本日のテーマ 

【自分にしか気づけないことがある】

 

 

若い頃に、

 自分には関係ない…

そう思い、無関心だったことがありました。

きっと、誰かがやってくれるだろうという軽い感覚で人におしつけていたのでしょう。

 

道端に空き缶が落ちていた…………誰かが拾うだろう

お年寄りが電車で立っていた………誰かが席を譲るだろう

子どもが迷子になって泣いていた…誰かが気づくだろう

悩んでいる人がいた…………………誰かが相談にのるだろ

 

こんな考えの人が世の中に多ければ多いほど、世の中は無関心な人だらけになってしまい、人のせいにする社会ができてしまうでしょう。

 

ある時、新聞の記事で、

「小さなことでも自分が気づいたことに積極的に取り組む大切さ」

の体験が紹介されていました。

この記事から「気づくことの大切さ」を再認識させられました。

そこにはこのような体験が紹介されていました。

 

「認知症の人達が入居するある施設で奮闘する女性が紹介されていました。仕事をはじめた頃は認知症の人に何を話せばいいのか、何をすればいいのかわからず、避けてしまっていました。しかし、先輩の動きをじっと観察しいくうちに気づきはじめました。『私はどうしたらいいの』と不安げに歩きはじめる入居者に、目線を合わせて寄り添い、一緒に歩く。食べ物を口からこぼし、衣服が汚れた入居者を見つけると、すぐにふき取る。『私が気づかなければそのままだったかも。そう思うとやりがいを感じます』」

 

 

 

とくに印象に残った言葉が、

「私が気づかなければそのままだったかも…」

 

ココに自分の価値、自分の存在の意義を感じました。

言い換えればこういうことです。

「わたしにしか気づけないことがある」

 

自分が気づき行動を起こせば、一つのことを良くして直すことができます。

それが人のため、何かのためになれば、それは意義あることになり、きっとやりがいや生きがいにつながっていくでしょう。

 

きっとあるはずです。

「あなたが気づかなければ、そのままになってしまうこと…」

 

 

■マザー・テレサの言葉…

「大きなことをできる人はたくさんいますが、小さなことをしようとする人はごくわずかしかいません」

 

 

気づくことは、“最大の思いやり”と言えるかもしれません。

気づくことにより、誰かのため、何かのためになることがあります。

大切な人生です。一度しっかり考えておきたいですね。

 

「わたしにしか気づけないことを」

 

 

 

 

本日のテーマ 

【どう生きるかを哲学する】

 

 

20代の時に、ある人から言われました。

「哲学を持ちなさい」

 

その当時は、哲学も分からず聞き流していましたが、歳を重ねるごとに哲学を持つことの価値や重要性が理解できるようになっていきました。

 

人の話を聞いていて、説得力があると、

 なるほど!…

 その通りだ!…

 確かにそうだ!…

という相槌をうってしまことがあります。

裏付けられた確信や知識の深さにより説得力が備わっているからなのでしょう。

 

一つの知識をさらに深く考え、具体的することで、より明確に表現できるようになります。

物事をハッキリさせるときには、良く考え、疑問に思うことを追究します。

このように深く追究することが哲学です。

 

哲学とは…

 人間とは何か? 

 生きるとはどういうことか? 

 幸せとは何か? 

 知るとはどういうことか? 

を考え、根本の原理を追究する学問です。

 

「宗教」と「哲学」は似ていると思っている人もいるようですが、

 宗教は信じることからはじまり…

 哲学は問いからはじまる…

という対照的なものになります。

 

宗教は神仏や思想を信じなければ何もはじまりません。

「神や仏が存在するか?」など考えていたら話にならないですね。

それとは反対に哲学は、“なぜ?”からはじまります。

 

わたしは22才の時の交通事故で、死の淵から生還するという体験から自身の人生を深く考えるようになり、人生に対し自分に問いを投げかけ続けてきました。

 

その問いは…

「何のために生きているのか?」

 

その答えは…

「幸せになるために生きている」

 

では、

「幸せとは何か?」

 

