2020年12月4日金曜日

Nakajima Atsushi murió 中島敦歿(1942) 文字禍 Asiria / idiomas extranjeros en París (1951) 巴里の空の下 /

 



 文字のれいなどというものが、一体、あるものか、どうか。
 アッシリヤ人は無数の精霊を知っている。夜、やみの中を跳梁ちょうりょうするリル、そのめすのリリツ、疫病えきびょうをふりくナムタル、死者の霊エティンム、誘拐者ゆうかいしゃラバスなど、数知れぬ悪霊あくりょう共がアッシリヤの空にち満ちている。しかし、文字の精霊については、まだだれも聞いたことがない。
 そのころ――というのは、アシュル・バニ・アパル大王の治世第二十年目の頃だが――ニネヴェの宮廷きゅうていみょううわさがあった。毎夜、図書館の闇の中で、ひそひそとあやしい話し声がするという。王兄シャマシュ・シュム・ウキンの謀叛むほんがバビロンの落城でようやくしずまったばかりのこととて、何かまた、不逞ふていの徒の陰謀いんぼうではないかと探ってみたが、それらしい様子もない。どうしても何かの精霊どもの話し声にちがいない。最近に王の前で処刑しょけいされたバビロンからの俘囚ふしゅう共の死霊の声だろうという者もあったが、それが本当でないことは誰にもわかる。千に余るバビロンの俘囚はことごとく舌をいて殺され、その舌を集めたところ、小さな築山つきやまが出来たのは、誰知らぬ者のない事実である。舌の無い死霊に、しゃべれる訳がない。星占ほしうらない羊肝卜ようかんぼくむなしく探索たんさくした後、これはどうしても書物共あるいは文字共の話し声と考えるより外はなくなった。ただ、文字の霊(というものが在るとして)とはいかなる性質をもつものか、それが皆目かいもく判らない。アシュル・バニ・アパル大王は巨眼縮髪きょがんしゅくはつの老博士ナブ・アヘ・エリバをして、この未知の精霊についての研究を命じたもうた。
 その日以来、ナブ・アヘ・エリバ博士は、日ごと問題の図書館(それは、その後二百年にして地下に埋没まいぼつし、さらに二千三百年にして偶然ぐうぜん発掘はっくつされる運命をもつものであるが)に通って万巻の書に目をさらしつつ研鑽けんさんふけった。両河地方メソポタミヤでは埃及エジプトと違って紙草パピルスを産しない。人々は、粘土ねんどの板に硬筆こうひつをもって複雑な楔形くさびがた符号ふごうりつけておった。書物はかわらであり、図書館は瀬戸物屋せとものやの倉庫に似ていた。老博士の卓子テーブル(そのあしには、本物の獅子ししの足が、つめさえそのままに使われている)の上には、毎日、累々るいるいたる瓦の山がうずたかく積まれた。それら重量ある古知識の中から、かれは、文字の霊についての説を見出みいだそうとしたが、無駄むだであった。文字はボルシッパなるナブウの神のつかさどりたもう所とよりほかには何事も記されていないのである。文字に霊ありや無しやを、彼は自力で解決せねばならぬ。博士は書物をはなれ、ただ一つの文字を前に、終日それとにらめっこをして過した。卜者ぼくしゃは羊の肝臓かんぞう凝視ぎょうしすることによってすべての事象を直観する。彼もこれにならって凝視と静観とによって真実を見出そうとしたのである。そのうちに、おかしな事が起った。一つの文字を長く見詰みつめている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯こうさくとしか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とをつことが出来るのか、どうしてもわからなくなって来る。老儒ろうじゅナブ・アヘ・エリバは、生れて初めてこの不思議な事実を発見して、おどろいた。今まで七十年の間当然と思って看過していたことが、決して当然でも必然でもない。彼はからこけらの落ちた思がした。単なるバラバラの線に、一定の音と一定の意味とを有たせるものは、何か? ここまで思いいたった時、老博士は躊躇ちゅうちょなく、文字の霊の存在を認めた。たましいによって統べられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊がこれを統べるのでなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味とを有つことが出来ようか。
 この発見を手始めに、今まで知られなかった文字の霊の性質が次第に少しずつ判って来た。文字の精霊の数は、地上の事物の数ほど多い、文字の精は野鼠のねずみのようにを産んでえる。
 ナブ・アヘ・エリバはニネヴェの街中を歩きまわって、最近に文字を覚えた人々をつかまえては、根気よく一々たずねた。文字を知る以前に比べて、何か変ったようなところはないかと。これによって文字の霊の人間に対する作用はたらきを明らかにしようというのである。さて、こうして、おかしな統計が出来上った。それによれば、文字を覚えてから急にしらみるのが下手へたになった者、眼にほこりが余計はいるようになった者、今まで良く見えた空のわしの姿が見えなくなった者、空の色が以前ほどあおくなくなったという者などが、圧倒的あっとうてきに多い。「文字ノ精ガ人間ノ眼ヲイアラスコト、なお蛆虫うじむし胡桃くるみノ固キから穿うがチテ、中ノ実ヲたくみニ喰イツクスガごとシ」と、ナブ・アヘ・エリバは、新しい粘土の備忘録にしるした。文字を覚えて以来、せきが出始めたという者、くしゃみが出るようになって困るという者、しゃっくりが度々出るようになった者、下痢げりするようになった者なども、かなりの数に上る。「文字ノ精ハ人間ノ鼻・咽喉のど・腹等ヲモ犯スモノノ如シ」と、老博士はまた誌した。文字を覚えてから、にわかに頭髪のうすくなった者もいる。脚の弱くなった者、手足のふるえるようになった者、あごがはずれやすくなった者もいる。しかし、ナブ・アヘ・エリバは最後にこう書かねばならなかった。「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺まひセシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」文字を覚える以前に比べて、職人はうでにぶり、戦士は臆病おくびょうになり、猟師りょうしは獅子を射損うことが多くなった。これは統計の明らかに示す所である。文字に親しむようになってから、女をいても一向楽しゅうなくなったといううったえもあった。もっとも、こう言出したのは、七十さいした老人であるから、これは文字のせいではないかも知れぬ。ナブ・アヘ・エリバはこう考えた。埃及人は、ある物のかげを、その物の魂の一部と見做みなしているようだが、文字は、その影のようなものではないのか。
