巷で問題になっているネット私刑をせず、悪質ユーザーを市民の力でなんとかするには…説得・矯正一択です。
ネット私刑をするような人たちは、ルールとマナーを振りかざす事もあるけれど…例えルールやマナーに問題があったとしても、私刑は許されない行為です。
私刑行為を正当化する為の理由づけとするなら、なおさら法治国家のルールを考慮すべきでしょう。

法治国家である以上、私刑は認められない。

どんな問題がある人間にでも、私刑や人権差別は認められない。

だから法治国家の環境では警察や法律に頼らず、市民の力で問題のある人間を何とかする方法は…たとえ不可能なように見えても、説得や矯正一択なんです。

そこで、生路からネットイナゴが振りかざすルール・マナーの弱点を解説し、そのルール・マナーを振りかざす事がどう問題なのか、どうすれば私刑にならずに悪質ユーザーの問題を解決へと導けるのか、生路から色々と提案したいと思います。

生路からの意見という事で、1つ。


キャラ厨の行為・理念・理論を正当化するのに必要な知識の属性は「キャラメイキング

彼が言うには『「キャラは良かったのにコイツらが駄目にした」という思想の持ち主は、その「コイツら」が表舞台からいなくなるまで迷惑行為を続けるでしょう』とのことですが…

『小説にせよアニメ、マンガにせよ、どれだけ立派な世界で素晴らしいシナリオを考えたとしても、 その中に生きるキャラクターが活き活きと呼吸していなければ途端に駄作の烙印を押されてしまう。 ある編集者が若手作家20人に「キャラとストーリーのどちらを重視するか」という質問をしたところ、12人がキャラ、6人がストーリーと答えた(残り2人はその他)。 結果、その後も現役を続けられたのは前者がほとんどであったという。つまりそれだけキャラクターというのは作品にとって重要な存在なのである。』
これが新生アニオタwikiの該当記事から一部の引用ですが、引用部分の記述が、その「コイツら」をキャラ厨が迷惑行為によって表舞台から追放することができる方法・路のヒントにもなっています
創作におけるキャラクターの重要性さえ知っていれば、迷惑行為によってその「コイツら」を表舞台から追放する事は不可能ではありません。

ちなみに、大人の事情を覆す手段としても…。
大人の事情というのはいかなる物事に対して常について回るものと言えるかもしれないが、「どうしてもやむを得ない理由で」とかならまだしも、中には“制作側および発信する側の勝手な都合”とも取れるような理屈でそれらの表現や内容が作り変えられたり差し替えられたりするケースも非常に多かったりする。 それにより表現や情報の意味が変わってしまったり、その作品内の一部あるいは全体の面白味さえも揺らいでしまったりする場合もある
この記述が迷惑行為による方法を含めて、大人の事情の介入を何とかしたい場合のヒントです。例えば、その結果、商業資産として通用しなくなるとか、それが原因で海賊版などの犯罪行為の温床になったりとかすれば基本その「大人」に勝ち目がない。
そのうえで迷惑行為を働く側がその辺りの事をきっちり勉強していた結果、表舞台からの追放は不可避だったケースも存在します。

《×》『いくらその人間に創作能力があったとしても“自分の好きなキャラに似せただけの「疑似キャラ」を作らせる”なんてのは根本的な解決案にはならないと思いますし、この記事でその事を書いた所で、そのキャラ厨がそれに倣って改善する保証も根拠もないかと。』という意見もあったが…

まず、キャラクターを産み出した作り手に対して敬意と感謝を払えない以上、「そのキャラが報われる理想の展開のif二次創作」か「自身の嗜好とする内容の完全な一次創作」のどちらかを作る事を進めるべきかと言うと、(どちらかと言えば)後者一択です。
「作り手にリスペクトを払えないのなら、二次創作をすべきではない」というのはちょっと違う気がします
ですが、この人々には、自分の趣向とする一次創作を作った方が、確実に自分が満足する結果を出せるのでは?とは思います。
作り手にリスペクトを払えない以上、かつてのお気に入りのキャラクターと同じ基本骨子に、自分好みの設定や容姿を混ぜ込み合わせて理想の形にしたキャラクターを新しく作り出して愛した方が都合が良いのではないのですか?(千寿ムラマサの作風と原理として同じ)
その代わり、姉さんの親友の受け売りですが、作品には作り手の人間性が出るので、リスペクトを払えない人間性の方が作る作品は、たぶん、大味になり過ぎて、どこまで周りに受けるかは保証できませんが。
…とキャラ厨さんたちには問いたいですね。
(この辺りが、「キャラ厨が作品を作るか、キャラ厨が求める表現だけで作品作ると大味になる」「似てるキャラでも満足できる」と考えている理由)

それと、姉の受け売りですが、「キャラ厨やリク乞食、悪質な撮り鉄みたいな、自分の趣味趣向や好き以外の世界を見ようとしない人ほど、自分と自分が求めるものや自分が見ている世界に関わる理不尽なしがらみのすべてを受けなくなる妥協案という甘い果実に簡単に食いつくもの」だそうです。
ただ、この言葉は「我儘や他人の迷惑が過ぎるような人には、質や出来とかオリジナルや本物とかに拘る必要なんかない」という意味合いもあっての発言で、「自分の事しか考えない分、自分や自分の満足の為に我慢・妥協する事は基本苦痛にならない」というロジックらしい。

