毎日積み重ねる『自分づくりの授業』
本日のテーマ

【本質を求めて生きる

~本質を見失わないために~】

 

 

わたしの生き方のテーマの一つに、
「本質を追究する」
があります。

 

本質とは、
物事の根本的な性質・要素。

そのものの本来の姿である、正体・真髄という意味です。

 

例えば、問題事が起きた場合、本当の原因は深く掘り下げなければ現われてこないことがありますが、本質は根本を見つめることなのです……。

 

 

基がしっかりしていないと何をやってもダメ。
 建築物でも、土台が傾いていたら、建物は真直ぐには建たない…
 植物でも、根がしっかり伸びていなければ、大きく成長することができない…
ということになり、根本がダメなら何をやってもダメなのです。

この根本の原因こそが本質を表します。

 

これと同じように、人の健康も偏った考え方では本当の健康にはなれません。

本当の健康とは、身体の健康だけでなく、心の健康も必要です。

二つの健康が揃って、はじめて本当の健康になるのです。
だから本当の健康の本質とは、身体と心の健康のバランスということになります。

 

本質は、本当の原因や理由を指すことで、解決できない問題事などは、よくよく考えると、その理由に「本質を突いていない」ということも多々あったりします。

 

本質を見失うと、
 ブレル…
 迷う…
 正確な答えが出せない…

ということになるからです。

 

本質を突くには、浅はかな考えや知識では難しいでしょう。
 知識…

 知恵…
 偏らない考え方…
 追究…

そのような力が求められるでしょう。

 

本質に行きついた時に、わたしはいつも、

 説得力がある…

 なるほどと思える…
 素直に受け入れられる…

そんな感じがするのです。

 

以前に新聞で、ケネディ大統領の演説を集めた書籍『ケネディ演説集』が紹介されていました。

 

 

そこに書かれていたケネディ大統領の説得力ある話に、わたしは思わず“本質”を感じました。

 

国連総会演説ではソ連と国民に、
「もし、両国が十分に安全でいるためには、われわれは、水素爆弾よりもはるかにすぐれた武器(略)が必要。それは平和的協力にほかならない」
と言い切ったのです。

 

平和のために必要なことは、どちらが強いかではなく、両国同士が平和の尊さに気づき、お互いを理解し、協力し合うことです。
これこそが平和のために必要な本当の答え、すなわち本質ではないでしょうか。

 

その他にもわたしが本質を突いていると思った言葉を紹介しましょう。

 

ブッダの言葉…
「真理は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない」
……平和を維持するために争わないことが“平和の本質”ではないでしょうか。

 

ジュベールの言葉…
「子どもには、批判よりも手本が必要」
……子どもへの教育は親や大人が言葉や活字で教えるのではなく、手本を見せることが“教育の本質”ではないでしょうか。

 

日本の故事…
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
(意味は、世の中にあるすべてのもの、自然や人、建造物など、一切のものが消滅し、死滅し転変を免れない)
……何一つ不変ものはないということが“自然界の本質”ではないでしょうか。

 

チェスタートンの言葉…
「人はあるいは宇宙を知っているかも知れない。しかし、自己は知らない。自己はどんな星よりも遠い」
……自分を知ることは難しいこと。自己を知ることが難しいと理解することが“生き方の本質”ではないでしょうか。

 

ボスハルトの言葉…
「死のない生とは何か? 死がなければ生を重んじる者はないだろう」
……死は恐れるものではない。死は生きることを重んじるためにあると考えることが“良い人生を歩むための本質”ではないでしょうか。

 

ヴォルテールの言葉…
「真の欲求なくして真の満足はない」
……間違った幸せ(快楽など)を追い求めていても、本当の幸せを手に入れることはできません。正しい欲求をすることこそが“満足の本質”ではないでしょうか。

 

二宮尊徳の言葉…
「大事をなさんと欲せば、小なる事をおこたらず勤むべし、小積りて大となればなり」
……一人では大きな事はできない。小さな事の積み重ねで大きな事ができるようになる。これこそが“努力の本質”ではないでしょうか。

 

わたしの母の言葉…

「子どもを育てるうえで一番大切な教育とは何か? それは親のあなたが素敵な人間になること」

……まさしく“教育の本質”を突いている言葉です。わたしはこの言葉を一生涯心に刻み、子孫に残したいと思っています。

 

本質とは「正体・真髄」を表します。
世の中には、
 正しい事、間違った事…
 善と悪…
 表と裏…

を見分けて判断しなければならないことがあります。
この時こそ本質を見つめることが必要なのです。