たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

思い出に残る山(34)国師ヶ岳 ・奥千丈岳

2019年02月12日 | 心に残る思い出の山
平成8年6月

大弛峠(8:20)→夢の庭園(8:50~~5)→前国師(9:25)→三繋平(9:30~35)→北奥千丈(9:40~50)→奥千丈岳(10:36~46)

→北奥千丈(11:40~45)→国師岳(11:54~12:45)→大弛峠(13:30)



(小川山か瑞牆山か、廻り目平を過ぎた地点より)

5時20分、間もなく着いた大弛峠は既に車でイッパイだった

雄さんは昨晩、急な仕事が入り帰宅が12時を回っていた

休む時間も無く出て来てしまったので、ここで初めて睡眠を取る事になった

早いパーティはもうすっかり身支度を整えて金峰山方面、国師ヶ岳方面

へと出発するところだった




(略)

8時20分出発

標高は既に2360m 後方は大弛小屋


夢の庭園より金峰山


夢の庭園を抜け再び針葉樹林の中、黙々と高度を稼いで行くと

前方が急に明るくなり岩にガッチリ固められた前国師に出た

ここへ来るまでの急登の途中の事だ

「昨夜の酒が未だ抜けない、寝不足も祟ってきつい」とふとそんな事を洩らした

昨晩、仕事が終わってからI本部長と一杯やってkた」と言うのです

と言う事は酔っ払い運転で来たと言う事ではないか、冗談じゃない!

前国師までの急登を私は文句たれたれだった



(後方、北奥千丈岳)


前国師からほんの僅かで三繋平に出た、そこは樹林に囲まれた小平地で

国師と北奥千丈の分岐点である  どちらも10分ほどで山頂だ

どちらを先に登ろうか・・・私達はジャンケンで決めた

私の勝ちで北奥千丈が先になった






ハイマツが出て来ると山頂はもう目の前

あまりに簡単に立ててしまった事に拍子抜けの感が無くはなかったが

それでも奥秩父最高峰、それなりの貫録を漂わせていた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

北奥仙丈の奥千丈への道標が有り、それを見つけた雄さんは

「此処まで来たんだから行こう」と言う

私が家で調べたガイドによれば確か石楠花新道はキツイ上に

見返りが無いような事が書かれていた気がする

気が進まないまま岩をすり抜け石楠花新道に入った

その名の通り道の両側は未だ花を付けていない石楠花で埋まっている

直ぐに道は急坂に転じた  これでもかこれでもかと容赦ない下降だ

一体どこまで下るのか 「これは帰りが大変」と私はブツブツ

雄さんの口から「引き返そう」と言う言葉は出ない

急下降を過ぎると平坦に成るが展望は木々に隠され林床は苔むした倒木ばかり

まるで深い森を彷徨っている感じで、なお気は晴れない

ジメッとした大気が体の熱を奪った  だんだん無口になる

その時、単独男性が軽快な歩調でやってきた

奥千丈までの時間を聞くと「行き1:00 帰り1:30]と教えてくれた

そして再び足取りも軽く、瞬く間に引き離されみるみる姿を消した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そしてまた急下降が始まった  全く先が読めない

唯一の頼りは男性が教えてくれたコースタイムだけだ

「此処まで来たら後戻りできないか」と覚悟を決めたら緑一色の

幽玄な世界に目を移すゆとりが出てきた


下降も終わり再び平坦になった道をだらだら行くと先ほどの男性が

リュックを下ろして休んでいた

「ここが・・・山頂!」 キツネに摘ままれた様だった

(略)

