ロゴスの小径 ~心の空洞を埋める方法~

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哲学と心理学はどう違うの?

ロゴスの小径へようこそ。

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哲学を学び出してから、よく人に聞かれるのが「心理学」とどう違うの?ということです。心理学はもともと哲学から派生しています。まあ、全ての学問は哲学から派生しているのですが。哲学と心理学の根本的な違いとは、「この世界(地球)で生きていくうえで、役にたつかどうか」ということができます。

 

他者とのつながりをよりベターにする「心理学」

哲学と心理学の違いの一つに、この地球で人が生きていく上で、役に立つかどうかという違いがあげられます。心理学では「他者とどう接するか」をメインに成り立っています。「成功するためのマインドをどう持つか」などもありますが、結局「成功」とは、他者と比較してのものですから、やはり「他者」が想定されています。

仮に自分が世界でたった一人だとしたら、誰かの気持ちを探ったりする必要はなく、そもそも何をもって成功とするのかわかりません。人間たちの中で、どう振舞うのがベストなのか、を考える学問とも言えると思います。

心理学ではトラウマなども研究しますが、それだって他者とのかかわりの中で生まれる概念です。以前の心理学は、「こういう夢をみたら、実はこう思ってるんじゃないかな」のような、あやふやな部分もたくさんありました。

 

ちょっと古い心理学では、「こういう態度をとったら相手はこう思っている」ということの根拠になるのは「実験」によるものでした。しかし、心理学的な実験にはさまざまなフィルターがかかります。被験者はそれが実験とわかっている場合は特に態度に影響します。その差は微妙かもしれませんが、むしろ差があってあたりまえですよね。

 

例えば入社試験などで、「性格テスト」みたいなものをさせられることがあります。いくつかの項目の質問に「あてはまる・ややそう思う・そう思わない」などの選択項目があり、そこから選んでいくわけですが、入社試験と知りながら、「協調性がある」の項目に「そう思わない」をわざわざ選びませんよね。

 

人間には見栄というものがありますから、例えば「あなたは友達よりも容姿も能力も劣っている」などの質問に「まったくその通りである」とは(例えそうであっても)答えないそうです。それはインターネット上の匿名のアンケートであっても影響があるそうです。

ですから当然、リサーチする側はそのあたりを加味して集計するわけですが、それもパソコン環境が整ってからの話です。それ以前は被験者の申告通りに記述されてきたので、その結果の集計は実はあやふやなものでした。

しかし現代では、心理学は脳科学と密接になり、被験者が自分でも意識しない目の動きや脳内の反応などで心の動きを読み取っています。またインターネットの発達で、エビデンス(実験結果)がデータベースとして集計され、より多くの正確なデータが集まり、今の心理学の知識を作り上げているそうです。・・・と、大学で習ったのはもう7年ほど前なので、今日ではさらに知識は精巧になっていると予想できます。

哲学にも実益に繋がる哲学がある

それに対して、「役に立たない」と評判の(笑)哲学ですが、役に立つ哲学の種類と言うものもあります。

 

ビジネスで成果をあげるために役立つ「成功哲学」。患者にとってのよりよい医療の在り方を考える「臨床哲学」。その他にも、●●哲学、というかたちの哲学はたくさんあります。高校で習う「倫理」も、あるいはこちらのカテゴリに非常に近いと言えますね。それらは、実際に人生に役立つ思考です。


「科学哲学」というのもありますが、これは非常に「哲学」と密接な関係にあります。科学を哲学するとはどういうことかというと、「科学」というのは、この世界の客観的で、絶対的な世界のように思えます。また、そう思っていてもおおよそ間違いありません。科学は人間の利益・幸福のために発展してきました。

 

子ども時代、まだ未知とされていたことも今では解明されていたりしますよね。そんな風に、科学はどんどん「謎」だった世界を解明している・・・ように見えます。しかし、科学の発達がすべてポジティブだとはいえませんよね。

 

公害や、恐ろしい武器、また遺伝子操作など、科学を発展させていく前に、倫理はもちろん、根源的な意味で哲学が必要になるのです。これについては、かなり興味深いお話がありますので、近く記事にするつもりです。

 そもそも哲学とは

 哲学とは何かと言う定義は非常に難しく、哲学者によっても違うのですが、答えがないものを追求していくので、ある意味「役に立たない」ということになります。心理学と比較してみると、人間関係だけをテーマにするわけではなく、世界で一人であったとしても考えられます。

 

例えば、もし世界で人間が一人だったとしたら、「他人を傷つけてはいけない」というような倫理も不要ですし、他者とのコミュニケーション方法を学ぶ必要もありません。そう考えると、「不要なもの」「役に立たないもの」が逆転します。


しかし世界で一人、というような状況であれ、人間の根源的な問いは消えません。例えば「世界はなぜ存在するのか」「人間はどこからきたのか」「死後はどうなっているのか」などなど。答えはありません。しかし、問いとしては消えることがありませんよね。

 

そうか!それが哲学か!と思ってしまいますが、ここで立ち止まって見ると、一概にそうとも言えないのです。そもそも「人間が世界で一人」という状況など基本的にありえません。「ロビンソン・クルーソー」のように一人で孤島に漂着するといった稀なケースは想定できますが。

 
とすると、「もし世界で一人だったら」と考えることもまた、役に立たないと言えてしまいます。うーん。難しい。しかし世界はこのようなパラドクスを内包して成り立っているのです。

結局哲学は何の役にたつの?

これもまた難しいのですが、しかし、役に立たないからといって哲学を切り捨てることはできません。なぜなら、どうしても「哲学」してしまう人が少なからずいるからです。大学に行くかどうか、哲学書を読むかどうかなどとは無関係に、そういう人がいるのです。

なぜ世界は存在するのだろう。


神様が創った、としない限り答えはありません。だから考えても無駄です。でも、それでもどうしても考えてしまう。「真実」を知りたくなってしまう。これは、人間に埋め込まれた「性質」だとも言えるでしょうね。おそらく、このブログを訪れてくださる方も、そういう一面があるのではないでしょうか。

近年、哲学を学ぶ人が減って、大学でも哲学科が少なくなってきているそうです。どんどん世界は「役に立つ」情報だけで埋まっていくのでしょう。

 

情報も取り入れている、友達もいる、仕事もしたいことがそこそこできている、家族もいる、楽しく暮らしている、はず、なのに。それでも世界の「存在」の意味を考えると、足元が一気に不安定になってしまうような感覚になる「哲学体質」の人はますます生きにくくなっていくんだろうなと感じます。


そういう方が、このブログにどうかたどり着いて、そして知って欲しい・・・。同じように世界にある意味の空虚を感じている人がいることを。心理学では幸せになれない人に、哲学という道があるということを、知ってほしいです。管理人がそれで救われたように。

 

最後までお読みくださってありがとうございました。

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