毎日積み重ねる『自分づくりの授業』
本日のテーマ

期待しない(2)~見返りを求めない心~

 

 

今までの人生で、多くの人たちとの出会いがありましたが、その中には親切にしてくれた人がいました。

 

その後、その人から

「今度はあなたがわたしに何をしてくれるの…」

と見返りを求められたことがありました。

そのとたん、ガッカリして人間不信になってしまいました。

 

日常の生活の中で、私たちはよく「求める」ことをしています。

家族でもそうです。

日頃、奥さんが食事の支度や家のことをしてくれていますが、それがあたり前になり、やっていて当然という感覚になってしまいます。

すると、やってもらわないと不満を感じてしまうのです。

 

求める気持ちは、相手が期待通りにしてくれなければ不満を感じたり、こちらがやってあげたことに相手が応えてくれなければ、ガッカリしたり、相手を批判する気持ちになったり、ときには怨むまでエスカレートしてしまうことすらあります。

 

 人に親切にしたのに、お礼を言われなかった…

 やってあげたのに、何もしてくれない…

 自分は夫だから、妻がやってあたり前…

 自分は役職が上だから、部下がやってあたり前…

 お金を払っているのだから、サービスされてあたり前…

 自分は高齢者だから、席を譲ってもらってあたり前…

 

 家族だから…

 目上だから…

 権利があるから…

 

すべて、見返りを求める心がつくりだした不満の感情です。

 

わたしは、あるとき気づきました。

「自分は見返りを求めることがある」

自分の期待していた通りにならなければ、相手を責めてしまう。

それは、相手の反応によって、自分の心が影響を受け感情が乱されてしまっていることでした。

自分自身の精神がみみっちくなってしまっていたのです。

 

もし、見返りを求めることをしなくなったらどうでしょう?

 求めなければ、相手に期待をしません。

 求めなければ、腹を立てることがありません。

 求めなければ、批判をするこがありません。

 求めなければ、相手を怨むことがありません。

 

求めなければ、相手がどうであれ、自分の心は動揺しないのです。

 

武士道には見返りを求めない一方通行的な精神があります。

武士は、あくまでも、世のため人のために自分が一方的にすることであり、その見返りを求めることを恥としていました。

武士は志を持ち、事を成すために日頃より穏やかな心を維持することを重んじていました。

 

そのため見返りなどを求めなかったのでしょう。

 

 

見返りを求めない、“優しさ”“行動”ができる人こそが立派な人ではないでしょうか。