沖縄は夏だった | 偽・乱筆記~himagine~

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当たり障りのない日常の日記や雑記の類です

今年の9月で安室奈美恵が芸能活動を引退した。
宇多田ヒカルみたいに活動休止というcaseや、
語学留学するとかなんとか言って止める人は時折見かけるが、
人気絶頂の中で芸能活動をきっぱり辞めた人といったら、
他に思い付くのは山口百恵くらいしか思い付かない。
安室奈美恵を初めて知ったのは、
昔日曜夜にビートたけしがやっていた『元気が出るテレビ』で、
沖縄に美少女空手家がいると聞いて真偽を確めに行くという企画で、
可愛いギャルが5人(他4人はMAXだったかもしれない)出てきて、
その中で最年少の小学生が安室ちゃんが出ていた記憶がある。
しかし何らかの力が働いているのか?
その一切の記録が歴史から抹消されていてググっても出てこない。w
今では私が記憶違いをしているのではないかと思い込まされそうだ。
それからすぐにポンキッキーズでアムアムとして出ていたのを見て、
“あの子タレントになったんだ!”と思った。
それからさらに少ししたら“安室奈美恵&スーパーモンキーズ”
みたいな名前で歌活動を始めたと思ったら、すぐにソロデビュー。
最初は小室系テクノサウンドだったが、
次第にブラコンっぽい曲調に変わっていったと思う。
私は二十歳を過ぎた頃からjazzに傾倒していったので、
所謂流行りのrockやpopsにはもっぱら疎くなってしまい、
テレビ、ラジオで見聞きした緩い情報しか知らないのだが、
どうやらデビューからずっと人気がピークのまま
四半世紀を駆け抜けてきたようだ。
私も同じ時間を生きてきたのだが未だに何者にも成れず、
『元気が出るテレビ』を見ていた頃と同じように
ネットで安室ちゃんの引退報道を見ている。
そしてあの頃から1歩も前に進んでいないんじゃないか
という焦燥を感じている。
私も私なりに努力っぽいことはしてきたつもりだが、
能力も至らなかっただろうし、好機も逃してきただろう。
日本の企業社会についぞ馴染めなかったのも要因だと思っている。
なかなか成果に繋がらず底辺のまま四半世紀を過ぎてしまっていた。

私の乗った船はその安室ちゃんが引退の地に選んだ
沖縄本島へと向かっていた。終着地は那覇だ。
夕方出港し夜間はひたすら航行していたのだが、
早朝から2、3時間置きに奄美諸島と沖縄諸島の島々に寄港し、
その度に乗降客への船内放送が響き渡るので
長時間熟睡できる状況でもなくなってしまったので、
私は熟睡をすっかり諦めて、
むしろ寄港する度に船上から島の風景を見たりして時間を潰した。
そしていよいよ25時間の航行を終えて那覇港に到着した。
私は真っ直ぐ宿へと向かった。
とにかくひとまずシャワーを浴びて頭を洗いたかった。
身体はウェットタオルで拭いたりしていたのだが、
頭皮はなかなかそうもいかない。
しかし夕食で行きたかった店が遅くまでやってなかったので、
チェックインした後すぐウェットタオルで身体と頭を拭くと
那覇のメインストリート、国際通りへと向かい、
沖縄の家庭料理の店でソーキ麺定食とゴーヤチャンプルを食べた。
街の雰囲気はもう安室ちゃんfeverも一段落した後のようで、
特段盛り上がってる様子はなかった。
後で乗ったバスの運転手の話だと前の週はバスが足りなくて
臨時のバスまで出したと言っていたので、
混雑しているよりは幾分落ち着いている方が良かったと思っている。
どちらかといえばポスターやら外宣カーやら運動員やらと
沖縄県知事選の光景が一際目立っていた。
それからしばらく街を散策してから宿に戻り、
今度こそシャワーを浴びて、洗濯をして、
ようやく柔らかいベッドで眠ることができた。zzzzz.....

