如月は何月のことを指す? なぜ如月と呼ばれるのか

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1月・2月と月を数えるより、睦月(むつき)・如月(きさらぎ)と
月を数える言葉の響きを美しく感じるのは、日本人ならではの感性でしょうか。
この呼び方は日本古来より使われている呼び方で「和風月名」といいます。
この「和風月名」は旧暦の季節や、行事に合わせたもので
現在のカレンダーにも表記されているものです。

旧暦の2月「如月」は、現在では2月下旬から4月上旬頃にあたる
もともと「如月(きさらぎ)」は旧暦の2月を表す和風月名で
現在では2月下旬から4月上旬頃にあたります。
現在の暦は「太陽暦(グレゴリオ暦)」といい、新暦と言われていますが
昔は旧暦として「太陰太陽暦」が使用されていました。

日本は飛鳥時代から太陰太陽暦を導入し
和暦として使用していた歴史があります。
明治時代に入ってから、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦されたのです。

太陰太陽暦は月の満ち欠けを基準としていました。
そのため1年が354日となります。この微妙な日数の違いで
季節にズレが生じてしまうことから
3年に一度「閏月(うるうづき)」を設けて
調整していたのです。旧暦の基準が月の満ち欠けに対し
新暦は地球が太陽の周りをまわる周期を基準としています。
この日数の関係から新暦と旧暦には1~2か月ほどずれが生じてしまうのです。

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「如月」の名前は何に由来しているのか?
「如月」の由来については諸説あります。
国語辞典によると、この時期はまだ寒さが残っていて
衣を更に重ね着することから「衣更着(きぬさらぎ)」。
これが徐々に「きさらぎ」になったという説があります。
次に「草木張月(くさきはりづき)」説です。
この説は「広辞苑」に如月の由来として紹介されています。
前述したように旧暦の2月は新暦の2月下旬から4月上旬ごろにあたります。
ですので、草木や花の芽が出始め
春の訪れを感じることのできる季節ということから
「草木張月(くさきはりづき)」というように呼ばれていました。
そこから徐々に如月に変わっていったという説です。

また「来更来(きさらぎ)」説もあります。
旧暦の8月に雁がきて、更に燕が来る季節であることから
「来更来(きさらぎ)」が由来となったと言われている説です。

最後ですが「気更来(きさらぎ)」説です。春の陽気が更に来ることを表して
「気更来(きさらぎ)」が由来となったという説になります。
このように「如月」についてはさまざまな説がありますが
どの由来が正しいのかはいまだはっきりしていません。

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如月以外の読み方
同じように2月を表す異称があるのでいくつかご紹介します。
仲春(ちゅうしゅん)は、春の真ん中という意味です。
1月、2月、3月が旧暦の上では春にあたります。
2月はその春の季節の真ん中の月に当たるところからそう表した言葉です。

建卯月(けんぼうげつ)とは、陰暦の2月を表す異名となります。
星座である北斗七星の指す方角によって
十二支を月に充てて表した異称のことです。

初花月(はつはなづき)は年が明けて初めて咲く花のことを
初花(はつはな)といい主に梅花を指した言葉です。
そのことから年明けに初めて花が咲く月という意味となります。

雁帰月(かりかえりつき)は先の由来の方で少し触れましたが
雁は秋から冬にかけてシベリアから日本に渡ってくる渡り鳥で
春になるとまたシベリアへ帰っていきます。
そのため、雁が帰っていく月と表した異称です。

他にも木芽月(このめづき)や雪消月(ゆきげづき)など数多くあります。
如月の由来と考えられている草木張月(くさきはりづき)も
同じく異称となっています。
どの異称もその月の様子が想像できるような趣のある言葉となっているのです。

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なぜ『如月』と書くのか
紀元前2世紀ごろ、中国最古の辞書と言われている『爾雅(じが)』に
「二月を如となす」と記載されていたことに関係があります。
古く中国では2月を「如」と表していました。
「如」は本来「従う・赴く」という意味があります。
そこから、草花や木などの自然や動物が春に向かって動き出す月
という意味合いで「如」をあてたとされています。
現在でもなぜ「如」が日本で「如月」になったのかはわかりませんが
日本でも二月を「きさらぎ」と表した歴史は古く
奈良時代に書かれた「日本書紀」に「きさらぎ」と表してあります。
そのようなことから現在において
「如月」は2月を表す言葉となっているのです。

