ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

嬉しくはないが「傘寿」

2024-04-23 08:18:51 | 食楽・年金ライフ 

今月13日に 80歳「傘寿」を迎えた私は、直前に 左腿が「帯状疱疹」にかかった。

脊柱管狭窄症で 足腰が痛いところに、 新たな痛みが加わり「泣きっ面に蜂」だった。

帯状疱疹は治まったが、足腰は持病化し 足元が不安の時は 杖をついて「三足歩行」。

他に アチコチ不具合は多いが、心身をケアしながら 残る人生を有意義に過ごしたい。

ともあれ 傘寿は節目で、大病に罹らなかった身体と支えてくれた人々に 感謝したい。

誕生日も80回目で 数字を逆にすると08、そこで80歳と0.8歳を比較してみた。

 

0.8歳は  過去は短いが 未来は長~い、80歳は 過去は長いが 残された未来は短い。

0.8歳 の幼児は 二足歩行を始めるが、80歳は 足が弱まり 杖をついて三足歩行へ。

0.8歳は  日に日に 身体が大きくなるが、80歳は  年々体力が減退して背丈も縮む。

0.8歳は 行動範囲を広げてゆくが、80歳は 活動範囲が 次第に限定され 狭くなる。

0.8歳は 視力がついて 親の顔を認識できるが、80歳は孫の顔が判らず人違いする。

0.8歳は 簡単な言葉を 覚え始めるが、80歳は  覚えていた言葉を忘れ ボケ始める。

0.8歳は大人に向かって利口になるが、80歳は 赤ん坊に向かって幼稚化してゆく。

 

何より 0.8歳の赤ん坊は、その存在が  皆なに可愛がられ 期待されチヤホヤされる。

80歳の高齢者は、近親者に心配をかけながらも 可愛げがなく 時には厄介者になる。

社会はデジタル化で 激変する、高齢者の未来も 「人それぞれ」で「人生いろいろ」。

『高齢社会のど真ん中にいる私、残る人生をしなやかに暮したいが !? 』と、独り言。

環境の変化に順応し、衣食住の 一次的生活機能の 自立を保ち「健康長寿」でいたい。

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遅くなった開花と花見

2024-04-09 07:31:25 | 食楽・年金ライフ 

3月上旬までは温暖な好天が続き、報道などは 桜の開花を3月中旬と伝えていた。

その後 暖かい日があっても寒い日や雨の日が多く、開花予想もズレまくってきた。

そして 東京での開花宣言は3月30日になり、我が家の周辺も同日に咲き始めた。

早速 31日(日)に友人と 秘密基地でお花見会、花は二分咲きだったが イベントや

屋台も出る雰囲気のなか、ひげ爺は ストックをついてのそぞろ歩きで車座に参加。

 

桜が満開に向かう4月に入ると、我ら夫婦は 二人そろって体調不良に見舞われた。

私は狭窄症が悪化して足腰の痛みが増し、妻は 例年やってくる季節的な高血圧症。

それも 毎日状態が変わる、今日は比較的良いと思うと翌日は最悪という日替り型。

6日は体調も天候も良く夫婦でお花見に、私は腰にコルセット 手にストックで 肩

にはお茶とお菓子のバック、負傷兵よろしく 低速歩行で移動し 氷川神社を参拝し

て公園に進むと周辺の桜は満開状態、そして 運よく球場前の石のベンチに座れた。

持参した茶菓子に加え「たこ焼き」を買い、満開の桜の下で 花見気分を味わった。

 

