ドブトーーク!!-エッセイSP- byちゃんこ | どぶろぐ

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ちゃんこAAドブトーーク!妖怪

 

さあ、ついに第336回!

毎回様々なテーマを決めてゲストを迎えてトークする
アメトークみたいならじお

ドブトーーク!
 

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2018年からのみらじお倉庫

 

第336回のテーマは

からかんプレゼンツ

みんなの書いたエッセイを読みたい

エッセイSP」!

 

さくらももこのエッセイが好きなちゃんこ

枕草子しかエッセイをしらないみっこりん


ゲストに

プレゼンターのエッセイ大好きからかんさん

みんなのエッセイ読みたいミントさん

を迎えてたっぷり3時間半ほどお送りしました

 

エッセイを書いたエッセイストたちは
ちゃんこ、みっこりん、しゃぼん亭、トノサーマ、
きとくん、みなみ(きとくんの旦那)、ダスキン、

しぼりたて、やまもく、うーちゃん、からかん、

ゴンベル、田中うける

の13編が集まりました

 

スレはこちら

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ちゃんこAA<エッセイ、みんな書けるんじゃん!

 

みんなのエッセイを貼っておきます

 

 

 

うーちゃんのエッセイ

 

◇夏生まれがうらやましい

夏生まれの人がうらやましい。
なんとなくのイメージだけど夏生まれと言うだけで太陽のように明るく、
青空のように開放的で夏休みのように活動的な人間なんじゃないかと思ってしまう。
反対に冬生まれと言うだけで暗鬱たる冬曇りのような性格でむつむつとして
冬休みの生活のように部屋にこもっている人間が想像されてしまうのだ。

実際、小学校などでは、発育が遅い冬生まれの子供はなにかと春生まれ、
夏生まれの子供にアドバンテージをとられることもあったと記憶している。
そういったことを避けるために早生まれにならないよう妊娠計画を立てる親御さんもいるようだ。
逆に農家は早生まれが多い。これは農閑期に出産時期が当たるように考えてのことだろう。

また、夏生まれは季節にちなんだ名前も魅力的だ。
特に女性。ビビッドに突き刺さる名前に仕上がる。
なつこちゃん、なつみちゃん、なつきちゃん等々。

あだ名はみんな「なっちゃん」・・・

なんとなくだけど小麦色の肌がよく似合うショートカットの女の子なんだろうなって想像が膨らむ。
一緒にコンビニの前のベンチに座ってアイスを食べたくなる名前だ。
そういう意味で言えば若槻千夏って千夏感ハンパない。

季節にちなんだ名前は春、秋もとても良い。
例えば春。はるこちゃん、はるみちゃん・・・あだ名はみんな「はるちゃん」だろうか。
春の日差しのように優しく思いやりのある女の子のイメージ。
パステルカラーのカーディガンとか着ているんだろう。
サンドイッチのお弁当とか作ってくれそう。

秋にちなんだ名前で言えば、あきこちゃん、あるいはそのままのあきちゃんか。
男に疲れたやさぐれ女感も否めないが、どこか家庭的な印象も持ち合わせている。
ボディラインを強調するようなぴったりしたニットと巻きスカートないしスキニージーンズがたまんねえ。
カラオケ行ったら小泉今日子の「木枯らしに抱かれて」が十八番なのだろう。

翻って冬にちなんだ名前はどうだ。男だったら冬彦。冬彦・・・冬彦かぁ・・・。
女だったらふゆこ、ふゆみ・・・って坂本冬美しか頭に浮かばんのだ。
冬の字に引っ張られすぎ、津軽海峡冬景色も坂本冬美の歌だと思ってしまうんだ。
そこから冬生まれの女性って上野駅からものも言わないで夜行列車に乗って
青森駅まで来て雪深いのに文句も言わず下ばっかり向いている女性・・・という印象になってしまう。
一般的に冬に似合うようなふわふわもこもこ部屋着みたいなのは、はるちゃんなっちゃんあきちゃんが着ているモノだ。
冬美は着ない。これでは冬の名前ネガティブキャンペーンには大いなる意思が働いていると疑わざるを得ない。

歌でもそうだ。「ひと夏の経験」なんか夏だと特別な経験が出来そうだ。
「真夏の果実」これもなんかすごそうだ。
四六時中も好きと言うんだぞ。反面、冬と言えば「冬のリヴィエラ」リヴィエラってなんだ!
「冬が始まるよ」ポップで明るいメロディ。恋の最中の歌だ。
だがこの歌の出だしは「8月の君の誕生日」冬の歌が8月の力を借りるんじゃないよ!
発音した際の音声的にも春、夏、秋は「あ段」の音が含まれポップで明るい印象を与える。
その点冬はどうだ。すぼめた口を大きく開くこともなく発音は終了する。
これで明るい印象を持て、ということは無理なのだ。
夏生まれの人はこんなささいなこと気にするだろうか。
いや、きっと気にしない。
あいつらせいぜい「夏生まれだからさ、夏休み中に誕生日迎えちゃって友達から祝ってもらえないんだよね」くらいしか悩まないだろう。
大丈夫。普通は学期中に誕生日迎えたとて誰からも祝われはしないから!
一度12月に生まれてしまったからには絶対に8月生まれにはなれない。
もしも生まれ変わったのなら、夏に生まれたい。

 

 

 

ちゃんこのエッセイ

 

エッセイSPをやりたい、からかんくんにそういわれたのは6月はじめくらい。
エッセイといえば、さくらももこのエッセイを子供の頃に読んでいて大好きだった僕は
書いてくれる人が集まるならそれは楽しい企画になりそうだと思ったもんです。

実際にやることになって、テーマは「夏」でいいんじゃないか
僕が適当にいって決めてしまったわけですが、
僕自身、特に夏に関する思い出がなにもないことに気づきました。

世代別対抗戦、怖くない話、アール―アールワングランプリ
思い出すことはあれど、エッセイに書くようなことで夏にしたことなんてなにもない。
困ってしまいました・・・。

こういう話をウダウダ書いているのはそう、文字数稼ぎのためなんです。
一応書いてみたんですけど、短いかなって思って付け加えているんです。

余談ですが、放送ではたぶんみっこりんさんが
エッセイ緒方、いしだエッセイ、渡辺エッセイ、なんてことをもうすでに言ってるんでしょうね。

ではここからは、エッセイの本題に入りますね。
入りますよ?入っていいんですね?

