毎日積み重ねる『自分づくりの授業』
本日のテーマ

【傷ついた心から“気づき”という芽が育つ】

 

 

心が傷ついたとき、どうしていますか?

 

生きていれば
 不運な出来事…
 失敗…
 トラブル…
 人間関係のこじれ…
などで、心が傷ついてしまうことがあります。

 

誰もが経験していることではないでしょうか。
わたしも何度も何度も心に傷を負ってきました……。


その心を時間が癒してくれることもありましたが、考え方で傷を癒せることもできると気づいていきました。
それだけでなく、傷ついたからこそ成長できることにも気づいたのです。

 

自然界の生き物には傷ついたからこそ、より強く再生する力を持つ生き物がいます。
植物で言えば、カエデの木がそうです。

 

アメリカインディアンは“カエデの木の再生力”についてこのように言っています。
「自然界には偉大な癒しの力がある。木々は自ら再生する力を持っている。カエデの木を切ってみれば、木はそこから自らを再生することがわかる。切られたカエデの木から十から二十の新芽が出てくる」


切ったところから二十の芽が出るとは驚きです。
傷ついたところから更なる細胞が育ちはじめ、切られる前よりたくましく成長するようになるのです。

カエデの木の再生力は今まで以上に幅を広げた生き方ができることを教えてくれているように思いました。

 

この話を知り、わたしは自分の過去の経験を思い出し、“なるほど”と納得しました。
その経験とは、若い頃の交通事故で大ケガをするのですが、事故をする前より、事故後の方が、自分が強く成長していたことです。

 

ケガをした左足の傷跡と後遺症が残りましたが、しかし心はカエデの木のように再生しました。

 

 

カエデの木のように傷ついたからこそ新芽が出ることができたのです。
その新芽とはケガから学んだことでした。
それは痛い思いをし、不自由な生活を強いられて気づいたことです。

 

 足一本の存在のありがたさ…
 健康のありがたさ…
 歩けることのありがたさ…

 

肉体は傷ついても“心に気づきという新芽”がいくつも芽生えました。
このことから人間もカエデの木のように心の持ちようで自らを再生することができるのだと実感しました。

 

人の心は傷つきやすいものです。
特に純粋だったり、優しかったりすればなおさらのことです。
しかし傷ついた心でも自分次第で再生ができるのです。
いや言い方をかえれば、“傷ついたからこそ新芽が芽生えることができる”のです。

 

 傷ついたからこそ、
  痛みがわかる…
 痛みがわかるからこそ、
  傷つけてはいけないことを知る…
 知ることができるからこそ、
  何が自分にとって大切かがわかる…
 大切なものがわかるからこそ、
  成長できる…

 

わたしは毎朝瞑想していますが、その瞑想をはじめる前に必ず自分の身体に感謝しています。

「昨日も健康でいてくれてありがとうございました。今日も一日よろしくお願いいたします」と……。


もし、あのときの交通事故を経験していなかったとしたら、このように自分の身体に感謝することはなかったでしょう。

 

 

サン・テグジュペリの言葉…
「生きる、ということは徐々に生れることである」