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「如月」に見られる行事やイベント
旧暦では二至二分(立春・夏至・秋分・冬至)が季節の変わり目にあたります。
立春は2月、夏至は5月、秋分は9月、冬至は11月となることから
2月の春分は季節の変わり目でもあり、新年でもあるのです。

そんな2月に行われる行事と言えば節分があります。
「鬼は外、福は内」と豆をまき年齢の数だけ豆を食べると良いという風習。
始まりは「追儺(ついな)」という中国伝来の行事です。
宮中や社寺・民間でも大晦日のうちにその年の邪悪な鬼を追い出し
清められた家に歳神(年神)様をお迎えする
如月にある大切な伝統行事なのです。

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閏月
明治の初めまで使用されていた暦は、月の満ち欠けを基準として
1月の長さを決めていました。 月の満ち欠けの周期は多少変化しますが
平均して凡そ29.5日。 このため当時の月の長さは、小の月が29日
大の月が30日で、小の月と大の月がほぼ交互にやってきます。

現在は(2月をのぞくと)小の月が30日、大の月が31日ですから
同じ12ヶ月では、現在の暦と旧暦では長さが違います。 
12ヶ月で1年とすると、旧暦の暦法ではおよそ354日となり
実際の1年より11日ほど短くなってしまいます。 
このままでは何年かが経過すると、暦の月と季節が全く合わなくなって
日常の生活にも不都合なことが生じてしまいます。
このため約3年に1度「閏月」を作り1年13ヶ月となる年を設けました。 
これによって暦と季節の関係を調整したわけです。

今は閏年というと2月が29日まであり1年が366日となる年のことですが
旧暦では閏月の入る年を閏年といいました。 
閏月の入らない普通の年(平年)は1年が353日~355日、
閏年は384~385日になりました。 
閏月は、原則として二十四節気の「中」を含まない月とし
その前の月と同じ月名に「閏」とつけて呼びました。
例えば「閏五月」というようになります。 
このような「閏」の挿入の規則のことを「置閏法」といいます。
現在使用されている太陽暦の場合、閏月はありませんが
閏日が入ることがありこの規則も「置閏法」と呼ばれます。

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明治の改暦
現在の暦が使用されるようになったのは明治6年1月1日から。 
この日はそれまで使用されていた天保暦では明治5年12月3日に当たります。 
ですから明治5年の12月は1日と2日の2日間しかありませんでした。
この改暦が正式に決定されたのは、明治5年11月9日のこと。
「太政官布告(第337号)」という法律によってです。
 法律の公布から、実際の改暦までの期間が1ヶ月もないという慌ただしさです。 
年末ですので、既に翌年の暦は印刷されていましたが、この法律によって
既に印刷されていた暦は、紙屑になってしまいました。

明治の改暦は突然で、十分な検討もされないまま施行されましたので
多くの誤りや問題点をのこしていました。 そこまでして明治新政府が
改暦を行った理由には、深刻な財政問題があったといわれています。 
というのは、従来の暦では翌明治6年は閏年で、閏月が入るため
1年が13ヶ月あることになっていました。 既に役人の給与を年棒制から
月給制に改めた後なので明治6年には13回給与を支払わなければなりません。 
これは財政難であった明治新政府にとって悩みの種でした。
その上太陽暦に切り替えることによって
明治5年の12月は2日しかありませんので
 この月の月給は支払わないこととすれば、明治5年分の給与も
1月分減らせる、正に一石二鳥の改暦だったわけです。

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立春
昔よりとっても大切にされてきた日です。
立春は冬と春の分かれる節目の日である「節分」の翌日で
「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日です。
立春を基準に様々な決まりや節目の日があるのを知ってますか。
春…立春から立夏の前日までを言います。冬至と春分の中間にあたります。
この頃、暖かい地方では梅の花が咲き始めます。

八十八夜…立春から数えて88日目のことです。
この日に摘んだお茶の葉は霜をかぶらないため
高級な茶葉であると言われています。

二百十日…立春から数えて210日目のことです。
この日は台風が襲来する可能性が高く、農家の人々にとっては
厄日だと言われています。

二百二十日…立春から220日目のことです。
二百十日と同じく、台風が襲来する可能性の高い日とされています。
現在は二百十日よりも二百二十日に台風が来ることのほうが多いようです。

立春の早朝、禅寺では厄除けのために門に
「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣があります。
この文字は、縦書きすると左右対称になり
一年間災難にあわないというおまじないです。

