毎日積み重ねる『自分づくりの授業』
本日のテーマ

【大きな器量から学ぶ】

 

 

わたしは「器量」をこのようい考えています。
1 受け入れるスケール(人・出来事)
2 発想するスケール(考える規模の大きさ)

 

本日は、「大きな器量から学ぶ」というお話です……。

 

 

人生では、人や出来事から影響を受け、学ぶことで、自らを成長させることができます。

そんな場面に出会ったとき、学んだことをしっかり精神に刻むよう心がけてきました。

今回、しっかり精神に刻みたいと思った“人の器量”がありました。

 

最近、小説家の曽野綾子さんの著書『人間の基本』新潮新書 を読みましたが、“凄い器量を持つ人物”が紹介されていました。

 

以下引用――
1972年にチリのアンデス山中で飛行機が墜落し、生き残ったラグビーチームの16人は凄絶な飢えと闘う中で、死んだ人の肉を食べることで命をつなぎました。救出された人たちを迎える会で、息子を亡くした父親は生還者にこう語りかけます。
「私は医師としてこうあることを知っていた。ありがたいことだ、16人を生かすために、死んだ何人かがいたのだから」(略)
クレイ・ブレアJrの名著『アンデスの聖餐(せいさん)』の中に出てくるこの父親の言葉は、私にとって終生忘れられません。同じ場面で「息子の肉を食った奴の顔など見たくない」と感情をあらわにして怒りをぶつけることもできたはずです。しかし、自分の息子が死んで食べられたのは事実としても、それによって誰かの命を救ったのなら喜ばしいことではないか――この父親の言葉こそ、本当の人間だけが発することのできる言葉だと思うのです。



墜落した機種



墜落した機体


思わず自分の立場で考えました。
もし自分の子どもだったら。

……言葉になりません。

 

自分のことだけでなく、他の人々の立場、心理、状況、結果、今後の事を冷静に捉え、考えられることが凄い器量の大きさです。
とても大きな器量を持つ人格者の立派な態度に感銘を受けました。