意思による楽観のための読書日記

25年後の読書 乙川優三郎 ****

「書評家と同業者に向けた分かりやすい挑戦状」小説だと断定したい。主人公はエッセイストを生業とし書評家としても仕事が舞い込みだした57歳の独身女性の中川響子、その人生の後半のパートナーとなっているのは小説家で妻とは別居中のボヘミアン谷郷敬(やごうたかし)。谷郷は小説家としては既に名を成していて、有名な賞の審査委員も務めるほどだが、次作の執筆に悩んでいて、連載や依頼ではなく書き下ろしという形を取りたいと自らを奮励する。響子は、三十年前、仕事で訪れていたパラオで谷郷と知り合いそれ以来の付き合いとなった長い付き合いでもある小説家の姿勢を認めながら、前作に往年の巧みさや肌理細やかさが欠けているのを指摘する。二人の関係は文学という芸術が結びつけた仲、という大人の男女の物語である。

本小説の構造は、響子に書評のツボを語らせ、谷郷の口を借りて書き手である小説家の苦しみを説明させながら、響子には最後に筆者自身の次回作の宣伝までさせるという形になっている。つまり、小説に書評はつきものであるが、本小説を第三者が書評する時には、必ず本書内に散りばめられた書評のツボと本書の内容を対比することを余儀なくされるという形に書評家を追い込むことになる。よほど自作の小説に自信がなければ出来ない所業であり、作者も自分自身を追い込むことになる。

書評家としての響子には書評に関してのいくつかのツボを語らせる。「辛口の書評でも文学への愛情を欠いた文学少年バリのウブな指摘をみると評論家を名乗る前に人間を磨いてほしいと思う」「急ぎ足で書かれた文章の拙い書評や、学術的な異臭を伴う評論は読みづらい」「書評とは誰のためにあるかを失念しているのは笑止、思うことをわかりやすい言葉で大衆に向けて書いてほしい」「評論や批評だけが気高い山でいられるはずがない」「短い書評も文学に負けない美しい日本語で書くべきである」(私は素人だし雑誌に掲載されるわけでもないから気楽に感想を書けるが、プロの書評家は書きにくいだろうと想像する)。

こうした真摯な姿勢を貫き通そうとする響子は、果たして物語の後半で自律神経を病み、友人のすすめで南の島に長期療養する。その南の島での療養生活は、前半とはまた別の小説を読むようで美しい。トマス・マンの研究をして生きてきました、というドイツ人が夫婦で保養に来ていて、意気投合するくだり、その老人は「人間に良心があるうちは文学は廃れない」なんて、文学論をぶったりするが、これが作者が言っておきたかったことだろう。そして最後に編集者が東京から運んできてくれたのが谷郷の最新作のゲラ、これが「この地上において私達を満足させるもの」という作者自身の次回作で、最高のできだと響子の口を借り、響子も東京に戻れる自信が持てる。

甘めの書評が世の中にあふれていて、碌でもない作品にでも高評価の星がついていたりするのがこの作者としては許せないんだろうと思う。実際、響子が作中関わる男には谷郷の他に、冒頭部分で再会する新聞記者で学芸部員でもある栗原とバーテンダーの久瀬という3人が登場する。35年も前に自分を見限った男の評価が低いのは当たり前だが、今は少しは違うと分かっても、相変わらず甘めの書評を書いているという設定。一方、久瀬は”Name your poison"コンクールというカクテルの世界大会に出場するような腕前の持ち主で、響子も業界紙でカクテルの腕前を磨いた経験もあるため、もともと高評価。久瀬は他人の評価などはしない。文芸論、書評論、カクテル論の三つを絡めて一つのお話にしているという、まことにオシャレな作りで私としては良いと思うが、同業者や書評家からはどうなのか。図書館に「この地上において私達を満足させるもの」の予約を入れた。

二十五年後の読書

この地上において私たちを満足させるもの


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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