3歳の女の子と、そのお母さんを轢き殺してしまった老人男性が、事情聴取のために警察署に入っていくところが、ニュースで流れましたね。
画像・記事はこちら


時事通信

※ちなみに、逮捕されなかったことに対して、炎上したそうですが、特に、このケースだけの特別扱いではなく、”逃亡の恐れも証拠隠滅の恐れもなくて、怪我もしている高齢者”の場合は、逮捕せずに事情聴取するのが通例とのこと。


両手でそれぞれ杖を突き、よろよろと歩き、
僅かな段差も、緩やかなスロープも、
自力では登れず、
周囲に助けを求めている様子に、
胸が締め付けられました。

あれほどに、可動域の少ない足で、
アクセルとブレーキを、
俊敏に踏みかえて運転することができると、
思っていたのでしょうか?

(ニュースによると、
事故を起こす前に、既に、
主治医から、運転は控えるようにと
言われていたそうです・・。)

にも拘わらず、

運転を続けていたということは、


何故なのでしょう。



公共交通機関の便が悪い場所に住んでいるお年寄りが、
自分で車を運転できなくなったら、
病院にも買い物にも行けなくなってしまう、
という境遇の方は、

免許の返納を躊躇うというのは、
すごくよくわかります。



東大和市立郷土資料館


たとえば、
ある地域では、唯一の公共の足である個人タクシーの運転手さんが、そのエリアにはたった1名しかいなくって、

しかも、その運転手さんも既に70代だったという、

なんとも絶望的な記事を読んだこともあります。


東京都あきる野市の風景


でも、この池袋の事件の場合、

公共交通機関がなかったというよりも、
もしかしたら、

プライドの問題で、
運転を止められなかったのではないかなと、
思わずにいられないのです。


「運転できなくなっている自分」を、


つまり、老いを、
認めたくなかったのでしょうか?


また、単なる老いというだけでなく、

男としてのプライドみたいな微妙な問題が横たわっているようにも、感じます。



今の若いひとたちとは違って、

今の高齢男性たちにとっては、

自分の車、
自分で運転すること、というのは、

一人前の男としての、
男らしさの表現でもあるように感じるんですよね。





免許を返納する、
あるいは、別の誰かにハンドルを譲るってことは、

自分の老いを認めることであり、
男らしい有能さを周囲に認めさせるチャンスを永遠に失ってしまうような、

恐ろしさを感じたりも、するのではないでしょうか?



画像はお借りしました


どうしても、運転を止めたくない、というご高齢の方に、見ていただきたい動画があります。


「家について行ってイイですか?」の一場面。


できると思っていても、

とっさの時に、動かなくてなって・・・

という壮絶に残酷なお話です・・・・。






アクセルとブレーキを踏み違えた老人は、

少女の身体を車のボディーで壁に押し付けたまま、

アクセルから足を外すせず、

何分間も、何分間も、踏み続けてしまい・・・・

少女の絶叫に気付いた通行人たちが、

その乗用車にとりついて、

アクセルから足を離させようとしたが・・・・。


余りの痛ましさに、言葉を失います・・・・。






身体が衰えたお年寄りが運転するということは、こういうことなんですね・・・・。



田舎の父が、まだ運転してたら、

絶対に、もうやめてと言わなくちゃ!と思いました。




今日もお読みくださり、ありがとうございました。


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