このようにしてより深く追究することにより、人生をどう生きるかのヒントがハッキリしてきます。

 

三重苦の障がい者のヘレン・ケラーに指導したサリバン女史の言葉に、

「なぜか?の問いこそ、子どもたちの理性と内省の世界に入る扉だ」

とあります。

「なぜか?」の問いは知ることをより深く知るキッカケをつくります。

それは、質問を繰り返すことで、本質に近づけるからです。

 

知ることはハッキリさせることです。

人により人生への考え方は異なるかもしれませんが、大半の人たちが人生を考えて生きていて、「人生をいかに生きるべきか」を考えてきたのではないでしょうか。

 

わたしはこんなことをハッキリさせたかったです。

 人生とは何か…?

 生きるとはどういうことか…?

 

そして出した結論は、

「このような答えを探しているのであれば“人生観”を考えるべき」

 

人生観とは…

人生に対する見方。人生の目標・意味・価値などについて自分なりの答えを出し、いかに生きるかを具体化していく指針のようなもの。

 

人は自分の人生観をベースにして生き方を考えます。

その人生観が物事の考え方を決め、浅く考えるか、深く考えるかによって気づくことも変わってくるでしょう。

だからこそ人生観を磨くために深く考える哲学が役立ちます。

 

哲学とは、価値観や人生観を磨くため、そして自分を知るための学問です。

わたしが深く考えてきた問いはこれでした。

 

 

 

「何のために、どう生きるか?」

 

この答えを出すまでにかなりの時間を費やしましたが、今ではこの答えがあるので、ハッキリとした“生きる意味”を持つことができました。

自分の人生観を持つことは、“人生の道しるべ”となりました。

 

人生で大切なことは、

「今どこで何をしているかよりも、何のために何処に向かっているか」

だと、今のわたしは確信しています。

 

 

 

 

本日のテーマ 

【グチはためたらいけない

~自分の健康と人間関のために~】

 

 

人のグチを聞いてあげると、

「あーあスッキリした」

と言って、落ち着いてくれることがあります。

こんなときは、聞いてあげてよかったと思うのです……。

 

 

グチは誰でも言いたくなるときがあるものです。

そのグチですが、書籍『プロのカウンセラーの聞く技術』東山紘久著(創元社)では、このように述べています。

 

「グチはためたらいけない!自分の体や人間関係を壊すことがある」

グチや怒りなどのドロドロした感情は、小出しにしていると大した害にはなりませんが、はき出さずに内にため込むと自分の体や人間関係に悪影響を及ぼします。

プロのカウンセラーは、グチでも怒りでも、話し手の中にたまった感情をはき出してもらい、それを自分自身の中にため込まずに上手に外に流し出します。ちょうど、雷の衝撃を受け止める避雷針のような働きをしています。

それではカウンセラーは、いったいどのようにして相談者から受けた強い感情を外に流し出すかというと、聞いた話をすぐに忘れるのです。自分自身の気持ちとグチの内容とを関係させず、そのまま流し去ります。自分の気持ちと相手のグチとを関連づけてしまうと、必ずといっていいほど、グチを言っている相手に批判的になります。ですから、グチを言っているほうも、聞き流してもらう方が実は楽なのです。(略)

グチはたまれば大きなストレスになりますが、逆に、聞き方によっては、いちばん楽に相手のストレスを取る効果があります。ですから、グチを聞いてくれる人がそばにいると、誰でも大きなストレスを防ぐことができます。

 

 

なるほど、避雷針の例えはよくわかりますね。

 

 

避雷針のように受けて、地面に逃がすのですね!

 

わたしは、この本からグチを聞く意義を感じました。

それだけの効果があります。

 

グチの聞き方のポイントも紹介されていました。

①  みずから避雷針となり積極的な聞き役になること

②  相手のグチを自分の中に入れず、聞き流すこと

③  自分自身の気持ちとそのグチを関係させないこと

④  グチの対象になっている人をかばわないこと

⑤  親身になって聞いてあげること

 

 

参考にして身近な人のグチを聞いてあげたいと思います。