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ニューヨーク・シェア・スタジアムでのシンクロニシティー・コンサート [海外ロック]

1983年~1984年にかけてのポリスのシンクロニシティー・ツアーの最頂点となったのは、間違いなく米ニューヨーク・シェア・スタジアムでのライブだ。70000人を動員したと言われる最大級のスタジアムでのライブ。


このとき、全米だけでなく世界の頂点に立った。


このスタジアムは、もともと野球場なのだが、あのビートルズがライブをおこなったスタジアムで超有名だ。ロック史上、スタジアムでライブをやったのは、ビートルズが初めてだったのだ。「The Beatles at Shea Stadium」としていまもDVD映像素材になって残っているし、我々も入手することができる。


自分が子供の頃、このシェア・スタジアムでのビートルズ・ライブが時々、TV番組のビートルズ特集なんかで取り上げられたとき、目にする訳だが、もうとんでもない大興奮だったりする訳だ。


以前にも日記に書いたけれど、この頃は、自分の頭の中で想像する時代でしたからね。


バカでかい会場に5万人を超える観客が集まり、そこで人気バンドがコンサートを行なう。日本も海外も、日常化しているスタジアム・ライヴ。それを半世紀以上前に最初に実現させたのがザ・ビートルズだった。


1965年8月15日のこと。


ビートルズがライヴ・バンドとしての頂点を極めたのがこのシェア・スタジアム公演だったというのは、誰もが認めるところだろう。


いまや、スタジアム級の大会場には、大画面の電子スクリーンが設置され、どんなに遠くの座席でも、まったく困らなくショーを楽しめるようになった。


まさに巨大電子スクリーンはロック界の革命だと自分は思います。


そんな伝統のシェア・スタジアムで、ポリスがライブをやったのだから、まさに、このシンクロニシティー・ツアーの頂点とも言える公演だった。


自分は、このとき大学1年生だったけれど、ミュージックライフでその特集記事を読んで、大層興奮したのだった。相当興奮しました。


何回も何回も擦り切れるくらい読み返しました。


やっぱり写真が衝撃だった。


カッコイイ!


多感な少年時代には目の毒でしたね。
しばらく勉強が手につきませんでした。


その雑誌も社会人になるときに整理してしまい、その後、社会人生活に馴染めなく、ホームシックにかかったりで情緒不安定だった時代がありロックから自然と身を引くようになった。


2004年ころに、ヤフオクというものを覚え、なんと便利なんだろう!自分の欲しい昔のものが個人間売買で簡単に手に入る!ということでかなり夢中になった。


そのときに、自分の青春時代のこのポリス at シェア・スタジアムを特集していたミュージックライフがヤフオクに出ていないかどうか、確認した。


そうしたらあったのだ。


ただその1冊だけでなく、20冊まとめて売り、という感じで、このポリス特集の1冊を読みたいがために、他の19冊も購入する羽目になった。(笑)


今から15年前の2004年に、ふたたびその記事を読んだわけだが、やっぱり衝撃だった。
すごい興奮しました。


これはずっと宝物にしておこう、と思ったのだけれど、引っ越しなど繰り返すうちにどこに行ったか、わからなくなった。そして現在に至る・・・である。


自分の人生に関わってきた人は、みんな自分の日記で、自分の言葉で語っていこう!というのが自分のポリシー。去年ポリスやスティング愛について熱く語った。そして先日、スティングの総決算のコンサートにも出向いた。


そうすると、どうしても、あのときのミュージックライフの、このニューヨーク・シェア・スタジアムでのシンクロニシティー・ツアーの記事についてどうしても語らなければいけないだろう、と使命感に燃えてきた。


さっそくヤフオクへ。

あった!


ミュージックライフ 1983年10月号。


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この本を買うのは、これで人生3度目です。(笑)
今度はなくさないように、しまっておこう。


ブツを手にして、気づいたのだが、この頃の本って左から開いていくんですね。
今の本は、右から開いていきます。
昔は逆だったんだね。


さっそく1ページ目の写真から衝撃!目の毒。(笑)


最強、ポリス帝国

BEAT IT! THE POLICE AT THE NEWYORK SHEA STADIUM !


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さらに!大興奮!