その翌日は朝一で開場直後の首里城に行き、
無料で入れる場所は大して無く、すぐに嘉数高台公園へと向かう。
この日は路線バスを乗り継いで方々を回る計画だったのだが、
ネット上の路線バスの情報はいまいちアップデートされておらず、
事前に調べたダイヤと違ったうえに、
バス停に書かれている時間にもバスは来なかった。
私はバスが苦手だ。
電車と違って前払いだったり、後払いだったり、
前の扉から乗るのか、後ろの扉から乗るのか、
ルールが一様ではなく停留所にも大概書かれていない。
だから実際に乗る時にならないと判明しない。
普段乗らないからすっかり忘れていて
特段言われないと整理券を取り損ねることも多い。
バス停の位置をネットで検索しても
上りや下りまで認識できてないようで誤りも多く、
通り過ぎていくだけの旅人にとっては
ハードルがとても高い乗り物だと今回改めて感じた。
この時は結局定刻を10分過ぎたところで
偶々私の正面で反対車線からターンをして
私の目前に現れたタクシーに手を振って乗せてもらった。

車内では運転手の息子が好きだという長渕の曲がずっと流れていた。

嘉数高台公園は普天間飛行場を見下ろすことができる場所だ。
実際行ってみると確かに街中に在るのが不自然な立地ではある。
だから辺野古に移転するという話になったのも理解できる。
何の集まりかは知らないがそこで若者たちに地元民らしき人が
普天間基地反対の見地でガイドみたいなことをしているのを偶々見かけた。
そこから次は定刻より15分ほど到着が遅れたものの
今度こそ高速バスと路線バスを乗り継いで辺野古へと向かった。
辺野古の海岸は結構どこまでも透明な水面で、
その先は幾つもの青が拡がり、とても綺麗な海なのは解った。
そこで座り込みしている反対住民のテントがあったので
少しくらい話が聞けるかとも思っていたが、
私がビデオカメラを片手に近付いてったものだから
初っぱなからやたら警戒された様子で怖かったので結局それは断念した。
仕方なく工事の様子なんかをしばらく見てから現場を後にした。
それでこの日行きたかったところを行き尽くしたので、
今度は10分遅れてやってきた辺野古から那覇行きのバスに乗った。
沖縄バス77号線、沖縄本土の半分を縦断し、
なんと全長は148ヶ所の停留場を結ぶ路線だ。
乗ったバスの運転手の話だと最長路線だそうだ。
電車の無い島ならではだろう。ちなみに私は2時間半乗った。
バスからの車窓の風景を撮ろうと一番前の座席に座り、
ビデオカメラを構えていると、
辺野古からバスに乗ってきた観光客で
基地問題に関心のある若者に見えたのだろう。
その時は乗客が私一人だったこともあってか、
運転手から「東京で基地問題は話題になっているのか?」
と声をかけられた。
「ニュースになれば多少話題になってますよ」
といったことを答えた。
運転手は飛行体からの落下物が多いことに
大きな憤りを感じているようで、
実際は報道されてる以上に年がら年中起きていることらしい。
ネット上では誰かが置いたんじゃないかなどと勘ぐっている人も多いが、
さすがにそこまではしないだろうし、
成田や羽田で似たような話を聞かないのでやはり事故は多いのだろう。
その点は怒っていいと思う。
そしてそのために辺野古への移設を
早急に進めるべきなんじゃないのかとも思った。
話をしていて普天間基地反対の人は、
危ないから街中に造るなと言ってるだけなので、
主張は合理的で話し合いのできる相手で合意を得られる相手だと思った。
(実際、辺野古への移設は2006年に省庁と名護市長とで合意済み)
果してテントの下でぼさ~っと1日を過ごして、
通りがかった旅人に威嚇してくる老人なんかの話を聞くよりも、
偶々出会ったその街で暮らして働いている人から生の見解を聴けたのは
遥かに貴重で面白い体験だったと今では有り難く思っている。

後日譚になるが私が沖縄に居た頃は
ちょうど県知事選の選挙運動期間の真っ只中だったが、
後日選挙の結果、辺野古移設反対派の候補者が当選した。
沖縄県内で最多の民意を得たのだろうから
少なくとも県民はこの結果を受け入れるしかあるまい。
これでバスの運転手さんの憤りは
まだしばらく続くことになりそうだ。orz


 

 

 

【蛇足】
東京都民も初めから馬鹿だと判っていた桝添を知事に選んだりしてるし、
私は自身をアスぺだと自認してるが、
にしても他人の考えてることが全く解らん。