 獅子という字は、本物の獅子の影ではないのか。それで、獅子という字を覚えた猟師は、本物の獅子の代りに獅子の影をねらい、女という字を覚えた男は、本物の女の代りに女の影を抱くようになるのではないか。文字の無かったむかし、ピル・ナピシュチムの洪水こうずい以前には、よろこびも智慧ちえもみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字の薄被ヴェイルをかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。近頃人々は物憶ものおぼえが悪くなった。これも文字の精の悪戯いたずらである。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚ひふが弱くみにくくなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及ふきゅうして、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。
 ナブ・アヘ・エリバは、ある書物きょうの老人を知っている。その老人は、博学なナブ・アヘ・エリバよりも更に博学である。彼は、スメリヤ語やアラメヤ語ばかりでなく、紙草パピルスや羊皮紙に誌された埃及文字まですらすらと読む。およそ文字になった古代のことで、彼の知らぬことはない。彼はツクルチ・ニニブ一世王の治世第何年目の何月何日の天候まで知っている。しかし、今日きょうの天気は晴かくもりか気が付かない。彼は、少女サビツがギルガメシュをなぐさめた言葉をもそらんじている。しかし、息子むすこをなくした隣人りんじんを何と言って慰めてよいか、知らない。彼は、アダッド・ニラリ王のきさき、サンムラマットがどんな衣装いしょうを好んだかも知っている。しかし、彼自身が今どんな衣服を着ているか、まるで気が付いていない。何と彼は文字と書物とを愛したであろう! 読み、諳んじ、愛撫あいぶするだけではあきたらず、それを愛するの余りに、彼は、ギルガメシュ伝説の最古版の粘土板を噛砕かみくだき、水にかして飲んでしまったことがある。文字の精は彼の眼を容赦ようしゃなく喰いあらし、彼は、ひどい近眼である。余り眼を近づけて書物ばかり読んでいるので、彼の鷲形の鼻の先は、粘土板とれ合って固い胼胝たこが出来ている。文字の精は、また、彼の脊骨せぼねをもむしばみ、彼は、へそに顎のくっつきそうな傴僂せむしである。しかし、彼は、おそらく自分が傴僂であることを知らないであろう。傴僂という字なら、彼は、五つの異った国の字で書くことが出来るのだが。ナブ・アヘ・エリバ博士は、この男を、文字の精霊の犠牲者ぎせいしゃの第一に数えた。ただ、こうした外観のみじめさにもかかわらず、この老人は、実に――全くうらやましいほど――いつも幸福そうに見える。これが不審ふしんといえば、不審だったが、ナブ・アヘ・エリバは、それも文字の霊の媚薬びやくのごとき奸猾かんかつ魔力まりょくのせいと見做した。
 たまたまアシュル・バニ・アパル大王が病にかかられた。侍医じいのアラッド・ナナは、この病軽からずと見て、大王のご衣裳を借り、自らこれをまとうて、アッシリヤ王にふんした。これによって、死神エレシュキガルの眼をあざむき、病を大王からおのれの身に転じようというのである。この古来の医家の常法に対して、青年の一部には、不信の眼を向ける者がある。これは明らかに不合理だ、エレシュキガル神ともあろうものが、あんな子供だましの計に欺かれるはずがあるか、と、彼は言う。碩学せきがくナブ・アヘ・エリバはこれを聞いていやな顔をした。青年等のごとく、何事にも辻褄つじつまを合せたがることの中には、何かしらおかしな所がある。全身あかまみれの男が、一ヶ所だけ、例えば足の爪先だけ、無闇に美しくかざっているような、そういうおかしな所が。彼等は、神秘の雲の中における人間の地位をわきまえぬのじゃ。老博士は浅薄せんぱくな合理主義を一種の病と考えた。そして、その病をはやらせたものは、疑もなく、文字の精霊である。
 ある日若い歴史家(あるいは宮廷の記録係)のイシュデイ・ナブが訪ねて来て老博士に言った。歴史とは何ぞや? と。老博士があきれた顔をしているのを見て、若い歴史家は説明を加えた。先頃のバビロン王シャマシュ・シュム・ウキンの最期さいごについて色々な説がある。自ら火に投じたことだけは確かだが、最後の一月ひとつきほどの間、絶望の余り、言語に絶した淫蕩いんとうの生活を送ったというものもあれば、毎日ひたすら潔斎けっさいしてシャマシュ神にいのり続けたというものもある。第一のただ一人と共に火に入ったという説もあれば、数百の婢妾ひしょうまきの火に投じてから自分も火に入ったという説もある。何しろ文字通りけむりになったこととて、どれが正しいのか一向見当がつかない。近々、大王はそれらの中の一つを選んで、自分にそれを記録するよう命じたもうであろう。これはほんの一例だが、歴史とはこれでいいのであろうか。
 賢明けんめいな老博士が賢明な沈黙ちんもくを守っているのを見て、若い歴史家は、次のような形に問を変えた。歴史とは、昔、在った事柄ことがらをいうのであろうか? それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?
