私が帰れる場所がなくなった | 夢ごこち

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ぜんぶ愛

 

20歳で就職で

 

仙台から東京に出た

 

子供のころから思ってた

 

自分でお金を

 

稼げるようになったら

 

どこかに逃げようと

 

でもいざ東京に出たら

 

イキナリのホームシック

 

それが3年は続いたかな

 

「帰りたい」

 

「でも帰れない」

 

就職の研修だと嘘をついて

 

1人東京に就職した

 

それまで0から10まで

 

すべて母のいう通り

 

逆らわずに過ごしていた

 

それから逃れたかった

 

だから東京に出たのに

 

やっと念願の

 

1人暮らしだったのに

 

それまで縛られて

 

その通りにしてきたから

 

急に縛られなくなって

 

物凄い虚無感に襲われて

 

毎日会社からの帰り道

 

泣きながら

 

アパートに帰ってた

 

1人ってこんなんだと

 

ひとりぼっちが辛かった

 

戸川純ちゃんの本の

 

「あの角を曲がったら帰ろう」

 

という言葉がとても染みて

 

私もアパートへの帰り道

 

「あの角を曲がったら

 

うちに帰ろう(実家)」と

 

いいながら泣いていた

 

なんでやっと

 

解放されたのに

 

帰りたいのか

 

不思議かもしれない

 

でも私は20才で

 

実家を出るまで

 

自分の意思で

 

自分の気持ちのまま

 

生きる術を知らなかった

 

世の中の一般常識さえ

 

知らなかった

 

知らなすぎた

 

そして結婚して

 

やっと

 

名古屋に少し慣れて

 

旦那さんとも穏かに

 

過ごせるようになった

 

でも私はその間

 

母がパーキンソン病で

 

自分では何も

 

できなくなっていた

 

ことを知らなかった

 

連絡をとっていなかったから

 

でもあるきっかけで

 

仙台に行くことになった

 

もちろん生活は苦しかった

 

そんな中

 

助けてくれる方に

 

出逢ってその方と

 

一緒に仙台に行った

 

そして久しぶりに見た

 

母の姿に驚いた

 

痩せて小学生くらいに

 

小さくなっていて

 

車椅子にのっていて

 

身体は硬直していて

 

言葉は話せなかった

 

ただ呆然と見つめあった

 

母も私に

 

驚いたのかもしれない

 

「遅くなってごめんね」

 

「また来るからね」と

 

言って帰ってきた

 

それが

 

母に会った最後だった

 

母が亡くなって

 

父もどんどん病気が

 

酷くなって今は施設

 

なので実家には誰も

 

住んでいないので

 

妹が家をリフォームして

 

人に貸すことになった

 

母と父と妹の家には

 

もう私は帰れなくなった

 

それが妙に悲しい

 

もちろんそれが

 

一番いい方法だって

 

ことはわかっている

 

妹は子供を育てて

 

毎日大変な生活で

 

旦那さんが定年に

 

なったら仙台に帰る

 

と言ってましたから

 

その時が来たら

 

妹一家があの家に

 

住むのだと思います

 

でも私の懐かしい

 

仙台の実家は

 

もう失くなりました

 

これからは

 

旦那さんと名古屋で

 

多分一生

 

生きていきます

 

でも可能ならば

 

仙台で暮らしたいけど

 

私は名古屋に嫁いだ

 

きっと一生名古屋でしょう

 

でもなんでこんなに

 

悲しいんだろうえーん

 

 

 

 

 

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