はい、わかりました。では入りましょう。
ここからエッセイ風の文章になりますからね。
いけー!エッセイ!とんでけー!


うちの押入れの奥に、ダンボール1箱分のVHSビデオテープがある。

2002年の夏、日韓サッカーワールドカップが開催された。
日本で行われる初めてのワールドカップ、日本中が熱狂していた。

サッカーが好きで浮かれていた僕は、せっかくなので全試合を見よう!
そして、いつ見返したくなってもいいように、全試合を録画してやろう!
と決意したのである。

この頃はまだHDDレコーダーなんてものはなく、録画方法はVHSのビデオ録画だった。

VHSのビデオテープは通常1本で2時間録画、3倍録画モードで6時間の録画ができる。
サッカーの試合は前後半90分、ロスタイム、ハーフタイムやハイライトを入れて約2時間。
ちょうど3試合分が1本のビデオテープに録画できることになる。

日韓ワールドカップは全64試合、つまり18本のテープに収まる計算だ。

毎日、夢中で録画した。録画すると決めたことなので、中国対コスタリカの試合だって録画した。
日本の試合や、準決勝、決勝の試合は、豪華に3倍モードではなく標準モードで録画した。
そのことで、結果的に20本を超えるテープになっても構わなかった。

その後18年がたち、いまのところ、そのダンボールからビデオテープが取り出されることはないのだが
タイムカプセルのようにいつか取り出してみたい気もする。

いつかまたみてみたい、あの夏の日の
ベッカムのベッカムヘアー。戸田和幸の真っ赤なモヒカン。ロナウドの大五郎カットを。


あ、最後に気づきました。
僕、今、2002ワールドカップのロゴが描いてるTシャツを着てました。

 

 

 

 

しゃぼん亭のエッセイ

 

タイトル:旗の代わりにハートの風船とかでも全然

 フランス7月革命をテーマに描いた、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の絵を思い出すタイミングって、
人それぞれだと思うんですけども、自分は夏には必ず思い出すことがあって。
 [TOKYO IDOL FESTIVAL (TIF)]ってイベントなんですけど、お台場で3日間開催される最大級のアイドルフェスで、
地方住みの自分は現地に行けないので、ネット配信で見てるんです。
そして、ステージ上で会場を盛り上げてるアイドルを見て、なんかドラクロワのアレを思い出すんです。
 そういうのもあってか、「アイドル」というものが自分の中で極めて崇高な、
それこそ、原初の意味での「アイドル(偶像)」くらいの位置づけなんです。

 アイドルが同じ学校に存在してる状態とか、全然想像つかなくない?
いろんなアイドルが学校を歌ってるのに、アイドルを見てても
「下校!」とか「帰りの会!」とか思ったことない。
「習字の授業!」とか「水泳の授業あるとき、制服の下に水着を着て来がち!」とかも。
それに反して、「指2本で作るハートマークめちゃくちゃコスパいいな」はめちゃくちゃ思うな。

 夏に自分がバスに乗ってて、中学生が友達と部活の話をしてるのを見ると、
MAXで「いやー、中2は夏になってから中2だな」くらいしか思わないけど、
もし、その中学生がアイドルだとしたら、途端に尊い場面に思えてくる。
 なんでもない日常の中に、存在しているだけで日常の価値がグーンと上がるの、ほとんどバンクシーと一緒。

 あと、夏にある大きなアイドルフェスで[@JAM EXPO]っていうのもあって、
これは2日間のイベントで、これもネット配信で見てるんです。
そして、ステージ上で会場を盛り上げてるアイドルを見て、なんかドラクロワのアレを思い出すんです。
(以下同文)

 今まで言った2つのイベントはどっちも8月にあって、
自分は、この年に1回の「東京8月革命」が本当に楽しみなんです。

 あ、今年のTIFは、東京五輪がある予定だったので10月開催で、
@JAMは毎年、横浜の会場で開催されてるんですよね。

はい終わり終わり終わり!!!!

 

 

 

 

しぼりたてのエッセイ

 

 【儚げ】

 セミの命は儚くて、というような言葉をよく見かける気がする。小説だったり、漫画だったり、ドラマだったり、はたまた学友の作文だったりもしたように記憶している。
 短い命を輝かせながらぱっと散っていく様には、人々の心を震わせる「もののあはれ」が内包されているからなのだろう。
 他にもカゲロウや線香花火などが同じようなものだろうか。甲子園敗退の涙なんかもそうなのかもしれない。その刹那の散り際にうつくしさを見出し感動を覚える人たちは、それこそ星の数ほどいるに違いない。

