こんにちは!
佐伯です。
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メルマガにお返事いただいので、ご紹介しつつ、どう考えていったらいいか一緒に考えていきましょ~。
僕の回答が正解なのではなく、「僕はこう考える」っていう参考情報です。
あと、僕は、かなりのゲーマーなので、世間一般で言われているゲームについての考え方と逆に言っています。
なので、モヤッとしたり、ザワッとしたりすることはあるかもしれません。
でも、気にせず行きます(笑)
ちなみに、「ゲームの悪影響の正体は、『子どもが親の想い通りにならない』とい問題意識」についてのお返事です
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佐伯様
こんにちは!いつもブログやメールを楽しく読ませてもらっています。ありがとうございます。
今回の、ゲームの悪影響の正体、を読んで考えさせられました。
私の長男は、朝早くから、放っておけば一日中ご飯も食べず寝ることもせずゲームをしています。
それも彼の個性なのかなと思って、好きにさせていました。
ごはんだよ、と呼べばすぐに来るし、もうやめようと声をかけたらやめられていたから、まあいいか。と問題視していませんでした。
皆が出掛けても、自分はゲームがやりたいからと家に1人残ってゲームをしていることもありました。
ただ、私が始めに気になったのは、ゲームをしている時の表情です。
笑わないし無表情で、まるで人形みたいで、
これって、これって、何かに似てるとおもったら携帯をずっと見てる時の私。
やめたいのにやめられない。みんなと行動したいのに携帯から目を離すことができない。
邪魔されると本当にイライラする。
私はそんな状態の自分がきらいです。
なので、意識的に携帯を見ないように生活をコントロールしています。
もしかしたら、長男もそうなのかな。と思い、ゲームをたくさんしてる自分て好き?と聞いてみたら、ゲームをずっとやってる自分は好きじゃない。と言いました。
みんなと遊んでる自分は好き。だそうです。
長男は、私が携帯をやめられないときのように苦しんでいたのかもしれない、と気付きました。
これから、どんな風にゲームと付き合っていくのか、彼とよく話し合って決めたいですが、なんでも許して無制限に好きにさせることはいいことばかりではないんだ、と気付きました。
レアケースだとは思いますが。
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ありがとうございます!
これ、よく言われるケースですね!笑
「子どもがゲームをしている表情がヤバい」
「子どもがテレビを見ている時の表情が何も考えていなさそう」
みたいなことは、よく言われます。
相談とは書かれていませんが、僕にメールを送ってくれているので、思ったことを色々と書いていこうと思います。
個人的には、
「どんな顔してゲームしてても、ええやろ(笑」
って思うんですけど、ゲームをしている表情にも問題意識が生まれ、何とかしたくなったり、制限をかけたくなる親は決して少なくありません。
問題を発見するプロです。
そして、自分に対しても問題を発見し、自分を嫌って、自分を苦しめちゃう。
自分がそうだから、きっと子どももそうに違いない!と思って聞いてみれば、案の定同じだった。
そうやって、親子共々、苦しい方を選択して、悩み、苦しみ、何とかしようとします。
>笑わないし無表情で、まるで人形みたいで、
って思っちゃうと、これは裏返せば、
「ゲームをしている時には、笑っていなければならない」
「ゲームをしている時には、表情が豊かだったり、何らかの表情の変化が見られないといけない」
「ゲームをしている時には、定期的に表情を変えないといけない」
っていうことが前提に必要です。
もし、
「ゲームをしている時には、笑わないことくらいあるでしょ」
「ゲームをしている時には、無表情になることくらいあるでしょ」
って思ってたら、
「笑わないし無表情で、まるで人形みたい」
っていうことに悩まないし、問題だと思わないですよね。
ここが気になるということは、
「ゲームをしている時には、笑っていなければならない」
みたいな『べき』がある、っていうことです。
ゲームしている時の表情まで強制されたら、安心してゲームできひん、って(笑)
って思うんですけど、そうじゃないのかしら。
僕も、よく無表情でゲームするし、なんなら眉間にしわを寄せることはあります。
ゲームしてて笑うことなんて、まずありません。
いや、ゲームってそんな笑いどころあったっけ・・・?
友達とやっている時は、笑うこともあるけど、一人でいる時は基本無表情だし、笑わんよ。
逆に、一人でゲームしてて、
「わっはっは!」
とかやってたら、それこそ心配やわ・・・笑
それから、
>更に、弟たちがやりたいと近寄っていくと急に大声で怒ります。
これも子どもあるあるじゃない?
子どもが、友達や、きょうだいが、
「そのおもちゃ貸して」
「僕にもやらせて」
って来たら、本人が
「ダメ!」
って言ったり、怒って追い返したりすること、よくありません??