土用(どよう)
土旺用事(どおうようじ)の略。 
土用というと夏を思い浮かべる方も多いと思いますが
土用は各季節にあります。陰陽五行説で、春・夏・秋・冬を
それぞれ木・火・金・水とし(余った?)土を
各季節の終わりの18日間に当てはめたことから
立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を土用といいます。
次の季節へ移る前の調整期間といったところでしょうか。
一般的には立秋前の18日間の夏土用をさします。
また、この期間を暑中と呼び、暑中見舞いを出す時期でもあります。

初午(はつうま)
2月最初の午(うま)の日。
本来は、農作業が始まる旧暦の2月に行われていました。
711年(和銅4年・奈良時代)のこの日に、稲荷社の本社である
京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座されたといわれています。
この日をしのび、伏見稲荷大社をはじめ、愛知の豊川稲荷や
佐賀の祐徳稲荷神社など、全国の稲荷神社で
盛大にお祭り(初午大祭)が行われます。
また、立春を迎える2月の最初の午の日は、一年のうちで
最も運気の高まる日とされています。
※「午(うま)」は方位の南を示し、時間は正午を表わします。
この時間は太陽が最も高く上がり、一日のうちで
陽光の力が最も強まる時といわれています。餅まきが行われる地域もあります。

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雨水(うすい)
2月19日頃。および啓蟄までの期間。
太陽黄径330度
立春から数えて15日目頃。

空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になるという意味。
草木が芽生える頃で、昔から、農耕の準備を始める目安とされてきました。
春一番が吹くのもこの頃です。しかし、本格的な春の訪れにはまだ遠く
大雪が降ったりもします。三寒四温を繰り返しながら春に向かっていきます。
地方によっても違うようですが、この日に雛人形を飾ると
良縁に恵まれるといわれています。

三寒四温(さんかんしおん)
寒い日が三日ほど続くと、その後四日間ぐらいは暖かいということ。
これを繰り返しながら、だんだん暖かくなり、春へと向かいます。
もともと中国北部や朝鮮半島の冬の気候を表す言葉で
後に日本に伝わりました。

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2月の他の別名
小草生月(おくさおいつき)
華朝(かちょう)
仲春(ちゅうしゅん)
初花月(はつはなづき)
梅津早月(うめつさつき)
建卯月(けんぼうげつ
麗月・令月(れいげつ)

2月の暮らし
豆まき 確定申告の準備、手続き
結露対策 ひな人形の飾り付け
梅見 花粉対策
卒業・入学・就職祝いの準備
恵方巻き  入試 スキー バレンタイン 

2月の自然
霰(あられ) ダイヤモンドダスト
氷霧 霜夜 雪解け 余寒 寒明の雨
春一番 三寒四温 東風 雪間
薄氷(うすらひ)

2月の花  
梅(ウメ) クロッカス
山茶花(サザンカ) シクラメン
ふきのとう 雪割草  椿(ツバキ)
福寿草(フクジュソウ)
侘助(ワビスケ) 南天(ナンテン)
節分草 金魚草 マーガレット
猫柳(ネコヤナギ)

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旬の食材
野菜
かぶ 白菜 水菜(みずな)
れんこん カリフラワー ごぼう
小松菜 キャベツ 京菜 三つ葉
ほうれん草 春菊  菜の花
あさつき セロリ ニラ

魚介
鮟鱇(あんこう) キンキ 蛤
鰤(ぶり)  帆立貝  ふぐ

果物
金柑 みかん 伊予柑 八朔

時候の挨拶
余寒の候  残冬の候  残寒の候  晩冬の候  残雪の候  
解氷の候 春寒の候  向春の候   立春の候  春寒のみぎり  
余寒厳しき折から  余寒なお去りやまず  春まだ浅く
立春とは申しながら  春寒のみぎり  春浅く風も冷たく
余寒なお骨身にしみる毎日が続いております

【結び】
まだまだ厳しい寒さが続きますが、くれぐれもご自愛ください
余寒なお去り難き折、風邪など召されませぬようご自愛ください

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まだ春は産声をあげたばかり。実際には気温が最も低い時期です。
それでも、一進一退を繰り返しながら、確実にあたたかくなっていきます。
日脚も延び、日差しも明るさをましていきます。
ちょうどこの時期にぴったりなのが「光の春」という言葉でしょう。

俳句では、立春を過ぎると、寒さが厳しくても
「余寒」「残る寒さ」「春寒(はるさむ・しゅんかん)」などといいます。
どんなに冷え込んでも、心は春なのですね。
きっと、気温でしか春を感じることができない人よりも
ずっとたくさんの春に出会うことができるのではないでしょうか。