 まだ小学校低学年の頃、例年に倣って母方の実家へ泊まりに行った夜のこと。
 裏のゲートボール場をはさんだすぐそこに、小さな神社があり、夜はセミの幼虫が樹に登りそこで羽化するのだと聞かされていた。
 やはり少年の好奇心というものは侮りがたいもので、その夜はいそいそと懐中電灯と虫かごを携え神社へと急いだものだった。
 昼とは違う神社のしんと張り詰めたような空気の中に、恐る恐る足を踏み入れ樹々に光を向ける。どの樹でも5つ前後の幼虫がよじよじとその身をより高みへと進めている最中で、普段は抜け殻でしか見たことのなかったセミの幼虫というものを目の当たりにした感動に、少し足が止まった。
 そっと近づいてそのうちの1つを樹から離し、虫かごに納まったその幼虫を観ながら帰途につくと、部屋の白い内カーテンへそっとつかまらせた。
 その後は、羽化していく様をじっと見続けていたように思う。
 幼虫が動かなくなってからしばらくすると、背中にひびが入って徐々に徐々に白いからだがこちらの世界へと顔を出し始めていった。やがて幼虫は抜け殻となって、純白の成虫が自身の存在を完全に支配した。その真っ白な命がこの世の空気を取り込んで、まだやわらかい身体を少しずつ強くしていく時間が流れていった。
 朝になると、すっかり色がついて強度をもったセミがそこにいた。
 窓を開け、ほうり投げてやると、セミはバタバタと羽ばたいて暑くなり始めた外気を裂き、そのまま空へと消えていった。
 残された抜け殻をじっと見つめていたことをまだ鮮明に覚えている。

 セミは幼虫時代が何年もあり、成虫の時代はごく短い。長い下積みを積んで成功したとしても輝ける時間が短い使い捨てのタレントのようでもある。パッと出てきてパッと消える一発屋なんて言ったりもするが、それはそれで立派な成功なのだ。
 何事においても人の目に見えない語られない歴史が必ずあるのだということを、改めて自分の視野に標準装備させておきたいものだと、ふと思った。

文:しぼりたて 2020年6月14日

 

【暑】

 暑い。夏は暑い。
 暑さはクーラーがあればなんとか防げるとはいえ、外に出れば溶けてしまう。たとえ服を全部脱いだって、暑さは裸を上回ってくる。身体はどんどん暑くなる。
 冬はどうだ。冬は寒い。
 寒さはクーラーやストーブやコタツなどでなんとか防げるうえに、外に出ても厚着していればなんとかなることもある。最近では素材にも工夫がなされていて、かなり寒くても着こんでいればなんとかなることも多い。動けば身体は多少熱くもなる。
 ゆえに、冬の方が好きだ。過ごしやすい。
 アイスを食べるのに、暑い夏の方がおいしいと思うこともあるし、寒い冬にあたたかいコタツで食べる方がおいしいと思うこともある。どちらもおいしいのだ。むしろ、季節に関わらずアイスとはおいしいものなのであろう。だからして、アイスのおいしさで夏冬の優劣は決まらないのだと思う。
 しかし、である。活発になりうるのはどちらか。生命の躍動を感じるのはどちらか。と問われれば、やはりそれは夏なのである。

 熱による運動力の付与が、夏を活動的にさせる。肉体も暖かい方が怪我をしにくくなり、より一層活動的になっていく。
 北風と太陽でも、寒さは閉鎖的に暑さは開放的にというイメージは強いが、実際その通りなのだ。夏は人を動かす。
 だからこそ、安易な行動を慎まなければならないと肝に銘じなくてはいけないのが、まさに夏なのだと思う。軽率な判断で動いたが故の失敗、無駄に動き過ぎたが故のミステイク、そういうものが取り返しのつくものであればまだいい。夏の暑さは命も簡単に奪っていく。心しなければならないと強く思うのだ。

 そういう命の重さを考える次の瞬間に、昼はそうめんにしよう、いや冷やし中華の方がいいかな、などと考えることもまた、夏の暑さに動かされたが故の、夏にうかされた状態なのかもしれない。

 

 

【夏の空気】

 夏の空気は騒がしい。
 冬の静かな空気とは違って、太陽のエネルギーが空気中でダンスしているような喧騒がそこにあるのだ。
 春は穏やかだし、秋はオシャレだ。冬は静か。しかし、夏だけは騒がしいのである。
 これは人々が暑さにうかされているがゆえの陽炎のようなものなのかもしれないなとも思うのだが、やはり、空気自体が騒がしいのだ。

 海を見てみよう。
 古今東西、様々な歌に歌われてきた海には、大まかに冬の顔と夏の顔がある。
 冬が静寂さや硬さ厳しさ、祭りの後の寂しさを感じさせるのに対して、夏は活発さや緩さおおらかさ、祭りの最中の熱狂を感じさせる。冬に比べて非常に動的なのである。
 美しさを表現する時は冬、楽しさを表現する時は夏になるような気がする。
 なぜか。夏は空気が騒がしいからである。

 昨今は毎年が異常気象の繰り返しで、もう数十年前とは気候が全然変わってしまっている。
 昔の印象だけで学校にクーラー要らないとか言う昔の人たちは、一度自身が体験してみれば意見がころっと変わるだろう。あまりご高齢だところっと逝ってしまう恐れもあるので実行されない方がよいのだろうが。
 昔と違うと言えば、PCから携帯スマホと、現在では世界中をデータが電気信号となって飛び交っている。大昔では考えられない状況で、しかし、人々はこれを恵みとして有効活用し生きているのだ。
 早馬を飛ばし情報を伝達していた時代に、メールがあれば歴史はどう変わったのか。偉人達が偉人達であった土台がなくなり、無名の一般人達が無名のままで歴史を動かしていったのかもしれない。偉人達は推薦された学級委員のように、面倒なことを押し付けられた不運な人物でしかなかったかもしれない。お人よしが英雄たらしめる時代だったのかもしれない。空気中の電気信号を脳波で読み取って解読する異能の人間グーグル先生がでてきたかもしれない。
 なぜそんな思考に至るのか。夏は空気が騒がしいからである。