少なくとも、僕はよく見かけるし、色んな親からそういう相談を受けるし、僕自身も子どもの頃、妹に対してやってました(笑)
でも、今は妹とは仲良しです。
これも、
「親がそこを問題だとするかどうか」
って話です。
「皆が出掛けても、自分はゲームがやりたいからと家に1人残ってゲームをしていることもありました」
って書いてくれているように、メールの後半では、
「ゲームをずっとやってる自分は好きじゃない」
っていう発言を書いてくれていますが、少なくともやりたくてゲームしている時もある。
そしたら、もっと自分がやりたい、やらせたくない、代わりたくない、って思うこともあるよね。
そこに怒りを交えて追い返しちゃうこともあるでしょうよ。
で、大事なことは、
「それを親が問題だとするかどうか」
です。
問題だとすれば、親はそこについて悩み、何とかしようと試行錯誤しながら、子どもに関わっていきます。
「この子には問題があるから、何とかしなければ」
ってなります。
そして、親に「あなたには問題がある」って思いながら関わられるから、子どもにも次第に、
「自分には問題があるのかも」
って思い始めて、自信を失い、自分を責め始めます。
自分を責め始めた子どもは、同じように自分を責めてくる弱者に対して、怒りの鉄槌を振るいます。
親から言われたら、
「自分には問題があるのかも」
って思うんですけど、弟や妹など、自分よりも弱いと思っている相手に対しては、
「自分に問題があるように思われたくない」
っていう気持ちが働きます。
だから、親に対してよりも、弟や妹に対しての方が、強く怒りが出て、高い攻撃性を発揮します。
なので、親から問題視されている子どもは、よくきょうだい間で衝突します。
しかも、この衝突はけっこう激しい。
このメルマガでも過去に何度も書いてきていますが、子どもの機嫌は、親の機嫌と連動しています。
子どもを問題視している親の機嫌は、乱れがちだし、落ち込みがちだし、焦るし、怒りやすい。
だから、子どもにもそんな気持ちが伝染していきます。
逆に、親が問題視をやめて、ご機嫌で、それこそニコニコする機会を増やせば、子どももご機嫌でいることや、ニコニコする頻度が増えます。
そして、きょうだい間のいさかいは減ります。
減るだけで、無くなりはしません。
きょうだい間の衝突は、基本的には、
「コミュニケーションの練習」
です。
自分の気持ちを上手く表現したり、相手の話を聞いて理解したりする練習です。
でも、親から問題視されている子どもは、
「親に、僕の気持ちを分かってほしい!!」
って言うことができずに、その鬱積を弱い相手にぶつけます。
なので、この喧嘩は、和解しにくいです。
ストレス発散のための攻撃だし、自分の気持ちを分かってほしいのは、攻撃している相手じゃなくて、
「親」
なので。
親が問題視をやめていると、子どもは純粋に、
「相手に、自分の気持ちを理解してほしい」
って思うから、それは自分と相手との関係性なので、喧嘩をしていてもほっといたら和解していたりします。
親が子どもに問題を発見して、問題視することは、こんな感じで、子どもに影響を与えていきます。
なので、今回、メールで送ってくれた話は、
「ゲームしていること」
「ゲームしている時の表情」
「ゲームをしている時に、弟たちが『やりたい』と言ってきた時にキレること」
「ゲームをずっとしている自分が好きじゃないと言ったこと」
などは、ぶっちゃけどうだっていいんです。
そりゃ、ゲームをしている自分のことは好きじゃないよ。
だって、親からゲームをしていること(表情とか、弟たちへの態度も含めて)を問題視されているんだから。
子どもにとっては、特に、男子にとっては、
「お母さんから認めてもらうかどうか」
によって、人生がばら色にもなるし、地獄にもなります。
なので、母親が、息子を、
「この子には問題がある!」
って思ったら、息子は、
「自分には問題があるんだ」
「自分は母親から愛されない、認められないダメなヤツなんだ」
って思うようになる。
自分のことをそう思っている子どもが、自分のことを好きなわけないじゃん?
親が子どもに問題を発見する
↓
子どもが自分を責める
↓
子どもが自分を好きじゃなくなる
っていう流れです。
その流れがどこから来ているのかは、メールにも書いてくれています。
「携帯をずっと見ている時の私が嫌い」
です。
これも、
「携帯をずっと見ててもいいでしょ(笑」
って思うんですけどね。
もちろん、携帯をずっと見ている時の私が嫌いな理由は、この方の中に、
「携帯をずっと見ててはいけない」
っていう固定観念があるから、です。
「携帯をずっと見ててもいい」
って思っていたら、携帯を見てても、見てなくても、そんな自分を好きになったり、嫌いになったりはしません。
どっちでもいい。
「携帯をずっと見ててもいい」
って思っても、
「携帯をずっと見ている自分が大好き!!」
って・・・思わんよね(笑)
どんだけマニアックな嗜好なんだ。
携帯を見たくないなら、見なかったらいい。
携帯を見たかったら、見たらいい。
どっちでもいいし、そこは自分で選べる。
で、この方は携帯を見ているから、
「携帯を見たい人」
です。
でも、そこに、
「携帯をずっと見ててはいけない」
があるから、携帯を見たいんだけど、見たら自分責めを始めてしまう。
勘違いしてほしくないのは、僕は、
「自分を嫌ってはいけない」
「自分を責めてはいけない」
って言ってるわけじゃない。
自分を嫌うこともあってもいいし、自分を責めることもあってもいい。
僕が思うのは、
「携帯を見たい自分を押し殺して、『携帯をずっと見ることはダメなことだ』って思って自分を罰しているのって、辛くないのかなぁ」
ってこと。
携帯・・・今ならスマホかな?