 獅子がりと、獅子狩の浮彫うきぼりとを混同しているような所がこの問の中にある。博士はそれを感じたが、はっきり口で言えないので、次のように答えた。歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板にしるされたものである。この二つは同じことではないか。
 書洩かきもらしは? と歴史家が聞く。
 書洩らし? 冗談じょうだんではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子たねは、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。
 若い歴史家は情なさそうな顔をして、指し示された瓦を見た。それはこの国最大の歴史家ナブ・シャリム・シュヌ誌す所のサルゴン王ハルディア征討行せいとうこうの一枚である。話しながら博士のてた柘榴ざくろの種子がその表面にきたならしくくっついている。
 ボルシッパなる明智の神ナブウの召使めしつかいたもう文字の精霊共のおそろしい力を、イシュディ・ナブよ、君はまだ知らぬとみえるな。文字の精共が、一度ある事柄をとらえて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅ふめつの生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手にれなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ。太古以来のアヌ・エンリルの書に書上げられていない星は、なにゆえに存在せぬか? それは、彼等がアヌ・エンリルの書に文字としてせられなかったからじゃ。大マルズック星(木星)が天界の牧羊者(オリオン)の境を犯せば神々のいかりくだるのも、月輪の上部にしょくが現れればフモオル人が禍をこうむるのも、みな、古書に文字として誌されてあればこそじゃ。古代スメリヤ人が馬というけものを知らなんだのも、彼等の間に馬という字が無かったからじゃ。この文字の精霊の力ほど恐ろしいものは無い。君やわしらが、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしらこそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕しもべじゃ。しかし、また、彼等精霊のもたらす害も随分ずいぶんひどい。わしは今それについて研究中だが、君が今、歴史を誌した文字に疑を感じるようになったのも、つまりは、君が文字に親しみ過ぎて、その霊の毒気どっきあたったためであろう。
 若い歴史家は妙な顔をして帰って行った。老博士はなおしばらく、文字の霊の害毒があの有為ゆういな青年をもそこなおうとしていることを悲しんだ。文字に親しみ過ぎてかえって文字に疑を抱くことは、決して矛盾むじゅんではない。先日博士は生来の健啖けんたんに任せて羊の炙肉あぶりにくをほとんど一頭分も平らげたが、その後当分、生きた羊の顔を見るのも厭になったことがある。
 青年歴史家が帰ってからしばらくして、ふと、ナブ・アヘ・エリバは、薄くなったちぢれっ毛の頭をおさえて考えんだ。今日は、どうやら、わしは、あの青年に向って、文字の霊の威力いりょく讃美さんびしはせなんだか? いまいましいことだ、と彼は舌打をした。わしまでが文字の霊にたぶらかされておるわ。
 実際、もう大分前から、文字の霊がある恐しい病を老博士の上に齎していたのである。それは彼が文字の霊の存在を確かめるために、一つの字を幾日もじっと睨みくらした時以来のことである。その時、今まで一定の意味と音とをっていたはずの字が、忽然こつぜんと分解して、単なる直線どもの集りになってしまったことは前に言った通りだが、それ以来、それと同じような現象が、文字以外のあらゆるものについても起るようになった。彼が一けんの家をじっと見ている中に、その家は、彼の眼と頭の中で、木材と石と煉瓦れんが漆喰しっくいとの意味もない集合に化けてしまう。これがどうして人間の住む所でなければならぬか、判らなくなる。人間の身体からだを見ても、その通り。みんな意味の無い奇怪きかいな形をした部分部分に分析ぶんせきされてしまう。どうして、こんな恰好かっこうをしたものが、人間として通っているのか、まるで理解できなくなる。眼に見えるものばかりではない。人間の日常の営み、すべての習慣が、同じ奇体な分析病のために、全然今までの意味を失ってしまった。もはや、人間生活のすべての根柢こんていが疑わしいものに見える。ナブ・アヘ・エリバ博士は気が違いそうになって来た。文字の霊の研究をこれ以上続けては、しまいにその霊のために生命をとられてしまうぞと思った。彼はこわくなって、早々に研究報告をまとめ上げ、これをアシュル・バニ・アパル大王にけんじた。ただし、中に、若干の政治的意見を加えたことはもちろんである。武の国アッシリヤは、今や、見えざる文字の精霊のために、全く蝕まれてしまった。しかも、これに気付いている者はほとんど無い。今にして文字への盲目的崇拝もうもくてきすうはいを改めずんば、後にほぞむともおよばぬであろう云々うんぬん
 文字の霊が、この讒謗者ざんぼうしゃをただで置く訳が無い。ナブ・アヘ・エリバの報告は、いたく大王のご機嫌きげんを損じた。ナブウ神の熱烈ねつれつ讃仰者さんぎょうしゃで当時第一流の文化人たる大王にしてみれば、これは当然のことである。老博士は即日そくじつ謹慎きんしんを命ぜられた。大王の幼時からの師傅しふたるナブ・アヘ・エリバでなかったら、恐らく、生きながらの皮剥かわはぎに処せられたであろう。思わぬご不興に愕然がくぜんとした博士は、直ちに、これが奸譎かんけつな文字の霊の復讐ふくしゅうであることをさとった。
 しかし、まだこれだけではなかった。数日後ニネヴェ・アルベラの地方をおそった大地震だいじしんの時、博士は、たまたま自家の書庫の中にいた。彼の家は古かったので、かべくず書架しょかたおれた。夥しい書籍が――数百枚の重い粘土板が、文字共のすさまじいのろいの声と共にこの讒謗者の上に落ちかかり、彼は無慙むざんにも圧死した。