 夏の空気が騒がしいせいで犯罪が多発して欲しくはないし、夏の空気が騒がしいせいで傷つく恋愛関係があって欲しくはない。
 それでも、夏は空気が騒がしいからこそ、蠱惑的で魅力的な夏と言えるのである。

 

 

 

 

ダスキンのエッセイ

 

今までに味わった事のない体調の崩し方をし、
半年程苦しむ羽目になったあの時も発症は夏だった。
正確にいえば、そのあとも苦しんだのだが。

病院に何度も迷惑をかけつつ呆れられたまま、そのあと春を迎えた。
体調は良いか悪いかで言えば悪かった。

春なのに寒い。

三月に海開きをするようなところだ。
四月ともなれば気温も上がる。
少々肌寒かったりで、着るものに悩む季節でもあるのだが、寒い。
冬物の毛布二枚に掛け布団。
そんな格好で寝なければ、寒くて動けないくらいだった。
親からは暑くないのか聞かれたが、全く暑くなかった。
寧ろそれでもまだ寒いくらいだった。


夏。
そのまま夏になった。
体調は依然として回復せず、寒さも感じたままだ。
台風の日、窓を閉め切るととても暑い。
扇風機で凌がなければやってられないほどだ。
停電した日には地獄である。
この時は、まだこの家にはクーラーがなかった。
あってもほぼ使ってはいないのだが。

その夏は夏にあるべき【暑さ】というものを一度も感じなかった。
出かける時は長袖、
確かサッカー選手がベンチで着ているようなコートを着ていた。
汗も一滴もかきはしない。
自分でも異常なのはわかっていて、当てはまる病状を考えた結果
【自律神経失調症】
だった。
ただ、夏なのに暑くない、扇風機も使わなくていい、暑さが十一月まで続くココでは、
暑さが嫌いな自分には最高じゃないか、と楽観視していた。

そんな楽観視しているなか、他に気になる病状は残ったまま。
何度か病院のお世話になり、やっと病名を伝えられた。


【パニック障害】


と。
ずっと診断されるのを待っていた。
一度罹った事のある自分には分かっていたが、
診断書がなければ精神科などいけない。
安堵と共に通院する事になった。


寒さ。

気がつけば、病院に通い始めて数ヶ月たった頃には、嘘のように消えていた。
汗もかくようになった。
薬が効いたのだと思うが、暑さを感じる身体に戻った。
若干鬱陶しいと思えた暑さも、
元の身体に戻れば秋の暑さと涼しさが心地よかった。


だがそこは人間。
翌年になれば、例年のように暑さにやられていた。


【寒く感じてた時の方が良かった】


と何度か思ったが、また同じ症状をぶりかえせば


【健康な頃がよかった】


と思うのだろう。
健康な時ほど、健康の大切さにはいつまで経っても気づかないものだ。
人間ってやっぱバカ。

 

 



やまもくのエッセイ
 

皆さんはカナヘビという生き物をご存知でしょうか?
ヘビと名はつくものの、爬虫綱有鱗目カナヘビ科カナヘビ属に分類されるトカゲで足はしっかり4本あります。
全長18 - 25センチメートルで日本全土に生息しているので一度は見かけた事があると思います。

成体は春から夏にかけ交尾し、その際に雄が雌の頭部から腹部にかけてを咬むため交尾した後の雌の体にはV字型の咬み跡が残ることがあります。

 

一旦この話は置いときまして、私には今年四歳になる男の子供がいます。
そこそこ歳をとってやっとできた子供なので可愛くてしかたありません。
休みの日に子供と遊ぶのが一番の楽しみです。
ある日いつものように子供と公園で遊んでいると子供がアリを見つけは踏み潰していました。
子供にはよくある行為なのかもしれませんが教育の一環として「アリを踏んじゃいけんよ」と言うと「なんで?」と返ってきます。
「アリさんも生きとるんよ、殺したら可愛そうじゃろ?」と言いました。子供は「なんで殺したら可愛そうなん?」と言ってきます。

「たけし(仮名)もお父さんやお母さんが死んだら悲しいじゃろ?アリさんにも家族がいるんよ」
「あーそうかー」

私はなるべく子供の「なんで?なんで?」には付き合うように心がけています。
なるべく子供の分かる言葉で説明しようとしますが子供は「なんで?」を繰り返してきます。
多少難しい言葉になっても子供の「あーそうかー」を引き出すまで根気よく付き合うようにしています。
これは「お父さんはなんでも知ってるなー、すごいなー」を勝ち取る為の自己満足なのかも知れませが、
子供には『分からない事は納得がいくまで「なんで?なんで?」を繰り返す探究心』を持ってもらいたいという気持ちがあります。
それとやはり優しい子に育ってもらいたい。運動や勉強ができなくても、とにかく優しい子になって欲しい。
私の場合は嫁がかなり歳下なので高い確率で私が先に死にます。私が死んだ後もお母さんを大事にしてくれる優しい子供に育って欲しいという気持ちが強くあります。

この夏は虫取り網と虫かごを持って何度もセミ捕りやバッタ捕りに行きました。
捕まえて帰っては図鑑で種類を調べて逃してあげるというのを繰り返しました。

そして「このセミは羽が少し千切れてるから可愛そうだから逃してあげんといけんね」「このバッタは足が一つないから捕まえたら可愛そうじゃね」
と子供自ら言ってくるようになりました。
少しずつ命の大切さが理解できてきたのかなと思って嬉しくなりました。そしてここで最初に出てきたカナヘビが登場します。