キャラ厨の記事の『「作者が変な気出して贔屓しなかったら、あのキャラクターはラストで思い人と結ばれて幸せになれていたんだ!作者さえいなければ!」 
そもそも作品が生まれてなかったと思います。 
この怒りに、作者や作品へのリスペクトなど存在していない。作者のせいでキャラクターは幸せになれず、自分が満足できなかったという、まさに『行き場のない』怒りである』
…という記述は、裏を返せば…彼らが自分に満足のいく作品を新たに手に入れられなければ、迷惑行為をやめるようになることはまずないという事…。
それに、作者がいなければそもそも作品が生まれてなかった事実を捻じ曲げる方法が、実はアンチか、本気で好みに合わず苦手・嫌いな作品がある人以外の人には少し気付きにくいところにあります。
いくら再生数や販売数、売上などのカウントアップの数が多かったり、人気のある作品でも、合わない人には合わない」…この言葉にヒントがあると言えば解りますね?

キャラ厨の適性作品はこちらを参照

□この人々に関する注意事項
生路の絶版嫌いの重傷加減」でその具体的な方法を説明したが、メガネっ娘が突如としてメガネを捨てる、髪が長かったキャラが断髪、ロリショタが成長等、意図的にキャラ属性を崩されてしまうのを嫌がる人は、「人の振り見て我が振り直せ」「好きこそものの上手なれ」で自分が好んだキャラ属性の作画や活用の技術・画力を大幅にレベルアップさせてくる。
例えば、断髪を嫌がった長髪が好きって人なら髪の作画技術はもちろん、「髪を結ぶ事でヘアスタイルをアレンジできる」「現実ではありえないような髪の長さでも二次元なら余裕」といった、ロングヘアの利点をフル活用する技術すらをも余裕で身に着けられます。
引き出しが少なくても創作の道に来る前からの自分の趣味趣向を使い込む事でストーリーもキャラクターも読者を大きく引き付ける創作スタイルを確立する事も、モドキキャラでもオリジナルでも、既存品を骨組にレベルアップさせる事も、この人々なら余裕ですよ。

『◎』これらを纏めると…私刑にならずにキャラ厨を何とかする方法は「ベストマッチ!
…1つの作品が全ての人に好まれるのは無理…だけれど、全ての人が自分の好む作品と巡り合えるようにするのは可能!
オリジナリティも、流行も、プロとして通用する技術・知識の量かどうかも問わず、今以上に沢山の物が作られ過ぎるぐらいして、市場(販売物だけでなくアップロード作品・無償媒介・PDを含)が提供する作品の引き出しが増やせば、検索を使うなどで別の作品に移るという選択を提示する説得も、説得力が上がるけれど…。
やはり、この手の人々は、オリジナリティも、流行も、度外視したうえで、自力で自分が満足できる、自分にベストマッチな理想的な作品を作らない限り、「作者あってこその作品」「作り手がいなければ、キャラクターも生まれなかった、元がなければ「if」も存在しない」という事を理解できないと思う。参考
この手の人々には他人のせいにするなとは言わない。他人を批判するなとは言わない。だが、過去よりも、今、目の前のことを変えようとするという選択肢…つまり、自力で理想的な作品を拵えるという選択肢を提示するのが必要だと思う。
自分が満足できなかった、自分が満足できる作品が必要!って考えが彼らの本質な訳なんだから、ベストマッチな作品と会えれば(当人が自分で作る含)そのうちに迷惑行為をやめていくのでは?と生路は思います。
この人々を本気で何とかしたいと思うのであれば、やはりオリジナリティや流行の事を忘れて、ムラマサ先生みたいに「自分が満足できる作品が無いから自分で作る」クロスハンターみたいな作品を元手に「先人の悪い点を反面教師にする」という創作文化にしていかざるを得なくなる。

そして、それらの手段…つまり…
1つ!「人気・流行の面で優れた作品より、自分と相性100%の作品を選ぶ」
2つ!「質・出来・オリジナル・本物・公式に拘る事をやめると、大人の事情が介在できなくなる」
3つ!「自分が満足できる作品が今後も存在しないという最悪の事態だけでも回避する」
という3つの選択肢を提示しなければこの手の人々は減らないと生路は思います。

最後に、あえて生路から、キャラ厨の類に厳しい言葉をなげかけるならば、
「自力で作品を作る以外には、あなたの望みは叶わない。あなたが満足できなかったことに関して、作者やキャラクターにはあなたに自分で理想的な作品を作ってもらう以外にはどうする事もできない。」
「キャラクターを産み出した作者に敬意・感謝を払えない以上、自分の趣向とする一次創作の為に、かつてのお気に入りのキャラクターと同じ基本骨子に、自分の好みを混ぜ込み合わせて理想の形にしたキャラクターを新しく作り出して愛した方が都合が良いのではないのですか?」
「他の作り手にリスペクトを払えない人間性の方が作る作品は、たぶん、大味になり過ぎて、どこまで周りに受けるかは保証できない。」

という事です。