帰りは 参道の「氷川だんご」で一休み、本当の「花より団子」になってしまった。

無理をしたわけではないが、夕刻から 妻の血圧が急激に上昇し不安な夜となった。

幸い深夜には血圧も下がり一安心、しかし 暫らくはこんな状態が続くので心配だ。

『各地で地震が発生し政治も乱れると 私の足腰も被災し痛みが増し、春で気温が

上昇し生活物価が上がると 妻の血圧も急上昇し健康不安が生じる? 』と、独り言。

今週末は嬉しくない誕生日、傘寿を迎えてつくづく思う「齢はとりたくない!」と。

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街なか散歩38〔深 川〕

2024-03-26 07:55:01 | 食楽・年金ライフ 

寒い日が続いて お花見が遅れている、そこで 22日に 東京の下町「深川」を訪ねた。

東武線直通で「清澄白河」駅に10時過ぎ到着、まず  駅近くの「清澄庭園」を 散策。

そこは 三菱財閥の岩崎家が築いた 回遊式の林泉庭園で、要となる泉池を 一回りした。

続いて「清澄通り」に戻り 反対側の 街並みに入って、「江東区江戸資料館」に 入館。

江戸時代の下町を模した展示を見て   館員の説明を聞き、当時の町人の生活を知った。

街中を南に 少し歩き、「成等院」の 一角にある「紀国屋文左衛門の墓」を 外観参拝。

 

「清澄通り」に戻り 南に歩き、仙台堀川を渡ると 右側が「松尾芭蕉」の 旅立ちの地

と言う「採茶庵跡」で、芭蕉の旅姿座像が ここから船で千住宿に向かう 姿に思えた。

さらに進み 「葛西橋通り」を右折し、その先 左側の歩道に「伊能忠敬住居跡」の碑。

街中を 南に出て 左折し「永代通り」を東に歩く、「門前仲町駅」を越えたところの

左側の参道奥が「富岡八幡宮」、鳥居先の境内左に 江戸時代に 全国を実測して歩き

日本地図を初めて完成させた「伊能忠敬」の像、その奥の食費処「深川宿」で 昼食。

 

深川で昼食となれば「深川めし」だ、炊き込みとぶっかけの セットメニューを注文。

内容は良かったが品数も量も多く、満腹状態で「深川八幡宮」(富岡八幡宮) を参拝。

歩数と間縄で距離を測った伊能忠敬にあやかり、自分の足腰の 無事息災を祈願した。

続いて西隣の「深川不動堂」(成田山東京別院) を参拝、厄難消除 家内安全を祈った。

『伊能忠敬は「4千万歩の男」、病み上りの私は「足腰に持病の男」!』と、独り言。

門前仲町駅から 東京駅に出て 帰ると、総時間は7時間で 総歩数は1万5千歩だった。

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春を迎え悲喜こもごも:下

2024-03-12 08:30:34 | 食楽・年金ライフ 

3月も中旬を迎え 日中が長くなり、街行く人の姿からも 春が本格的なことが判る。

野球や相撲などスポーツも本格化、春を迎えて 体が自然に動き 気分も乗ってくる。

私も 持病の腰痛が良くなり、散歩の距離も少しずつ伸ばし 先週から通常に戻した。

大宮公園まで行くと、寒風の中でも 開花に向かって 桜が蕾を膨らまし始めている。

直近の寒さで 予想に比べて開花は遅れ、判断は難しいが 20日前後になりそうだ。

お花見が 例年より早くなるのか遅くなるか、暦とお天気を見ながら 悲喜こもごも。

 

お花見はそれで良いが、能登地方の被災地では厳しい避難生活が 続き 復旧復興は

ままならない状態、またウクライナやパレスチナ等では 悲惨な戦争が続いている。

そんな情報を テレビやネットを見ていると、「悲喜」ではなく「悲危こもごも」。

全く別話になるが、先月 夫婦の共同作業で 令和5年分所得税の確定申告を行った。

二度の入院で 医療費が大幅増加したので、還付金の大幅増を期待しながら・・・。

パソコンで資料を印刷、源泉徴収などの帳票を集め 一年間の領収証の集計を開始。

 

ねじり鉢巻き的に奮闘し、集計値をネットで用紙の各欄に入力したら  還付が2万

円台と 期待外れの額、勝手に予定した温泉旅行ができない結果に不服ながら申告。

続いてかみさんの申告を試みたが、ゼロ近い還付金に妻はガッカリし 申告を辞退。

考えてみれば 国(国税庁)だ、源泉徴収制度や種々の控除や税率は 巧くできている。

『少額還付に不満でも、徴収でなくて安堵してしまう 悲喜こもごも』と、独り言。

欲深い老夫婦の 慣れない作業は、お金以上に「暇つぶし」と「ボケ防止」に貢献。

 