「お父さん!トカゲがトカゲを食べとる!」子供が興奮して言ってきます。

見ると写真の状態でがっつり交尾しているカナヘビがいました。雄が雌の腰の辺りに噛みつき尻尾や足も使ってしっかりとホールドして交尾をしています。
手で触っても逃げる事なく交尾を続けています。

「たけし、これは食べてるんじゃなくて仲良しをしてるんよ、そうしたら卵ができてトカゲの赤ちゃんが生まれるんよ」

性関係の事は特に説明が難しいのですが、なるべく子供に分かるように説明する努力をしました。
すると

「仲良ししてるのになんで噛むの?たけしは保育園でお友達は噛んじゃいけないって言われたよ」

「…」

難しい、これには困りましたがなんとか「なんで?」に答えてあげたい。
とっさに出た答えが

「仲良ししてる時、優しく噛んだら気持ち良い時もあるんよ」

あーーーーーーなんて事を言ってしまったんだ!ヤバい!どうにかもっと良い説明をしないと!ヤバい!何かフォローしないと、ヤバい、ヤバい、と思っていたら
「そうなんだー」と追加のなんで?をしてきません。
少し交尾の様子を見てすぐに網を持ってセミ捕りに戻って行きました。
もしかすると私の「ヤバい!」の表情を読み取って空気を読んでくれたのかもしれません。
しかし赤ちゃんができる理屈も知らない子供に更に訳の分からない説明をしてしまった、優しく噛んだら気持ちいいってなんだよ!
本当に自分の馬鹿さに呆れてしまいました。
普通の親達はどのようにして性関係の事を子供に説明しているのだろうか?
植物の雄しべと雌しべで説明してるのか?コウノトリは余りに現実離れしすぎてはいないか?
なんで最初に見た子作りのケースがハードプレイのカナヘビなんだよ!その後のセミ捕り中もずっと頭の中でそんなことがぐるぐるとしていました。
子供に性関係の事は難しい。帰ってからも夜中までその事が頭にあってなかなか寝つけませんでした。
少しアルコールを追加してまた布団に入ったのですがまだ眠れません。

「…よし、セックスだな」私はゴソゴソと嫁の布団に潜り込み夜の営みをしようとしました。
嫁は寝ていて不機嫌だったのですが一応OKだったようで、めんどくさそうにパジャマの下だけを脱いでいます。
ふと気づくと私は嫁の腰の辺りにがっつり噛み付いていました。「ハッ!」我に返った私はとっさに「どう?」と言いました。

嫁「どうとも。早よ動けや」
私「…」

大人も性関係の事は難しい。
これが私のこの夏の思い出です。

 

 

 

きとくんのエッセイ

 

私は警備員のバイトをしている。建物の受付にいるほうの警備員ではなくて、工事現場にいるほうの警備員だ。

もう17年になる。思えば私はこのバイトを始めたころから夏に弱かった。

最初の年は日焼け止めを忘れて一日過ごしたら、腕の皮が全部なくなって痛くて泣いた。

翌年は朝電車で現場に向かう途中に気分が悪くなり、会社に電話で伝えてみたものの、
代わりの人員がいないから頑張ってくれと言われ、頑張っていたら悪化し、片側交互通行しながら側溝のグレーチングに向かって吐いていた
。片側嘔吐通行だ。グレーチングというのは鉄の網の蓋のことです。

そんなこんなで熱中症とまではいかないが、たびたび現場で気分が悪くなり嘔吐を繰り返してきた私なのだが、
ついに一昨年は病院に担ぎ込まれるにまで至った。
その日は七月の暑い日で、私の立ち位置には日陰もほとんどなく、午前中からすでにぐでんぐでんになりかけていた。

皆の心配する声が無線から聞こえる。しかし私は持ち場を離れるわけにはいかない。第三者の安全を守るのだ。

なんとか昼休憩まで持ちこたえ、私の体は回復する機会を得た。
これで大丈夫、一日乗り切れるはず、ああでも今日はもう立っているのがつらいな……、もうだめだ……。

小休憩をいれることにした。現場の傍に市営の球場がある。そこのベンチで休もう。

球場の自販機で飲み物を買う。そのとき私を吐き気が襲った。近くにグレーチングがあった。夏の私のオアシス、グレーチング。

そこから私は立ち上がれなくなった。同僚に電話して復帰できなさそうだと伝える。
会社には同僚が連絡してくれるという。ありがたい、また迷惑をかけてしまったな……。

しばらくして営業の人が私を迎えに来てくれた。
私の様子を見てすぐに病院に連れていくべきだと判断した営業の人は、私に保険証を持っているか尋ねた。
持っていなかった。だって現場用の財布はすぐに汚れるし貴重品は持ち歩きたくなかったから……。

私は営業の人にスマホを託し、夫と連絡をとってもらい、夫に保険証を持ってきてもらうことになった。
病院に着いて、看護師さんに来院歴を聞かれ、名前と生年月日を尋ねられた。そこで私はハッとした。今日、誕生日だ。

看護師さんが祝ってくれたかどうか、記憶が定かではない。夫が駆けつけてきて心配そうに私を覗き込む。

「誕生日に、倒れた……」

「あ、ほんとだね」

夫は点滴に書かれた日付を写メっていた。記念だ。誕生日に点滴記念。

みなさんはこんなことにならないように夏はエアコンのきいた室内で過ごすことをオススメします。
それではごきげんよう。

 

 

 

みなみ(きとくんの旦那)のエッセイ

 

親父の話

 