Asiria es una antigua región del norte de Mesopotamia, que toma su nombre de la ciudad de Aššur —del mismo nombre que Assur, su deidad tutelar—, que data de 2600 a. C. Fundada a orillas del río Tigris, originalmente era una serie de ciudades de habla acadia en la región. En los siglos XXV y XXIV a. C., los reyes asirios fueron líderes pastorales. Desde finales del siglo XXIV a. C., los asirios se convirtieron en súbditos de Sargón de Acad, que unió a todos los pueblos semitas acadios y sumerios de Mesopotamia bajo el Imperio acadio, que duró desde ca. 2334 hasta 2154 a. C.​ A partir de esa región se formó, en el II milenio a. C., un poderoso reino que luego se convirtió en un imperio, que por antonomasia se asocia con Asiria. También fue conocido como Subartu y, tras su declive, como Athura, Syria (en griego antiguo), Assyria (en latín) y Asuristán. En el momento de máxima expansión, en los siglos VIII y VII  a. C., Asiria controlaba un territorio que hoy son, en todo o en parte, los países de Siria, Líbano, Turquía, Irak e Irán.

La asiriología —disciplina que estudia la Asiria antigua y más ampliamente la Mesopotamia antigua—, distingue tres fases en la historia asiria, sabiendo que antes de alrededor del 700 a. C. las fechas son aproximadas: el período paleoasirio, desde el siglo XX a principios del siglo XIV a. C.; el período medioasirio, hasta 911 a. C.; y el período neoasirio, hasta 612-609 a. C., fecha del final del reino asirio. Esquemáticamente, durante el primer período, Asiria se resume a la ciudad-estado de Aššur, conocida principalmente por el dinamismo de sus mercaderes. El segundo período vio el nacimiento del reino asirio como tal, un poderoso estado territorial, que, sin embargo, se debilitó significativamente en el cambio del II al I milenio a. C.. El tercer período vio a Asiria convertirse gradualmente en un imperio, gracias en particular a su formidable ejército. Fue este período por el que Asiria es más conocida, gracias a los descubrimientos del siglo XIX en las capitales sucesivas, Aššur, Kalkhu (Nimrud), Dur-Sharrukin (Jorsabad) y Nínive (destruida en 612 a. C.; sobre gran parte de sus ruinas se asienta Mosul). Fue también el poderío de este Imperio y de sus soberanos lo que permitió que la memoria de Asiría continuara a través de la tradición de la Biblia hebrea y de los autores griegos clásicos.

