どんな不安も、心に抱いた時から願望になるものです。
ある女性は、過去三年の間に三人の男性と婚約しましたが、一度も結婚できませんでした。
なぜかというと、彼女は婚約すると、その結婚がダメになる想像を始めていたからです。
彼女の最初の婚約者は真面目で、おとなしい点はよかったのですが、母親の意見に振り回される弱さがありました。
その結果、彼は彼女を望んでいたにもかかわらず、母親の意見で婚約破棄になってしまったのです。
そのことで深く心が傷ついた彼女は、結婚願望を満たすために、次々と新しい男と婚約の約束をしますが、その一方で、今度の結婚もまたダメになる。とい想像が心の中でふくらませていたのです。
結婚被害者が、出て来るのではないかと心配し続けていると、心はそれを願望ととらえ現実化してしまうものです。
だから、心配ばかりしている人ほど、その通りの現実と直面しています。
なぜなら、それはその人が望んだことなのです。
自分ではそんなことは望んだつもりはないと思うでしょうが、人の潜在意識というものはそれを受けとっていないものです。
女性も結婚を願っていました。けれど、最初の結婚の失敗の衝撃が尾を引いていて、彼女は自分の結婚をいつも心配し続けていたのです。
心配は、あたり前の事のように見えますが、これも心配することの理由にはなりません。
なぜなら、私たちはいつも考え方や見方をする自由を与えられています。
実際同じ状況にあっても、すべての人間が彼女と同じような心の態度をとるとは、限らないのです。
中にはそうした妨害にも負けずに何度も期待を描く人もいます。
心配をすることは、その内容を自分に引きつけることなのです。
自分が望まないものを一生懸命に引きつけようとする。それが不安や心配の実態なのです。
不安や心配が襲ってきたら、自分はそのような現実は望まないとハッキリ心に宣言することだと思います。
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