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春を迎え悲喜こもごも:上

2024-02-27 08:16:12 | 食楽・年金ライフ 

今は 24節気の「雨水」、春を6つに分けた2番目の季節で 春も本番を迎えている。

雪が春の雨に代わり大地が潤って、古くから 農耕を始める時期の 目安とされてきた。

21日は 日中の最高気温が25度を超え、春どころか 夏の暑さを感じるほどだった。

ところが 翌日から最高が7度という寒さ、目まぐるしい寒暖差に「悲喜こもごも」。

梅の花が 満開期を過ぎたと思いきや、杉が満開らしく花粉症が最盛期を迎えている。

新型コロナも再流行しており、増えたマスク姿はコロナ対策なのか 花粉症なのか?。

 

そして受験戦争も真っ最中で、節目を迎えた若者たちが 厳しい戦いを展開している。

試験問題に加え 気象や花粉やコロナ対応もあり、諸々な入試情報もあるので大変だ。

国内の政治も大荒れ状態、自民党の派閥にからむ裏金問題に議員達は 悲喜こもごも。

国会運営だけでなく 政権も左右する疑念で、抜本改革による「新政治」を求めたい。

一方で 春闘も始まり、一部では満額回答が出されるなど賃金上昇がトレンドになる。

株式市場では 上昇傾向が続いていたが、22日に日経平均が史上最高値を記録した。

 

バブル期最後の 1989年末の 38,915円を超え、終値で 39,098円を付け

たが 34年ぶりの更新で、海外勢の再評価とIT関連企業の好調が主要因だと云う。

今後も上昇の基調が続くのか、そして 社会に広く恩恵をもたらすのかが課題になる。

金持ちがより金持ちになる だけでは 困り、外人投資家 だけが儲けるのは なお困る。

小金しか持っていないひげ爺、俺も株を買って少し儲けるかな~ !?』と、独り言。

現状は「バブルの再来ではない」と言うが、今後の推移に「 悲喜こもごも」は続く。

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中伊豆で リハビリ旅行

2024-02-13 07:52:28 | 食楽・年金ライフ 

脊柱管狭窄症も 良くなったので、温泉街散策をリハビリと語り 中伊豆に出かけた。

積雪のあった翌々日、三島駅改札を出ると 鰻焼く臭いを感じるのは さすが三島だ。

私鉄に一区間乗り「広小路」、「桜屋」は定休日のため 「いけだ」で うな重の昼。

再び電車に乗り 韮山駅で下車、タクシーで 源頼朝が幽閉されていた「蛭ヶ島」か

ら代官屋敷だった「江川邸」、そして 江戸時代末の製鉄/鋳造所だった「反射炉」

を見て伊豆長岡駅へ、再度電車に乗り「修善寺駅」で下車し タクシーで温泉宿へ。

 

広々とした部屋に通され、有り余る時間は 温泉と食事を満喫し至福の時を過ごす。

翌朝は9時過ぎから 情緒残る温泉街を散策、宿から「はこ湯」に出て 南側の山手

の坂道を上ると「十三士の墓」「源頼家の墓」、 西隣の「指月殿」を巡り 坂道を

下りて西に歩き、「河原湯」から街並みを進み右に路地を入ると「竹林の小径」。

趣ある空間を進み、「楓橋」で桂川を渡り 左に歩き「滝下橋」北詰に出て 右折し

北側の山腹の細道を上ると「源範頼の墓」、山を下りて街道をしばらく東に戻る。

 

