基本的には、いじめっ子(犯罪加害者)といじめられっ子(被害者)は、自己愛型と萎縮型メランコリー親和型の関係にある。

他人の痛みを想像できない幼児脳の自己愛が、やさしくて大人しいメランコリー親和型の人を操作的・攻撃的に痛めつけるのが典型である。

自己愛アリ地獄のエサにされる優しい人~「小さな物語」という蟻地獄~

自己愛+自閉症+年功序列の組み合わせが日本の環境を最悪にさせる

いじめられる人は最初から決まっている~イケメン=善、ブサイク=悪 ~

「ぐずる」と「あやす」が日本の職場や学校の環境を悪くする根源

スポンサーリンク

上記でも書いた通り、パレートの法則で2割の加害者と、6割の中間の傍観者と、2割の被害者の味方が潜在的にはいる。

大雑把に見れば、8割方は加害者たちに対して「おかしい。被害者を助けたい。何とかしたい。」とは思っているのである。


シンデレラ症候群+ストックホルム症候群とは何か

ただ怖いのは、被害者がシンデレラ症候群(自分は不幸なお姫様として、不幸を自分への気を引く手段として好む)のように犯罪行為される自分に酔っている場合がある。

しかもそれでいてストックホルム症候群のように、被害者が加害者(犯罪者)に「犯罪者も可哀想な生い立ちがあったんだよ・・」と同情してしまっているパターンである。
(現実はそんなことはなく被害者側の方が加害者側より100倍以上、可哀想な生い立ちである)

自分が理不尽に傷められつけすぎて、その不幸な自分に自己陶酔してしまい、さらにその不幸イベントを用意してくれる加害者に「あの方は試練をお与えくださる素晴らしい人だ。」と好意さえ抱いていることがある。

かつて旧ソ連や中国共産党が行った洗脳方法のように、どんな暴力をしても逃げられないと相手に思わせれば、人間はその環境に順応してしまうのだ。

DVなど逃げられない(と思い込んでいる)ときにも起こりやすい共依存である。

被害者を助けて裏切られる時

そんな状況にある彼・彼女らを良かれと思って助けようとするとカウンターを食らうことがある。

被害者は「不幸で居続けたい」のと「自分は何も悪くない」というゴールデン・ゲージ(金の檻)の中にいるので自己防衛する。

すると散々いろんな人が、悩む被害者をみて「大丈夫?大丈夫?こうすればいい、ああすればいい、手伝うよ、守るよ」と声掛けして擁護的な行動してきても、
当の被害者の本人が「くそー!あの加害者の野郎!許さねぇ!」と怒るのではなく、
「私は何も悪くありません」「私のために実行してくれた人達がいるのです」「みんな仲良くしましょう」とやってしまって、
味方として擁護してきた人たちへ加害者の攻撃の矛先が変わってしまうことがある。

味方で擁護してきた人たちからすれば、お金を借り逃げされたような気分となる。

恩着せがましい思いはあったにせよなかったにせよ
「お前のためを思って助けてたのに・・」
「なんで裏切るんだ・・」
「結局、自分だけが大切なのかよ・・」

と被害者に呆れ果てて失望してしまう。

そして被害者の味方は被害者から去っていく。

被害者は「やはりみんな私を裏切るのね・・」「私はなんて可哀想で不幸なシンデレラ・・(みんな私をかまって)」と更に不幸への自己陶酔を高めるのである。

この循環(ループ)に本人も気付いていないので、自分が本当に追い込まれる状況まで自分を追い込まないと気づかないのだ。

パワーハラスメント(パワハラ)やセクシャルハラスメント(セクハラ)も、被害者の本人が御旗を持って中心で訴えないと意味がない。

DVや虐待やパワハラやセクハラの場面を横目で見ながら、助けたいがために歯がゆくも後ろ髪を引かれるような思いに周囲がなるのはそのためだ。

被害者が被害を訴えれば味方は山ほどいるのだが、
当の被害者の将軍が「味方してくれ」「味方してくれてありがとう」と言いながら仲間を集めたと思ったら、急に将軍の座を降りる。
そしてあろうことか加害者の敵将にひざまずいてしまう。
大番狂わせで味方してくれた人が、敵将に狙われる袋のネズミになってしまうのだ。


対処法

こうならないためには、あくまで被害者本人が実行をするように周囲で応援するしかないのである。

また加害者側を法律的に違法・不法であるという土台に乗せてしまえば、被害者は不幸へのループへと自己陶酔する流れを止めることができる。
感情的な負のループが、現実的に法的な手続きの段階へと進むためである。

「自己愛の被害者」も、実は加害者と同じように自分の自己愛を保つために自己愛的になることがある。

「類は友を呼ぶ、朱も交われば赤くなる」ように、「アリ地獄にハマるアリを助けようとしたら、よく見たらアリ地獄二匹だった」ということがあるので注意が必要だ。

環境的に切り離したところで加害者と合わないようにしながら策を練ることが大切だ。