子どもがゲームに依存することについて | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもがゲームをやる目的は、大きく分けて2つあると思っています。

 

1つは、

 

「娯楽」

 

もう1つは、

 

「現実逃避」

 

です。

 

 

 

娯楽のためにゲームをやる場合は、ゲームは娯楽の1つだから、ゲームもするし、ゲーム以外のこともする。

 

現実逃避のためのゲームは、ゲームをすることで現実から目を背けるためなので、ゲームしかしなくなる。

 

この状態が、いわゆる

 

「ゲーム依存」

 

です。

 

 

 

でも、、、

 

ゲームに依存することは、そんなに悪いことかなぁ。

 

ゲームに現実逃避するのは、そんなに悪いことかなぁ。

 

 

 

ゲームに現実逃避をするのは何も悪いことじゃない。

 

だってさ、僕らはいつだって勇気に満ち溢れているわけじゃなくて、何かを怖いと思ったり、勇気がくじけてしまうこともあるじゃない。

 

 

 

ゲームに逃避する子どもは、

 

「逃避するだけの理由がある」

 

っていうこと。

 

 

 

だから、もし、自分の子どもがゲームばっかりするようになって、それがただの現実逃避なのであれば、

 

「どんな現実から目を背けたいのかな?」

 

ってその目的について考えてみたり、

 

「そりゃ、現実から目を背けたくなることもあるよなぁ」

 

って理解しようとしたり、共感しようとしたい。

 

 

 

逆に、ここでもし、

 

「現実逃避はいけないことだ!」

 

って思ったら、子どもを問題視して、何とかしようとし始める。

 

 

 

そしたら、親の関わりは子どもにとってのプレッシャーになる。

 

子どものプレッシャーになれば、そのプレッシャーからも目を背けるようになっていく。

 

つまり、

 

「子どもを何とかしなきゃ!」

 

って思っている親の関わりが、より現実逃避を加速させていく。

 

 

 

子どもが現実逃避をしている間、親からしたら、

 

「このままずっと現実逃避をしたまんまなんじゃないか」

 

って思うかもしれんから、何とかしようとすると思うんだよね。

 

 

 

でも、ずっと現実逃避しているのも、実はけっこう難しい。

 

なんでかっていうと、暇になってくるから。

 

 

 

親が寄り添って、勇気づけのコミュニケーションができていたら、子どもが暇になったタイミングで、子どもはそっから勝手に動き出す。

 

現実逃避をやめて、動き出して、少しずつできることができてくる。

 

 

 

そして、また勇気がくじけたら、ゲームに頼る。

 

ある程度、ゲームで癒されたら、また暇になって、動き出す。

 

 

 

「ゲームに現実逃避する」

 

っていうのは、言い換えれば、

 

「子どもにとって、ゲームが心の拠り所になっている」

 

っていうことでもある。

 

 

 

僕らも何かをお守りにしたり、何かを頼りにしながら生きていると思うのね。

 

心が弱った時に、色んなものに励まされたりすると思うのよ。

 

人の言葉に、

 

テレビや動画、

 

歌、

 

スポーツ、

 

絵、

 

ラジオ、

 

遊び、

 

友達、

 

色んなものに触れて、励まされて、またがんばれる。

 

 

 

ゲームが心の拠り所になっている子どもにとっては、それがゲームだ、っていうだけ。

 

だから、親から、

 

「ゲームはダメだ!」

 

って言われちゃうと、子どもは心の拠り所を失ってしまう。

 

 

 

実際、ゲームをやってきた大人たちの話を聴いてみると、

 

「親がゲームを認めてくれていたから、辛い時期を乗り越えられた」

 

「今の自分があるのは、ゲームのおかげ」

 

「あの時、ゲームをしていたことで救われた」

 

っていう声は、けっこう多い。

 

 

 

現実逃避しているその瞬間だけ見たら、

 

「ゲームなんていけない!」

 

「現実逃避しているなんていけない!」

 

ってなっちゃう。

 

 

 

でも、しばらく現実逃避した後に、また現実に帰ってきて、がんばれるんなら、現実逃避くらいいいんじゃないの??って思うのよね。

 

ただ、未来のことはどうなるか分からないし、ましてや、子どもの気持ちがこの後どうなっていくのかは誰にも分からない。

 

 

 

だから、結局、

 

「子どもを信じるか、信じないか」

 

って話になるんだと思う。

 

 

 

子どもを信じない親は、現実逃避をする子どもを許せないだろうし、

 

子どもを信じてる親は、現実逃避をしてても子どもへの態度を変えないだろうし。

 

 

 

子どものゲームの問題は、ダミーでしかない。

 

それ自体が問題になることはない。

 

ゲームは、親子関係に潜んでいた問題点を浮き彫りにしたに過ぎない。

 

 

 

例えば、心の内側に憎しみを抱えている人に包丁を持たせたら、危ないじゃない。

 

でも、それは「包丁」が悪いんじゃなくて、「憎しみ」と向き合った方がいいよね。

 

 

 

もし、子どもがゲームをやって現実逃避をするんなら、それって、

 

「子どもの勇気がくじけていた」

 

「子どもの現実逃避を許せない自分がいた」

 

っていうことなんやと思う。

 

 

 

だとしたら、子どもの勇気がくじけているなら、勇気づけのコミュニケーションを取ったり、子どもを信じて見守ればいい。

 

子どもの現実逃避を許せないのなら、親が許しても許せなくても子どもには関係ないから、許すしかない。

 

許せないなら、子どもはその間、勇気がくじかれていくから、現実逃避の期間が延びていくだけ。

 

 

 

つまり、

 

「これは子どもの課題だな」

 

と思って手放して見守っておくか、

 

「許せないのは自分の課題だな」

 

と思って自分を掘り下げていくのかのどっちかになる。

 

 

 

子どもがゲームに現実逃避をしたところで、誰かが死んだり、傷つくわけじゃない。

 

何か具体的な被害が起こるわけじゃない。

 

だから、これは特に問題にはならん。

 

 

 

子どもがゲームに現実逃避しててもいいじゃない。

 

子どもがゲームに依存しててもいいじゃない。

 

 

 

何にも依存せずに育っていくことが自立じゃない。

 

むしろ、自分の心の状態を把握していて、適切に依存できていることの方が大事だと思う。

 

それが親に依存するのでも、ゲームに依存するのでもいいじゃない。

 

 

 

だから、子どもがゲームに依存していくことを問題視しなくてもいい、って僕は思ってる。