にあらわしていると思いませんが・・。
4.これは、別件です。学習院大学の卒業式における謝辞について、探したのですが辿りつきません。見出しはあるのですが、すべてが学習院にリンクしていて、その先にはデータエラーがでます。
なんとか読んでみたいものです。
それにしても「自分に感謝」とは、おかしなレトリックです。本来なら、自分以外のものに感謝するのですから、どうも詭弁っぽい論理展開になるんじゃないでしょうか?
以上、ここに書き込めば、森中さんに読んでいただけると思い、コメントいたしました。
よろしくお願いいたします。
小寄道様 (森中 定治)
2020-12-13 19:33:36
コメントとご質問有難うございます。
お答えいたします。

1 Sadaharu Morinaka ですと出ると思います。あなたのお名前で検察するとたくさん出て、わかりませんでした。
2 熔融塩炉は米国で軽水炉と同じ時に開発され、実験炉は終わっています。右派はプルトニウムができないので無視するし、一方左派は原子炉を取り上げなくてはならなくなるので、これも触れません。多くの人が知っていますし、12月8日には講演会もありました。日本では昔には自民党の国会議員が熔融塩炉研究会をつくっていたと聞いています。日経新聞などにも大きな記事が出ていました。ずっと以前講演会に出た時は、河野太郎さんが聴きにきていました。その時に初めて彼と直接話をしました。彼がまだ反原発の時代です。
3 前書きに書いたように、熔融塩炉を切り口にしてはいますが、私の人間としての有り様を書いています。
4 私のところにありますので、FBで知り合いになりましたら、メッセージかメール添付でお送りします。

どうぞよろしくお願いいたします。

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