街の中心地を過ぎた所に「修禅寺」、物語で有名な古刹を参拝し さらに東に歩き

「日枝神社」から「みゆき橋」手前に出て、あまご料理店「あまご茶屋」で昼食。

「ヅケ丼」と「あまご重」を注文、かみさんと半分ずつ分け合って「食べ比べ」。

宿で荷物を受け取りバスで修善寺駅、電車で帰路につき筋力回復旅行は無事終了。

『地名は「修善寺」で寺名は「修禅寺」、ゼンゼン違いがわからない』と独り言。

明日は恐怖のバレンタイン、チョコを貰うと気分いいが 食べ過ぎは糖尿に悪い!?。

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県立高の「共学化議論」

2024-01-30 08:07:37 | 社会・経済・国際 

腰痛で自宅静養している私に先日、長女からLINEで 署名協力の依頼があった。

それは 昨年秋から話題となっている、「県立男子校 /女子校の共学化」への  反対

活動で、娘がママ友に頼まれた オンライン署名運動 https://chng.it/Prq6vYWL

埼玉に は県立男子高5校と女子高7校あり、いずれも戦前から存在する伝統校だ。

戦後の改革で全国的に男女別学が共学化され、今や群馬/栃木とともに珍しい存在。

その貴重種ともいえる別学高校が、共学化を求める議論のなかで 揺れ動いている。

 

事は第三者機関(弁護士三人)が、「県立の男女別学高校は早期に共学化すべき」と

の勧告を提出、受けた教育委員会が「意見を聞き検討する」と 答えた事に始まる。

勧告は  「全国的に特殊な存在」「公立で性別による異なる扱いは問題」「女性職

員のジェンダーギャップ」を訴えているが、果たして 教育上の問題なのだろうか。

県内には 共学校があり中高一貫校も私立校もある、立地や校風や特性など 選択肢

の多い中で別学を選んだ生徒を想うと、教育問題というより 労働的問題のようだ。

  

思えば20数年前にも、時の副知事の提案から 同様の議論がなされた経緯がある。

反論的に言えば、受験生が希望して選択し 学んでいる現体制の存在意義は重要だ。

多様性や個性を尊重する社会で、目指すべきは 単純平等や下向き平準化ではない。

今後は生徒/卒業生の意見も尊重し、幅広い議論と内容公開と納得性が必要だろう。

『難しい事は判らないが、男子校卒の私は 母校の共学化に反対だ!』と、独り言。

気が付けば 私の妻も二人の娘も女子校卒で、たった一人の孫も 女子高卒業だった。

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「暇つぶし」も難しい

2024-01-16 08:41:29 | 食楽・年金ライフ 

元旦早々に発生した「能登半島地震」、馴染ある地域だけに被災報道には心が痛む。

個人的には 地震の終息と 早期の復興を祈り、 心ばかりの寄付をすることくらいだ。

一方 ひげ爺の足腰も 地震発生状態で、「脊柱管狭窄症」に苦しむ 年末年始だった。

リハビリ治療で  痛みは徐々に改善するも、コロナ時同様の 自粛生活が続いている。

痛みを伴う 不自由な身になって、健康体が 如何に有難いことかを 知らされている。

腰痛と 狭心症に加え 金欠症もあるので、温泉旅行は中止し 外出も極力避けている。

でも  整形外科の週二回のリハビリは外出必須、ほかに 内科に眼科に歯科に循環器

の定期的通院がある、ほかの要件が予定に入れられない状態で 空白が[暇」となる。

朝 起きて朝食をとり 薬を飲むと、「さて、今日は何しましょう・・」と いう具合。

 