苦労の割に見返りが無いとは、この事かと苦笑するしかない山頂を後に

一つ目、二つ目と辛い登りをクリア・・・

北奥千丈に戻り、そこで休んでいた登山者と一言、二言 言葉を交わし

国師ヶ岳へと歩を進めます


南方が開けているので本来ならば富士山が見えるはずなのに今日は

ガスの中に身を隠し唯一西側にドッカリ坐す北奥千丈が望めるだけだった




登り始めて休憩らしい休憩を取らずに来てしまったので

ここで初めて長い休憩をとった  何気なく雄さんの靴に目をやると

100座を迎える前に足首の部分が綻び始めている

楽しい事や辛い事がイッパイ詰まった靴だ

近くに居た登山者が靴を撮ってどうするのだろうかと

怪訝そうな目を向けている

さてと帰り支度をし、もう一度周囲に目を向けると左側の谷から吹き出す様に

濃霧が押し寄せ、みるみる北奥千丈を飲み込み全ての視界を閉ざしてしまった






夢の庭園を過ぎ大弛小屋で一息

コーヒーを片手に今日の行程を振り返った

奥仙丈はただ苦しんだだけの頂だったが足を延ばした事により

奥秩父らしい雰囲雰気を味わう事のできた価値あるものだった

(略)


二泊三日で甲武信~国師~金峰を廻るという単独の女性

世の中には凄い女性が居るものだ

感心して話を聞いている内に小粒の雨が落ちてきた

暫くは本降りになる気配はみられなかったが身支度をして車に戻った

今日の日帰り入浴は川上村の居倉(500円)


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは、 (takezii)
2019-02-12 18:49:56
懐かしい。大弛峠から国師ガ岳、北奥千丈岳。
私共も 約15年前、2004年に訪れました。
(金峰山ピストン後だったこともあり 体力、時間の余裕無く 奥千丈岳ピストンはしませんでしたが)
数枚の写真が残っており 引っ張り出して見ていますが たかさんご夫婦の約23年前の写真と比べると 道標や階段等 かなり新しくなっています。23年前の写真、やっぱり 貴重な写真だと思いますね。 
写真から蘇る山の思い出、心の宝物ですね。

思い出に残る山 (イケリン)
2019-02-12 18:53:39
平成8年といえば、今から20年以上も前のことゆえ
当時のご主人もたかさんも元気一杯だったのですねぇ。
(もちろん今でも元気一杯のご様子ですが・・・)
ご主人は、ろくすっぽ睡眠もとらずに、これらの山を踏破されたのですから、すごいの一言です。
山が好きだからとはいえ、生半可な気持ちや体力ではできないことですね。
この登山靴が歴戦のツワモノぶりを物語っています。
こんばんは~ (たまボブ)
2019-02-12 20:02:29
大弛峠から国師岳、このコースも是非行きたいところなので楽しく拝見しました。
それにしても前夜にちょっと一杯ひっかけて、そのまま寝ずに運転なんて
若さの成せるところですね、たかさんの驚き加減も十分想像できましたよ。
僕の最初の登山靴、GORO製の革靴で八ヶ岳や那須連山に連れてゆきましたが、
今は屋根裏で眠っています、思い出があるのでなかなか捨てられません。
Unknown (野付ウシ)
2019-02-13 09:28:56
こんにちわ。23年前?元気バリバリの時期でしょうか。夜中までお酒を飲んで山へ出かける..先の事を心配することも無し、若いからできたことでしょうね。
それにしても感心するのは、しっかり記録を残していることですね。多くの山で詳細な記録を写真とともに残すのも大変なことです。分厚い本が書けそうですね。雰囲気からその時代を感じ取れます。口喧嘩はしながらも仲良く山も人生も登ってきたんですね。同じ趣味というのも羨ましく思います。
takeziiさん、こんにちわ (たか)
2019-02-13 12:23:53
私も金峰山は登山口を変えて二度登りました。
大弛峠からの金峰は日帰り可能という利点は有りますがアップダウンがきつかった様な記憶が有ります。
その、きつさをクリアして尚も国師、北奥仙丈に足を延ばされたとは凄い!  脱帽です

