皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
コメント、ありがとうございます。お返事まだでごめんなさい、1つずつとても嬉しく拝読しました。


私はいまパワー不足ではありますが、とにかく自死遺族として「苦悩は終わるよ。もう一度心から笑える日が戻るよ」ということだけは伝えたいので、発信はやめないでいきたいなと思っています。

自死遺族としての立ち直りをしても人生は続くから、また他の苦悩が出てきたり、あのトラウマが影響したりもあるわけだけど、それも一人ひとり違う体験だからマニュアルは作れない。作れないけど、体験談とかからありがちな事を予見して対策したり覚悟したりは出来そうです。
現在の私の日記は良いとこナシだけど、反面教師的に使ってくれたら嬉しいです。


先日は台風15号で成田空港近辺も停電断水し、小泉入閣ニュースだのあおり運転ネタなどいつも通りのTVやラジオでは気づかず、「台風大丈夫だった?」のメールに返信がないのは通信障害含め甚大な被害のせいだと気づいたのは11日夜でした。

父は重度難聴なので基本はメールなのですが、Twitterで被害が騒がれていることに気付いて慌てて電話してもやはり通信障害で通じず。
交番、警察、町役場、避難所、町中すべてが通信障害でシーンとしてしまっていました。

翌朝ひとりで水だのなんだのを持って出掛けるとき、親友に「あなた体調良くないんだし、力仕事あるかもしれないから子どもを連れていきなよ」と言われたものの、もしかしたら熱中症で亡くなっているかもしれないと思ったので、発見者のショックは自分だけにしたくて一人で行きました。
結果父は熱中症にもならずどうにかこうにか凌いでいて、避難を勧めても「猫を置いていけない」と断るだけの気力もありました。
現在はもう電気と通信は戻って安心しています。

私は帰宅翌日から寝込みだし、「こんなんじゃダメよ💦」と翌日働きまくって、その翌日また寝込む。次の日は怠けた罪悪感から取り返そうと動きまくり、次の日寝込む(笑)
何をやってるんだろー、と自分で呆れるうちにクリニック受診日がきて、「どう過ごしていましたか」の質問に台風の一件を話していると、あの日から止まらなくなっていた咳が止まり、ふつうに声が出せるようになり、先生に「お父さんの件でかつての心の傷が口を開けたんですね。でもすぐまた治りますよ」と言われ、すごく納得するやら感心するやら。
クリニック受診というちょっとした出口があれば、ケロッとして翌日からは寝込まなくなり、ストレスだったのかー、とあとから思うのでした。


発見時の悲しみ、驚き、恐怖・・・振り返ると、1番苦しんだことの1つでした。でも人に指摘されて振り返らないと思い出さないくらい、遠くなりました。
夫のことはいまも毎日必ず思うし、家族の話題にも当たり前に出るけれど、その死に苦悩した事はちゃんと遠い過去になりました。

そうか、そんな影響でヘタったのか、私は。
でも心の傷が残っているのは当たり前、なかったら逆に哀しい。
そんなことを思いながらケロッとしている今日の私です。