2月1日まで100日を切りましたね。
昨年の我が家の100日前は、長女が中学校に行かなくなり、
次女は相変わらず塾に行かず(志望校別コースは行っていました、時々休んだけど)
私は体調不良で休職してほとんど寝たきりという最悪な状況でした。
受験ブログを書いている親御さんがとっても羨ましくて、
たとえそれが愚痴であっても、羨ましくて…。
この頃の私は、授業が終わる21時過ぎに塾に行き、
解いた過去問を提出し、授業で配布されたプリントを貰いに行っていました。
塾には居残りしている子供たちが沢山いて、それなのに次女は家でテレビを観ていて…
とても惨めな気持ちになっていました。
私は、ときどき先生と面談したり、カウンセリングを受けたりしました。
学校の先生、塾の先生、学校カウンセラーや臨床心理士の友人、スピ系の人まで。
沢山怒られて、沢山泣きましたよ。
「それ、子育てじゃなくって、社会(に合わせた子供)を作ってるんじゃん」
「子供を心配しているんじゃなくて自分が安心したいだけ」
「レールをひくのは良いけど、子供が乗るか乗らないかは子供が決めること」
「自分で心配性だと思ってる?本当の心配性ならレールを沢山用意しているはず。
あなたのレールは1本しかなくて、そこからずれることを許さないよね」
「導いているんじゃなくて、指示をして押し込めているって分かる?」
「お母さんが口を出しているうちは子供たちは動きませんよ」
問題があったのは、子供たちじゃなくて私でした。
最高峰の毒親だったって訳です。
出産してから全力で、時に無理をしながら頑張って来たつもりなのに、
これまでの自分をすべて否定されるってかなりキツイものです。
しかし、指摘されたところで、しみついた思い癖や性格は急に直せるはずもなく
今後どうやって家族に接したらいいのかわからなくなって、完全にフリーズしてしまいました。
そして、思いついたのが、感情をノートに書き殴ることだったんです。
受験が終わって、塾にお礼に行ったときに、あまりなじみのない若い国語の先生に
「あなたは自分でやるべきことも理解していて、自分で計画を立てて、
自分のペースでやってこれたことがとても素晴らしいと思って見ていました。
ただ、お母さんにはとても心配をかけたけどね」
と言われて、ニヤニヤしながら次女が頷いているのを見てようやく気付きました。、
私は「中学受験は親の受験」という言葉をはき違えていました。
次女が私や先生の言うことをきちんと聞くような子だったら、
思考力を問われるような問題には立ち向かえなかったと思います。
(あくまでも我が家の場合)
子供の中学受験は終わりましたが、私の課題は一生かかっても終わりそうもありません。