スマホを見るのは楽しいよ。
楽しんだっていいよ。
友達からのLINEも、
Twitterで色んなひとのつぶやきを見るのも、
インスタで色んな人の写真を見るのも、
Youtubeで楽しい動画を見るのも、
Kindleで漫画や本を読むのも、
スマホでゲームをするのも、
スマホアプリでゲームをするのも、
どれも楽しい。
世間一般では、こういう楽しいことを長時間していると、
「スマホ依存だ!」
「スマホ中毒だ!」
って言われちゃうんだけど、楽しいことはそんなに悪いことかなぁ??
自分が楽しい気持ちになったっていいじゃん?
なんで、子どもが笑っていないことや、無表情なことが気になるのかと言えば、もしかしたら、
「自分が楽しめていないから」
かもしれないよねぇ。
この「楽しい」も、10点で考えると、1点~10点までの様々な「楽しい」があっていい。
3点くらいの楽しみをずっとでもいいし、2点や、5点、8点、10点など、様々な楽しみを体験してもいい。
10点の楽しみを探し求めてもいい。
これは、カウンセリングでよくある手法なんだけど、
「~してはいけない」
を、
「~したい」
と思ってみる。
「スマホを見るのはいけないことだ!」
って思っているのを、
「スマホを見たいんだ!」
に思い変えてみる。
スマホを見たくて見ているんだろうから、ちゃんと自分で、
「私は今、スマホを見たい」
って思ってから、スマホを見るようにする。
いや、「スマホを見たい」とは思わんか(笑)
スマホを解体したりするような人やな、それって。
「スマホゲームをしたい」
と思ってから、スマホゲームをするようにする。
「Twitterを見たい」
と思ってから、Twitterを見るようにする。
「Kindleアプリで本を読みたい」
と思ってから、読書するようにする。
「Youtubeで、ヒカキンの最新の動画を見たい」
と思ってから、ヒカキンの最新の動画をチェックするようにする。
そして、ここがめっちゃ大事なところなんやけども、
「やり終えたら、『あ~、楽しかった!』って言う」
です。
やりたいことやれたんだから、楽しかった!ってちゃんと思うようにする。
「~をやってはいけないのに、やっちゃう」
っていう人は、往々にして、
「それをやったのに、自分を責めて、楽しい気持ちまで否定しちゃう」
んだよね。
やって楽しかったんなら、
「あ~、楽しかった!」
って思ってもいいじゃん?
で、ちゃんと「やりたい」と、「楽しい」を意識できるようになると、なんと、
「これは楽しくない」
ってことも分かるようになってきます。
「楽しい」
に気付けるということは、
「楽しくない」
にも気付ける。
「楽しい」
に気付けないということは、
「楽しくない」
にも気付けない。
だから、スマホを見る時間が長くなっていくんです。
スマホで楽しいことばっかりやって、楽しくないことをやめていくと、
「スマホをずっと見ている」
なんてことは無くなっていきます。
それこそ、
「自分が楽しい範囲で、スマホと上手く付き合う」
ができるようになります。
子どものゲームも同じです。
親がゲームを問題視すれば、子どもはゲームでの「楽しい」と「楽しくない」が区別できなくなるから、ゲームと上手く付き合えなくなります。
僕らが、スマホや、ゲームと良い距離感を保てるのは、
「楽しい」
「楽しくない」
「やりたい」
「やりたくない」
「今はハマってる」
「もう飽きた」
など、自分の心と体で感じていることに気付けるから、です。
でも、
「ゲームをする時は、笑っていないといけない」
「スマホをずっと見るのはいけないことだ」
っていうのは、頭で考えていることだから、ここが強くなると、心と体のセンサーが鈍ります。
自分に対して問題視をやめれば、スマホを初め、家事、夫(妻)、両親、学校、勉強、読書、遊び、友達、仕事など、色んなことと上手く付き合えるようになります。
子どもに対しても同じです。
僕はこのことを、
「子どもをゲーム依存にするのは、親の関わり方次第だよ」
って言っています。
親がゲームを問題視すれば、子どもはゲームと上手く付き合えなくなり、ゲームに子ども自身がが求めている以上にのめり込んでしまう。
自分が求めている以上にゲームで遊ぶんだから、その遊び方は自滅的な遊び方になります。
で、その発端は、「親の問題視」から始まっていて、「親の問題視」は、「親の自分自身に対する問題視」から始まります。
なので、この話は、親が自分を問題視するのをやめれば、みんながスッキリハッピーでいられそうだなぁ、って思います。
少なくとも、子どもとの話し合いで解決していく話ではない、って思います。
好き勝手話しましたが、あくまでも「僕はこう考える」っていうものなので、採用できるところだけしていただければと思います。
参考程度にどうぞ!