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シンクロニシティー・ツアーの時のステージ衣装は、全部で3パターンあるのだが、その中で最も代表的な衣装が、このスタイルだった。スティングは、白のジャケットで、赤パンツ。


アンディは、その反対で赤のジャケットに白パンツ。ステュアートは、白のホットパンツに無地の白のTシャツ。


これが最も代表的な衣装だった。シェア・スタジアムのライブではこの衣装だった。


1983年8月18日、ポリス・ビートがあのニューヨーク・シェア・スタジアムを揺るがした。7月23日から空前のスケールで始まったこの全米ツアーは、25か所でなんと100万人を動員し、シェア・スタジアムのチケットは、たったの5時間でソールドアウトになったという。シェア・スタジアムでコンサートをおこなったのは、ビートルズ、ザ・フーに続き、ポリスが3番手。この日、ロック史上に新たなる金字塔がうちたてられた。



興奮を抑えきれずに、そのまま本文に。。。


DSC02010.JPG



シェア・スタジアムが揺れた!!

大感動ポリス・ニューヨーク・コンサート・レポート。


レポーターは、当時のミュージックライフのニューヨーク在住レポーターの林洋子さんだ。
そのときの模様をじつに生々しくレポートしてくれている。


その中で、一部を抜粋紹介しよう。



「7万枚のチケットが5時間でソールド・アウト!!」


シェア・スタジアムは、野球ファンなら知っているところと思うが、毎年最下位のあたりをうろうろしている”もうひとつのNYの野球チーム”で、成績の方はいつもヤンキースに押されがちだが、負けてばかりいるのが、返ってご愛敬で、地元に熱心なファンの多い、愛すべき球団NYメッツのホームグランドだ。


そしてこのスタジアムは、ロックン・ロール・ファンにはビートルズが何万人のニューヨークっ子達を熱狂させ、失神させたあの”THE BEATLES at Shea Stadium"のシェア・スタジアムとして、しっかりと記憶されているはずだ。


スタジアムとしては比較的小さいほうで、同じNYにあるヤンキース・スタジアムに較べ、収容人数も4万と約3分の2だ。しかしポリスのコンサートは、観客席だけでなくグラウンドも使うため、7万枚の切符が売り出されたのだが、何とこれが4~5時間で売り切れたというのだから凄い。


ビートルズのコンサートが観客席に限られていたことを考えると、ポリスの今回のコンサートは約2倍のスケールというわけだ。観客動員数だけを考えた場合、ローリング・ストーンズやザ・フーなど、他のスタジアムでこれ以上の動員数を記録したバンドはあるが、ロックン・ロールというものが世界的なインパクトをもつようになったそのきっかけが、ビートルズのシェア・スタジアムでのコンサートであったことを考えると、ポリスのこのコンサートは、やはり特別な意味を持っていると言える。


8時10分には、今ニューヨークをはじめ、各地で注目を浴びている新人バンドで、骨っぽいタイトな演奏が評判のREMがスケジュール通り登場。前座での演奏をおこなった。


・・・・・・



「粋な”ティー・ブレイク”に大喝采。」


お目当て、ポリスが出てきたのは10時30分。それまでには、上空を賑わしていたジェット機も姿を消し、雲の切れ目からは月さえ顔を出した。大スーパースターになったポリス登場のお膳立てが出来たところで、会場を照らし出していた電気が消え、スタジアムの7万人の歓声に包まれ、ポリスがステージへ。



・・・・・・



”イギリスではティータイムをとらないと、労働法に反するので・・・”ということで、ティーブレイクをはさんだ彼らのセットの第1部は、”サハラ砂漠でお茶を”ではなく、”キング・オブ・ペイン”で締めくくられた。「3分間のティーブレイクをとったら戻ってきます。」というスティングの言葉とともに、彼らはステージを去ったが、周りが騒がしいので何かと思ってステージの方を見ると、ステージ真上と左右に配置されたビデオ用のスクリーンに奥に向かって歩いていく3人の姿が映し出されている。


ショートパンツ姿のスチュアートが映った時には、”あれ?!3人ともビデオ・カメラに映されているのに気がつかないで、カメラの前で裸になってしまうのではないかしら”と期待(!!)したのだが、次に3人がシルク・ハット(といっても普通の4~5倍の高さがある)をかぶった時には、この寸劇が初めから計算されていたことがわかった。


観衆がそれを見て笑い出したので、よく聞き取れなかったが、テーブルクロスのかかった大きなテーブルは”不思議な国のアリス”の中に出てくるあのティーパーティの一場面のような、銀のティーポットなどが置かれ、3人が気取ったポーズでお茶を飲み始めた。