親父がムカデを殺そうと火を放った。
その火は親父自身が経営しているラーメン屋に燃え移り、やがて大きな炎となった。
暑い夏の夕暮れのことだった。

19年前、私が20歳の頃だった。
当時大学に通っていた私は学業に専念することなく、フラフラとしていた。
「ラーメン屋をやるぞ!」と親父が言いだした時、私はまたか、と思った。

昔から親父はラーメン屋を開いては店を閉め、他の仕事を始めるというのが
常だった。このサイクルをもう4回も繰り返している。
決して味が悪くて店を閉めているわけではない。飽き性なのだ。

「ログハウスを建ててそれをラーメン屋にする、手伝え」と親父は言った。
私はわかったと答えた。どうやらログハウスのキットを購入し、店舗を作るらしい。
親父とのログハウス建設が始まった。

時折、兄や親戚、親父の仕事仲間も手伝いに来てくれてログハウス建設は順調に進んだ。

半年後、店は完成した。

「開店日は100円ラーメンをやるぞ」と親父が言った。
親父は100円ラーメンが大好きだ。提供する側になってもそれは変わらないらしい。
「お品書きを書いてくれ」大五郎のお湯割りで上機嫌な親父が言った。
私は短冊にメニューを書いていく。

私が「チャーシューメン」と書いたときだった。
「チャーシューメンは500円だ、500円と書いてくれ」親父が言った。
私は安すぎると忠告した。しかし、親父は500円の一点張りできかなかった。
私はしぶしぶ「チャーシューメン 500円」と短冊に書いた。
親父の顔は酒で真っ赤だった。

翌日、親父が「チャーシューメン500円は安すぎる」と言ってきた。
母親の指示で500円にしたのだと思っているようだ。あんたの指示だ。
結局チャーシューメンは600円に落ち着いた。

開店日当日、店はごった返した。100円ラーメンのせいである。
私と母、そして親戚の女の子で切り盛りしたが、それでも人が足りなかった。
家族総出で汗だくになりながら初日を乗り切った。

大繁盛、という言葉が相応しい客足だった。

開店日を乗り越え、通常営業に切り替えた後も客足はまずまず、
店はほどほどに繁盛していた。

それから半年後のことである。

バイト中、私の携帯が鳴った。
高校の友達からの電話だった。

「違うかもしれないけど、多分だけど、みなみんちのラーメン屋が火事かもしれない」
友達が言った。私はうろたえながら、確認してみると言い電話を切った。

親父に電話するが出ない。ラーメン屋の固定電話にもかけてみるが出ない。
自宅にも電話したが繋がらなかった。
私は事情を伝えバイト先を出た。急いでラーメン屋に向かった。

ラーメン屋付近に来た時だった。夕暮れ空の一部が赤い。炎の赤だ。
店の前に車を止める。たくさんの人だかりと燃え静まりつつあるログハウス。
焦げた柱がゴトン、と音を立て倒れた。

私は近くにいた消防団に声をかけた。家族である旨を伝えると、お店にいた人は
隣の家の駐車場で休ませてもらっていると言った。私は走った。

親父がコンクリートの上ににへたり込んでいる。母親もへたり込んでいる。
生きてた、良かった。と私は思った。

その時、どんな会話をしたかよく覚えていない。自宅に帰る車内で
母親のすすり泣く声がやまなかったことだけは覚えている。

家に帰り、落ち着いた後、親父に事情を聞いた。
ログハウス建設の際、基礎となるコンクリートを高く打ち、そこを倉庫代わりに
使用していたのだが、その倉庫にムカデが出たのだそうだ。
そして倉庫にあったバーナーでムカデを焼き殺そうとした際、近くのダンボールに
燃え移ったらしい。

私は何故バーナーで焼き殺すという手段をとったか尋ねた。

親父は踏んづけてブチュってなるのが嫌だったからと答えた。
私は無理やり納得した。

親父はガラガラの声で「悪かったなぁ」と言った。
こんなにしょげた親父を見たのは生まれて初めてだった。



当時はすごく辛い思いをしたが、時間というのはえらいもんで
時が経てば人の気持ちを癒やしてくれる、そういうものらしい。

お盆休みに帰省した時には「盛大に燃やしてやった」と親父が笑いながら言っていた。
手には焼酎のお湯割りが入った水筒を持っている。
一杯づつ作るのが億劫なので水筒に入れて小脇に抱えているらしい。

今、親父はガンだが不倫している。
母親にもいい人がいるらしい。

そう、みなみ家は辛い過去を乗り越えたのだ。

 

 

からかんのエッセイ

 

食卓

蒸したトウモロコシや、味付けの濃い中華が、四角い座卓の上に並んでいる。
下に敷かれたい草のマットは所々擦れたり、犬の小便の跡が染みていた。
ついさっきまで冷蔵庫の中にあった麦茶ポットには結露が浮かび、座卓の上を濡らしている。
僕からみて左側に座っている父は、テレビのリモコンを片手にチャンネルをザッピングし、
母は電子レンジで温めた小皿や、父の飲むタンブラーのビールグラスを運ぶために台所と往復していた。

ようやく揃ったと、足を痛めている母が、床ではなくソファに腰掛け、扇風機のスイッチをつけると、
父は冷蔵庫からビールを取り出すよう、母に求めた。首に巻いたタオルで汗を拭いながら、母は父のビールと、
自身が飲むノンアルコールビールを取り出した。

父は受け取ったそれをグラスに注ぎ、乾杯の音頭をとる。僕は小さな声でつぶやくと、グラスとグラスを合わせた。

食事が始まっても父のザッピングは落ち着かなかった。芸能人宅のリフォームや、旅先のグルメや、クイズや、衝撃映像や、
経済情報が画面に映っては消えていく。母が提案として録画してあったドラマの名をあげた。
父はとくに返事をするでもなく、母にリモコンを渡し、母が録画番組一覧からそのドラマを選び、再生する。
それは、僕と母とが昼間にすでに観たものだった。

