プチ旅で、空海が歩いた風景を訪ねる。

奈良吉野の国指定の史跡 比曽寺跡(現世尊寺)

 

空海が歩いていたであろう同じ場所を踏んで、立ってみたいという思いが募ったんです

春まだ浅い、大淀町の比曽寺跡に行ってきました。

 

吉野の山へ入るには吉野川を渡らなければならない

空海も「柳の渡し」を利用して吉野の山に入っていったのでしょか。

 

 

 

史跡比曽寺跡の山門

 

18歳の時、奈良の大学寮に入った。正式には「平城京式部省大学寮」という

1200年前に大学が存在したことに驚きだ

 

大学での勉強は、断片的な知識を詰め込むだけで失望していた、もっと人間・宇宙の真理を探究したいと

私度僧となり山岳修行に身を投じていったのである

 

西暦793年ごろ、吉野の比曽寺に神叡という唐の僧侶がいた

その神叡こそが真魚(空海の幼名)に「こくうぞうぐもんじほう」を教えた僧侶だという話がある

 

山岳修行に強い関心をもちはじめた当時の真魚が神叡のことを聞き訪ねてもいても不思議ではなかろう

多くの渡来人僧侶の中で真魚ものめり込んでいったんですね

 

 

東塔跡の礎石だけが残っている

比曽寺は吉野寺、現光寺、と別称で呼ばれた時代もあって、現在は世尊寺となっている。

 

比曽時には唐の神叡僧侶をはじめ多くの渡来人の僧侶がいた。

真魚はその渡来人たちから、外国語を聞いて教わっては貪欲に自分の物にしていった

 

 

 

西塔跡の礎石は一面に苔むしていた

東塔、西塔を配置した大規模なお寺であったと偲ばれる

 

 

 

今の世尊寺の総門

比曽寺跡の中を進んでいくと、総門がある

 

 

正面一番奥に世尊寺の本堂

ぐるりと四方が渡ろ廊下みたいに連なっている

西側には太子堂もある

 

 

おまけ、

(この話は、空海より900年ぐらい後の時代になります)

 

説明には、芭蕉が檀上桜をながめて詠じた句碑となっていました。

 

              世にさかる

 

                花も念仏まうしけり

 

                       ばせを

 

 

比曽寺跡を15分ほど下りてくると国道に出て少し南へ行くと六田あたり

柳の渡し石灯篭や石作の道標がある

 

大淀町北六田と吉野町六田を結んだんです

真魚もここから吉野の山に入っていったんですね

往時を偲んだ。

メモ投稿記事投 291回

 

 

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