イギリスの習慣、特に上流階級のそれ、を皮肉ったか、それともイギリスのこの洗練された習慣をユーモラスに取り入れたのか、とにかくこのバックステージのティーブレイクは大当たりで、彼らがステージに現れたときは大喝采で、彼らのショーが始まった時からあった観衆との間の暖かい交流は、これによって一段と深く、強いものになった。



「We'd Like To Thank The Beatles!」


2時間程度続いたコンサートであるに関わらず、”もう終わるの?”と物足りなく思った。この頃のコンサートの大半は、30分も聴くと”もう十分”と思うのに、これは驚くべき現象だ。身も心も一杯に満たされていながら、あと何時間でも聴ける気がした。


スティングがコンサートの終わりころに、"We'd like to thank the Beatles for lending us their stadium.(僕らに自分たちのスタジアムを貸してくれたビートルズに感謝します。)”と言ったとき、ポリスは、”ビートルズと同じようにシェア・スタジアムでコンサートをやった”という事実のためではなく、彼らの素晴らしい演奏によってロックの歴史を1項を飾ったといえる。




コンサートの解説は割愛させてもらったが、この抜粋文章だけでも、十分にこの歴史的コンサートの興奮が伝わってくる。


自分は学生の頃、この写真とこの文章に相当興奮して、何回も繰り返して読んでいたんだね。


あの頃と自分が違うのは、いまはこうやって日記で書くことで、自分の想いをしっかりと掃き出すことができ、ストレス解消になる、ということだ。


1983 THE POLICE SYNCHRONICITY CONCERT at NEW YORK SHEA STUDIUM


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本題はこれくらいにして、rockin'on 2019.12月号もしっかりと読ませていただきました。


DSC02011.JPG



44ページ!


rockin'onは硬派な文章が売りなのだが、これは読みごたえがありましたねぇ。


それぞれのセクションを担当するライターさんのポリスへの熱い想いがよく伝わってきて、かなり読み応えがあって感動しました。さすが!rockin'onです。


ポリス・サウンドでひとつの変革期にあたったのが、4作目のゴースト・イン・ザ・マシーン。


いままでギター、ベース、ドラムスという最小限のスリーピースのサウンドでやってきたのが、この作品からシンセサイザーやホーンセクション、サックスなどをバックに音を重ねるような人工的な音造りをするようになった。それは自分でも聴いていて、よくわかるんだが、そのときの現場の様子が書かれていて、かなり興奮しました。


スティングがスタジオに持ち込んだデモ音源の時点で、既にシンセ・パートが織り込まれていたことからも、この方向性を推し進めたのがメイン・ソングライターのスティングだったことは言うまでもないし、アンディとスチュアートは彼が示した新機軸に必ずしも賛成だったわけではない。


オープニングの”マテリアル・ワールド”にイントロのスカ・ビートを刻むのが、ギターではなく、シンセである時点で本作の変貌はあきらかだ。そんなシンセの後ろで息を潜めるように刻まれていたドラムとギターが、強引にど真ん中に切り込んでくるスリリングなブリッジの展開が堪らないが、3人の間でサウンド・バランスを巡る緊張があったのは明らかで、本作のレコーディングはさながら「戦場のようだった」とアンディは自伝「ポリス全調書」に記している。


スリーピース・バンドの純血主義を守りたいアンディと、アンサンブルに捉われず曲を書きたいスティング、その両者の葛藤は3年後のバンド崩壊へとつながっていく。



これはわかるわ~。


よくわかる。


自分が当時そう思っていたし、そのバンド内情をよくうまく表現してくれた、と感心した箇所でした。


とにかくすごい読み応え。


ライターさん達は、みんなその時代を経験してきたリアルタイム世代。だからこそお互いがあ・うんの呼吸でわかる、書いてある内容に説得力があるし、素直に感銘できるのだ。


この本も自分のお宝として残していこう。
失くさずに。(笑)


スティングの総決算のコンサートでひと段落したつもりでしたが、どうしてもニューヨーク・シェア・スタジアムのライブのことは書かないといけないと思いました。



PS:松村雄策氏が元気でいまも尚、rockin'onに投稿されていたのを発見し、嬉しく思いました。自分が学生だった頃、NHK FMの渋谷陽一氏のラジオでのロック番組を聴いていたのと、このrockin'onで 渋谷陽一×松村雄策の対談を読むのが毎月の楽しみでしたから。








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