いくら好きなドラマとはいっても、すでに結末は知っているし、左側では父のほうを向いて固定された扇風機がうなって、
テレビの音も聞こえづらいものだから、僕は画面に芸能人が映るたびに軽口を叩いた。
母もあわせて笑い、適当な悪口で盛り上がる。すると、「音量」という声が飛んだ。

ドラマのありきたりな表現に難癖をつけながらも父は笑い、それでもそのドラマを来週も彼は観るのだった。

食事を終え、立ち上がると、胡坐をかいて座っていた場所にトウモロコシの食べかすがこぼれ落ちていた。
座って足をのばすと、父にあたってしまうため、僕は食卓ではずっと胡坐だった。
食べものが所せましに並べられた小さな座卓の下で、足を伸ばしているのは父ひとりだけだった。

ついでに、とグラスの中の溶けた氷の補充を求められないよう、足早に食べ終えた食器を流しに片付けにいく。
わずかに開けられた窓から、夜更けの冷たい空気が廊下に流れ込んでいた。汗をかいた僕の足の裏が、暗い廊下でぺたりぺたりと音を立てた。

 

みっこりん♪のエッセイ

 

わたしは夏が嫌いです。なぜなら暑いから。
寒かったら服を着込めばいいけど、暑さをしのぐには限界があるので。

皮膚は脱げないし、脱いだとしたら痛いし、
暑いはやばい、やばいは暑いです。

暑いといろいろなものがすぐ腐ります、やばい!
そして虫がわきます、いやだ!
臭いのはみんないやだよね!

薄着にならなきゃいけません、いやだ!
汗をかくとべとべとします、いやだ!
紫外線強い!
セミとカエルもうるさい!
ねこと身を寄せ合って眠れない、これが1番いやだ!

なので、夏は無くていいと思う。
6月からけっこう暑いので、6~9月は無くていい。
あと、寒すぎる1月2月も無くていいな。
冷たいものを触ったとき、間違って「あつっ!」て言っちゃうことあるし。


今後私の世界は、3、4、5、10、11、12月のみとす!
カレンダーも半分の枚数で済むし、エコだねぇ。

そうだ、いっそのこと26℃以上も存在しないことにすればいい。
体重48kg以上も、一部例外(※おすもうさんなど)を除いて存在しないことにしよう。

なんで穏やかで過ごしやすい世界…。

夏菜は菜になり、夏帆は帆になり、京極夏彦は京極彦になり、
ファーストサマーウイカはファーストウイカになる。
さまぁ~ずは「ず」になるな!いいじゃん、「ず」!

そろそろ眠くなってきたよ…起きたら…再起動後には新世界が始まるんだ…zzz


♪♪♪ ジングル ♪♪♪


では、スタジオにお返ししたいと思います!
スタジオの、からかんさーん!ミントさーん!ゲルハルトちゃん牙さーん!
感想お願いしまーす!(ゝ3・)r

 

 

 

トノサーマのエッセイ

 

 「なあ、明日会えないか?ちょっと頼みたいことがあるんだ」

随分昔の事ではあるが残暑の厳しい8月の終わりごろの事である。小中一緒で仲は良かったが、高校が別々になってからは疎遠になってしまった
よくある友人の中の一人から電話があった。

お金とか宗教の勧誘とかじゃないといいけどなと少し不安に思いながら
了承して翌日集合場所に向かった。

集合時間5分前についたが彼はどうやら先に着いていたようだ。
昔はお互い5分10分遅れは当たり前だったことを考えると
こいつも社会人になって成長したなと自分の事は棚に上げて秘かに思う。

とりあえずお互いの近況を軽く報告しあって、駅前の居酒屋のdmdmに入る。

彼の相談は趣味でボランティアをやっているそうで近日参加する予定の日があるが
どうしても抜けられない他の用事ができてしまい私に自分の代わりに出てくれないかという事だった。

興味がないので断ろうとしたがこの店の代金を彼が全部出すという。
ボランティア精神で私は引き受ける事にしてお酒と串盛りとお刺身を追加注文した。

当日動きやすい格好で会場に向かう。
内容は簡単な軽作業で難しくはなかったが
体育館のような場所での夏の作業は想像以上に体力を消耗して
汗が衣服にまとわりつき不快感を増していくのが分かった。

周りを見ると他の人は笑顔で作業している。
私の友人もそうだがこの人たちはボランティアというものを
なぜ進んで行うのだろうかと考えてしまう。

私はそこでアル人の兄の言葉を思い出す。
この世の理は「等価交換」という言葉である。

例えばわかりやすいところでいえば小学生の下校時にお年寄りが送り迎えするボランティアだろうか。
お年寄りは定年後の暇な時間に軽い運動と子供たちとのふれあいを得られて
子供たちは安全性の向上が見込まれる。
金銭が発生しないだけでなるほど立派な等価交換である。

その考えにいきつくとボランティアしている人は人の為に何かをして喜んでもらうことで
満足感や幸福感を得ているのではないかと思う。

まさに情けは人の為ならずであり、今までの私の人生にはなかった事だ。
今後私も人の為に何かできる事はないか常に考えていきたい。

だからこそ「エッセイSPをやるが書いてくれた人数が今2人かな」
その話を聞いた私は
おもむろにパソコンに向かいこのエッセイを書き始めるのであった。

 

 