La gran cantidad de documentación epigráfica y arqueológica recogida del período asirio durante casi dos siglos permite conocer muchos aspectos de este reino, que fue un componente esencial de la civilización mesopotámica antigua, al igual que el que se convirtió en su rival al sur, el reino de Babilonia. Esta fue la última fase del reino que, sin embargo, es con mucho la más conocida. Se puede dibujar una imagen importante de varios aspectos de la administración del reino, de las actividades económicas, de los componentes de la sociedad, de la cultura asiria, incluida la religión y el arte. Muchas áreas grises permanecen porque la documentación no se distribuye homogéneamente según los lugares, los períodos y los aspectos de la vida de los antiguos asirios, debido tanto a la desaparición de muchas fuentes desde la Antigüedad, como también porque que los descubrimientos se refieren principalmente al medio de las élites.

La región de Asiria cayó luego bajo el control sucesivo de los imperios medo, aqueménida, macedonio, seléucida, parto, romano y sasánida. Entre mediados del siglo II a. C. y finales del siglo III surgió un mosaico de pequeños reinos asirios independientes en la forma de Ashur, Adiabene, Osroene, Beth Nuhadra, Beth Garmai y Hatra. La conquista islámica árabe a mediados del siglo VII finalmente disolvió Asiria (Asuristán) como una entidad única, después de lo cual los restos del pueblo asirio (ya entonces cristianos) gradualmente se convirtieron en una minoría étnica, lingüística, cultural y religiosa en la tierra asiria, sobreviviendo hasta el día de hoy como un pueblo nativo de la región. 

Nakajima Atsushi (中島 敦, Tokio, Japón, 5 de mayo de 1909 - 4 de diciembre de 1942) fue un escritor japonés. Nakajima publicó sus principales obras durante la guerra y debido a que murió en 1942, nunca se le considera como autor del Japón de la posguerra. Aun así, pertenece a la misma generación que Osamu Dazai a pesar de compartir el mismo estilo de literatura y cultura de autores de generaciones anteriores, tales como Natsume Sōseki y Mori Ōgai.
 
涙をためながら「書きたい、書きたい」「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい」と言ったのが最期の言葉だったと伝えられている。
 



















パリに住む女性と彼女を頼って田舎から出てきた女性を軸に、様々な人々の生態やエピソードを描いたドラマ。 
 

 
 

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