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当たり障りのない日常の日記や雑記の類です

ヤフーブログが今年の年末にはサービス終了になるらしい。
ポータルサイトとして不動の地位に居ると思っていたので、
そこのサービスなら半永久的に続くであろうと
ヤフーを選択したのだが僅か約14年半の寿命だった。
貼りっぱなしにしてたブログパーツも殆どサポートが終了しているし、
ブログというモノ自体がネット文化としてすっかり廃れてしまっていた。
今では知名度のある芸能人や有名素人がファン向けにやってるか、
まとめサイトとして存続している感じで、
私のような投げっぱなしのライトユーザーwは絶滅危惧種に相当する。
私はヤフーブログがサービスを開始した年からそこで乱筆を始めた。
ネット上に言葉を残したのもその時が初めてだ。
当初はアフィリエイトの副収入狙いだったが、
アクセスを増やすのが主目的になると
自分の言葉に嘘が入り込んでくる感じがあって
それが嫌でむしろ他人の声を聞かない
内向的で内省的な私文になっていった。
後で自分が読み返して懐かしがる回顧録になり、
私が死んだ後は生きていた証にでもなればいいかなぁ
と思っていたのだがそれすら無理になってしまい、
これまで生きてきた記録が無くなってしまうのが
とても残念に思えている。
ブログの引っ越しなんかもできるらしいので
なんとかしようとは思っている。
しかしこう流行り廃りを目の当たりにすると
時の流れの早さに私がついていけてないような
焦燥感を感じてしまう
実際に新しいサービスにはなかなか飛び付かず
比較的新しめだと思っているのはTwitterだが、
それだって2011年から使っていて
世間的にはもう少し早くに流行っていた。
私はずっと時代遅れな男だ。

時代と言えば日本では大きな節目を迎えている。
30年続いた“平成”という時代が終わろうとしている。
始まりは突然だった。
中3の3学期が始まった新年早々の土曜日。
高校の入学願書を学校で取りまとめて先生が提出するとかで、
持ってくるように言われたのだがすっかり忘れてしまい、
「学校終わったらすぐ走って取りに行け」と担任の大山に言われて、
3時間目が終わってからダッシュで帰宅し、
願書の入った封筒を持って家を出ようとしたが、
たまたま居間で母親がTVを見ていて
昭和天皇が亡くなったのを報じていた。
すごいことのように思って少し見入ってしまったのだが
そんなことしてる場合じゃないと思い直してすぐに家を出た。
しかし学校に着くともう他の先生が
願書を持っていってしまったそうで、
大山に「すぐ来いっていっただろ!もう無理だ!」
とかなんとか言われながら何十発も頭を拳骨で殴られた。
そのうち「俺の手が痛くなる」とか言い出して木の棒で殴り始めた。
痛いだけで何ともならないようだったので、
「じゃあもういいです」と言って帰ろうとしたら
大山は私の腕を掴んで「お前の人生はそんなに軽いもんなのか!」
とか尤もらしいことを言ってきた。
こういう論法が嫌いだ。支離滅裂で会話にならない。
それまでの持論を引っくり返して精神論みたいなこと言い出しても
「なるほど、そうか」と納得いく筈もない。
結局担任がバイクで願書を持っていってくれた。
とりまとめた願書を出し忘れる教師も時たま居るので
それよりも遥かに尽力してくれたのかもしれない。

だったら感謝しろってか?

従順な奴は勝手に感謝してくれ。
100発も殴られた挙げ句さらに頭を下げる気など毛頭ない。
このやり取りで学んだことも何もない。
100パーセント私が悪かったとしても
事実として今では怒りしか残ってない。
そんな嫌なことがあって私の平成時代の始まった。w
その頃は80年代後半で世の中的には
後年“バブル景気”と言われる好景気の時代で
ドラマやニュースなんかを通じてTVの中に映し出される世界は
豊かな生活をしている人たちで満ち溢れていた。
それに引き換え我が家は父親が働かず
母親が家計を支えて家事までやるという
普通なら離婚するような歪な関係を続ける愚鈍な両親が居て、
日本の経済成長とは殆ど接点を持たない貧困な家庭だった。
貧困さもだがそれ以上に愚鈍さに腹が立っていた私は
当時早く自立できる力を身につけて
早くその家から出ていきたい一心で居た。
しかし愚鈍な血は私にも色濃く受け継がれ、
他人に比べて地頭が悪くて、
新聞配達をして浪人までした挙げ句、
辛うじて八流大学に入るのがやっとだった。
しかもその年の年末には母親が
2年目の学費がすでに払えないとか言い出して
結局1年で辞めることになった。
金がなくて嫌な思いばかりしてきたが、
その時が一番腹が立った。
それからは職を転々として
何一つ身に付かず成りたかった者には成れず、
それで当然に豊かな生活にも手が届かず
大学を辞めた頃と大して変わらない貧しい暮らしで、
嫌な思いは今も続いている。
それでもまだ自分の明るい未来を諦めずに
難関資格の勉強なんかもして忙しい日々を生きている。
私にとっての“平成”はそんなふうに終わっていく。



【蛇足】
茨城で落武者に殺されたJDは自力で学費を何とかしようと
一生懸命なだけの頑張り屋さんだったんじゃないかと思っている。
それだけに残念な結果だった。