うけじろうのエッセイ


「 窓の外には、月が。 」

3年B組 田之内うける

知ってますか?人が夜にみる夢ってのは、その日あったことの記憶を整理して定着させるとともに嫌な記憶を処理して
心を癒やす働きがあるっていうんですよ。でさ、私は夢をみないわけですよ。
夢をみたことがないんです。前はそんなこと別に気にも留めてなかったんだけど、そういう夢の機能を知っちゃったらですよ
、なんだかとても損をしている気がしてならないんです。

遡ってしばらく前の話なんですけど、親戚の結婚式に出たとき、
受付を任されたり盛大で華やかな会場にあてられたりでちょっと気疲れしたのもあって
新郎友人の芸で盛り上がっている式場から外に出て客用ソファーで酔い覚まししていると、
程なくして隣に男性が座ったんです。席はいくらでも空いているのにわざわざ隣に座らなくてもと思ったんですけど、
こちらの親戚筋で見た顔ではないので相手方の親類なんでしょう、
これからは遠戚となるのだろうから邪険にもできずに気まずく会釈すると相手は一方的に自己紹介しはじめたんです。

聞けば立派なもんで新婦の兄で脳神経外科の研修医をしているんだそうです。
彼がこちらを向いて目を合わせたのは最初の一度切りで、あとは目線を落として、
料理で苦しくなったのかベルトを外すとそれを左の掌にぐるぐる巻き付けたり解いたりを繰り返しながら記憶に残らない他愛の無い事を喋り続けました。
一通り話し終えると、このちょっと変な研修医はふぅと大きなため息をつくと不意に黙り込んでしまいました。
私は、頃合いかなと、彼に一声かけて会場に戻ろうと思案したんですが、ふと自分でも思いかけず、私は夢を見たことがないんです、
と声に出していたんです。彼は、ああ、と前を向いたまま顔をあげると、専門外だけど、と前置きした後、
冒頭に述べた夢の機能について私に教えてくれたんです。
そのうえで、まあ、とはいえ、夢をみるみないで心身の健康に影響が出るかと言えばそんなこともないと思いますよ、と付け加えました。
それからiPhoneで検索してあからさまにカンニングしながら、最近の研究では見た夢を目覚める前に消去する神経細胞も解明され、
現実と夢の混同が起こらない仕組みも脳に備わっているみたいな解説をしてくれたことをあやふやながら覚えています。
それをぽかんとした顔で聞きながら、確かにちょっと変な研修医だけど、
案外患者の為に丁寧に説明してくれる良い医者になるのかもしれないななんて思っていると、
彼は、まあ要するに、夢をみて癒やす必要がないほどストレスと無縁の生活をしているのかもしれないし、
そもそも夢を見たことが無いのではなく脳細胞の不具合で夢と現実の混同が起こっていて、
夢に見たことを現実だと思い込んでいるのかもしれませんねえ、と冗談めかした適当な診断でその場を締めました。
つまりは些細な記憶から過去の大事な思い出、なんならその研修医との会話も、含めて記憶は夢でできているのかもしれないのです。
あの夏の夜の、ちょっと気になる出来事も。

 

いつかの夏の盛りの夜の話。
いつもは一度寝ると朝まで目が覚めない質なんですが、その日は夜中にパッと目が覚めて。
時間を確かめようとスマホを手にしたけど充電切れ。
どうやらいつものコミュニティの配信を流したまま寝てしまったようでした。
まあいいや、またこのまま寝てしまおうと思ったところでふと違和感を感じたんです。
仄かに灯してあるはずのフクロウを象った間接照明は点いておらず、スマホを充電器に収めても充電は開始されず。
それでも部屋がぼんやり明るいのは、煌々と月が輝いているからなのが、カーテンにくっきりと映るアカシアの枝の影で分かったんです
。夏は夜でも何かしらの生気を感じるものですが、まるでしんしんと雪が降る冬の夜のように生き物の気配も風の音も無い、
ただ月だけが青く白く光る閑かな夜でした。
夜に浸ってる場合じゃない、ブレーカーが落ちてないか見に行こうとベッドから立ち上がり部屋の扉を開けて
、廊下へ出て静かに一歩二歩。三歩歩いたところではっと息をのみました。うちでは猫を飼っているんですが、もう15歳になる猫が、
廊下の向こうの曲がり角から歩いて現れたんです。
こちらには気づかず、音も無く、人の肩の高さの辺りの空中をさも当たり前のようにすっすと歩いて廊下の角まですすみ
、突き当たりにある窓から外を見下ろし始めました。窓から差し込む月明かりに輪郭を輝かせながら宙に座る猫を横から眺めていると、
それはいつもと違う、なんだか手の届かない存在に思え寂しさと焦燥感、不安感のようなものが湧いてきました。しばらく後、
静かに一歩踏み出そうとするこちらの気配に感づいた猫はすっとこちらを見ると 一瞬、いたずらを見つかったときの、しまった、
という顔できゅっと目をつむると すとん、と床に降りて、それから何事もなかったようにこちらに歩をすすめてきたんです。
いつもの猫であることを確かめたかったのですれ違い様に抱き上げようとするも、
ぬるりと抜けて廊下を真っ暗な方に行ってしまい見えなくなったんですが、リビングへ入る猫用ドアにとりつけた鈴がちりん、
と暗闇に響くのが聞こえました。
私はブレーカーが落ちていないのを確認してのち、停電で電気の来ていない冷蔵庫から缶酎ハイを取り出して自室に戻り、
一気にあおってからまた眠りました。

翌朝、ソファの上。いつもの場所で寝ている猫に私は声をかけたけれど、いつものように無視されたので、
背中をわしっとつかんでもう一度声をかけたんです。朝日に照らされた木々で蝉がわんわん鳴き始める中、
猫は、面倒くさそうにぱたぱたと尻尾を振って返事をしました。