8年の間に設置物も新しくなったりと景色が変わって来ているのですね。そのお写真ぜひ見せて下さい。
現在、大弛小屋はどうなっているのでしょう。建て替えられてしまったでしょうかね。
イケリンさん、こんにちわ (たか)
2019-02-13 12:53:12
この頃は子供達も独立しましたし私は週2回の仕事だけでしたので主人の休日に合わせ暇さえ有れば山を歩いておりました。
今、思えば一番、燃えていた時期かもしれません。今は、あの頃の気力も体力もなくなりましたが齢相応の関わり方で楽しんでいると言った具合です。
イケリンさんのお蔭で野鳥にも興味を覚える様になりましたし
テレビも無いので世事に疎くなり(私に限り)煩わしさから解放された気分・・・が良いのか悪いのか解りませんが、もう最終章に差し掛かった人生ですので
夢中に慣れる事を大切にしながら一日一日を無駄にしない様ノンビリ楽しく過ごそうと心掛けて日々を送っているところです。
たまボブさん、こんにちわ (たか)
2019-02-13 13:30:50
GOROと言えば私が一番最初に購入した登山靴がそれでは無かったかと思います。それ以前は学生の時に履いていたバスケットシューズが代用靴でした。
それで谷川岳にも登ったのですから恐るべしでしょ。いま思えば懐かしい時代です。ですので私が登山靴と言えるものを手にしたのは30代も
後半だったでしょうか。私は買い替える度に処分してしまいましたのでアルバムを開くとその時々の靴の感触は蘇りはしますが
思い出と共に大切にされていらっしゃると言う、たまボブさんの言葉にチョッピリ反省させられているところです。

若い時と言うのは結構、無理も出来たんですね。酔っ払い運転は既に時効ですが、やっぱりあれは良くない。「無理」では無く「無茶」と言うものですものね。
野付ウシさん・こんばんわ (たか)
2019-02-13 18:50:32
23年前は山が楽しくて仕方ない時でした。登る楽しみだけでなく登山前の工程調べ、写真、山行記録と一つの山を三度に渡って楽しんでいたのです。
アルバムを取り出して何度も見ておりましたし、かなり昔に登った山でもその時々の出来事が別の山とダブる事無く思い出す事が出来ました。
パソコンを購入してからはアルバムに残す事もなくなり雄さんはそれを非常に残念がっておりましたが、どうしても便利なものには負けてしまうものです。

あの頃はかなり無茶な事もしておりました。当然お酒を飲んでの帰宅でしたから私も迎えに行かなくてはならず
出発が1時半ころでしたので二人とも完全に睡眠不足。今、思えば相当、無謀な登山でした。
素晴らしい人生の伴侶 (越後美人)
2019-02-13 21:47:59
まあ~酔っ払い登山ですか~
雄さん豪気ですね♪
登山の基本もなんそのですね。
それでも登り切ってしまうところがすごいです。

それにしてもこの行程は、私には想像も出来ない行程です。
それをたかさんも難なくこなされて、天晴!と思います。
こんな風に多くの山を登って、良い思い出がいっぱいでしょうね。
良き伴侶とともに、実り多い人生ですね✨
越後美人さん、こんばんわ (たか)
2019-02-13 22:46:59
酔っ払い登山なんて呆れてしまいますよねぇ。私も私でお互い一睡もしないのに取り止めにしないで山に向かってしまうと言ういい加減さです(ーー;)
事故が無かったから良かったものの何か有ったら「それ見た事か」と非難轟轟の場面でした。
そんな事も有りの登山人生ですが、まぁ何十年と言う長い年月、夫婦で一つの事をやれるのは幸せな事なのでしょうね。

文中の(略)で記さなかった中に大弛小屋での事が有ります。 小屋の前にコーヒーのカスが大量に干して有りましたので尋ねましたところ、登山客に煎れたコーヒーカスを良い肥料になるからと業者さんが買いに来るのだそうです。 それを聞いた私は以来、家で煎れるコーヒーカスは生ごみに出さずに畑に埋める様にしました。23年間、続けて来たせいか何処か土が良くなった気がします。越後美人さんも庭木や草花に是非、肥料として使って見て下さい。

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