地震災害を想うと不謹慎だが、今の私は有り余る「暇 」時間の消費が 課題である。

そんな「暇つぶし」の神器が、「テレビ」のニュースやドラマに「図書類」の小説

にナンプレと 「ネット」の遊び心での諸情報、これでは十分でなく 充足感もない。

そこで時には 街なかを「暇つぶし散歩」し、 ランチや買い物で気を晴らしている。

それは鈍足歩行/近距離/短時間の「鈍近短」、両手に山歩き用ストックを持っての

猫背型歩き、私は「転ばぬ先の杖」と思うのだが  通行人や 車の運転手にとっては

「杖つく危ない老人」に見えるのか、道を開けくれる等の 親切を受けて 恐縮する。

いずれ 腰痛と恐縮をともに解消させ、暖かくなる頃には 忙しく活動したいと思う。

『先日の「暇つぶし」散歩のランチは、鰻の「ひつまぶし」だった! 』と、独り言。

「暇つぶし」「櫃まぶし」、それは鰻の蒲焼き1品を三つの食べ方で味わうもの。

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新年「令和六年」を迎え

2024-01-02 07:37:50 | 食楽・年金ライフ 

 明けましておめでとうございます。 昨日が元旦で 新年「令和6年」が明けました。

昨年を振り返ってみると、世間一般的にはスポーツに明るい話題もあったものの 異

常気象や災害や紛争と政治体制の体たらく等、予想外の惑わされることが多かった。

個人的には 義兄と義姉の死去が続いた後、自身の狭心症発症と治療がありさらに夏

風邪にかかり、秋からは脊柱管狭窄症で腰や腿裏が痛みだすなど体調不安が続いた。

考えてみると今年は傘寿を迎える、老齢化とともにあちこちが痛みだすのも道理だ。

 

今年は 西暦2024年で 干支では「甲辰」(きのえたつ)、甲は十干の順番が1番目

で優勢や第一位を表し、辰(龍)は十二支の5番で 大自然の躍動と権威や隆盛を象徴。

干の甲と支の辰が組んだ「甲辰」は、万物の活力が旺盛で成長し姿が整う年と言う。

確かに 順位は甲が最上位で 時刻は辰が8時前後だから、隆盛や成長との理屈も解る。

私は年齢的に衰える身ながらも、そんな干支にあやかって 元気で明るく成長したい。

蛇足だが 今年の元旦は「甲子」(きのえ ね)の日で、干と支の両方が一番目の縁起日。

 

北川辺と大宮の二拠点生活を5年前に始め、大宮に完全移転してちょうど4年経つ。

その間に新型コロナで社会は大きく変容、私の生活感も健康も体力も変化してきた。

今年80歳の傘寿を迎える、病院通いの身では嬉しくはないが人生の節目でもある。

まずは糖尿病と腰痛の治療に専心し、食事や運動に配慮し体調維持に努める決意だ。

『傘寿を感謝し 慶事として祝い、8年後の米寿も元気に迎え盛大に!』と、独り言。

今日は1月2日で 新年もまだ2日目、「3日坊主」で決意を破るにはまだ1日ある。

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我が家の「糠漬け」物語

2023-12-19 08:46:28 | 食楽・年金ライフ 

年の瀬の店頭には、お正月用の「お飾り」等がならび「お節料理」の宣伝も盛んだ。

「お節」はお正月限定の季節料理で、趣ある鮮やかな料理は見ても食べて味わえる。

その一方に「漬け物」があり、それは季節の野菜を利用した地味な素材型家庭食品。

我が家では各種「漬け物」が、保存食でもありご飯のお供やお茶受けに重宝だった。

田舎者の私は、中でも米糠使用の発酵食品「糠漬け」が好物で欠かさず食べてきた。

近頃はその効能性が人気となり、メニューも多様化しマイスターを名乗る人もいる。

 

家業が農業だから米糠も具材も自家産で、容器は木の樽を使いその後はホーロー器。

塩加減等の「糠床」管理は専らおふくろで、食材は全て畑で採れた新鮮野菜だった。

それは 春から夏がキューリ/ナス/ミョウガ、秋から冬は大根/ニンジン/キャベツ等。

母の老齢化で「糠漬け」は一時止まったが、「糠床」はかみさんが引き継いできた。

5年前の大宮転居の際、容器は娘の手作り陶器に改め家伝の「種ぬか」を適量持参。

以降「糠床奉行」はひげ爺の役になり、塩と糠を補充しながらの「糠漬け」づくり

 

糠床の天地替えと塩管理とともに、気温や食材による漬け時間の調整が技と云える。

ところが最近、健康管理面から「糠漬け」へのこだわりが複雑なものになってきた。

夫婦がそろって糖尿病患者で、さらに私が動脈硬化症でかみさんが高血圧症の不安。

食生活改善には減塩が必須で、本来とは違う「減塩糠漬け」への挑戦が必要になる。

『来年は「辰年」、そうは言っても「糠漬け」をタツつもりはない!』と、独り言。

塩を減らすには良いシオドキ、薄味でも旨くするために糠床の調味材で工夫しよう。

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