三番目の否認 | 断酒てへ日常

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断酒を続けること、そのために断酒例会に毎日出席を続ける日々

 アルコール依存症は否認の病気と言われます。否認してもいいことは無いはずですが、否認があるのです。

 

 第1の否認:はたから見ても、症状を観察しても、その人がアルコール依存症なのに当人は私はあ依存症ではありません。大酒吞みなだけです。と言うのです。自分はアル中、またはアルコール依存症などと言う人聞きの悪い病気であることは絶対に認めることはできない。断酒なんてもってのほかだという事でしょう。でも病気は病気です。自ら認めて断酒を決意しないと、まともな生活に戻れないのです。とにかくこの否認は治療の妨げになります。

 

 第2の否認:酒は止めただから自分にはもはや問題はない、とするものです。酒は止めても、酔っ払い時代の認識の歪がなくなるわけではありません。過去の酒害を反省して、それを改めようとして初めて、真人間に戻れるのです。

 

 もう一つの否認:社会の否認と言うkか政治的否認とでもいうのでしょうか。この国、あるいはこの地方には酒による問題はありません、そう言う酢h長があるのです。実際ある市に断酒会が立ち上がりました。その時そこのある市会議員が我が市にはアルコール依存症は一人もいません。なんてことを宣ったそうです。

 

 アルコール健康障害対策基本法以前の事ではありますが、しかし「この美しい日本」にはアルコール依存症などと言うおぞましい病気は無いなどと言う政治家はいそうです。統計的にも人口の1%ほどはアルコール依存症ですから人口10万という都市があればそこには1000人くらいはアルコール依存症がいるはずです。

 この病気はそんなに珍しい病気ではないし、それと同時に社会に少なからぬ損失を与えるものです。ですから社会として、その対策を講じるべきなのです。

 にもかかわらず、イメージが悪いというような観点で、その存在を否定する人がいます。

 この否定は社会として、アルコール問題への対策を取ることの妨げになります。現実に、基本法ができても、健康問題として酒を規制する流れはどこにもありません。

 


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