小さい頃は、母親が担任の先生に

「うちの子、スキップも上手にできないくらい運動音痴なんですけど、大丈夫でしょうか?」と相談するくらい、体育が嫌いでした。

 

担任の先生は「横断歩道が渡れれば上等ですよ」と仰って、図工や音楽の時間に褒めて伸ばしてくださった気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校で6年間かかっても、逆上がりも、二重跳びも、跳び箱もできなかったけど

 

 

大人になってから、スキューバダイビングに出会い、世界中の海やダハブの沈没船に潜ったり

 

ボルダリングを始めて、トドラ渓谷を素手でクライミングしたり

 

インドのリシュケシュにヨガ留学したり

 

何日もラクダに乗ってサハラ砂漠を横断できたりするので

 

学校の体育の時間って、あんまり意味がなかったなと思っています。

 

 

 

 

 

15歳の義務教育までは私も、恥ずかしながら

「でも」「だって」「出来ない」が口癖でした。

 

「日本から出たことないから、英語を喋れない」

(単に人や文化を理解する努力、喋る努力をしなかっただけ)

 

「地図が読めない」

(治安の悪い国で迷えば、死ぬ気で読めるようになる)

 

「凄いですね!私には絶対出来ないです!」

(言葉通り、一生無理でしょうね)

 

いやー、「出来ない」って言ってりゃ楽だよね。

「出来ない」って言って甘えられるんだから幸せだわ。

 

そんな人間ばかりだったら、人類は深海にも潜れず、空も飛べなかったでしょう。

 

ラクダや象に乗る時だって最初はものすごく苦労するんだから、車の運転だって、要は数をこなしていない、慣れてないだけ。

 

(運転免許だけはとりあえず挑戦してみて、世のため人の為我が子の為に返納させていただきました)


 

私がこれから志願するJobトレーニングでは、答えはいつも「Yes, sir

 

「出来ない」という答えは、最初から用意されていないし、許されていない。

 

尊敬するお客様に「君にはpassionがあるから、トレーニングは大丈夫だ」と太鼓判を押していただいたのだけど、

 

それは裏を返せばキリスト教ラテン語のpassioそのものじゃないのかと思った。(英: the Passion
 

自己限定枠を破れ、ヘッセがデミアンにして曰く「人は産まれ出ようとしてもがく」

 

 

やりたいことをやるために、好きなものを好きだと言うために、僕らは生まれてきたんだ。

 

EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)-はじまりの物語-

 

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

 

 

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