ある人の体験談ですが、一時期例会に不信感を持っていた。体験談を聞いても自分に役に立たないし、司会者の手際の悪さで、時間配分も悪い。体験談を聞いているだけでイライラしてくる。それで、だんだん例会に遠ざかって、その結果スリップしてしまうことになった。というのです。
大体人の体験談が直接役に立つことはまありません。また理想的な解の流れなんてむしろ珍しいくらいです。にもかかわらず、例会は価値があります。どうあっても例会に出続けることにこそ意味があります。周りがみんな断酒しようという意識が高い人ばかりです。否応なく断酒意欲が高まります。ゴールデンタイムを悶々と過ごすのではなく、例会に出ていることは直接的に酒から遠ざかることになります。そも、家に閉じこもらずに例会に出ていることすら一人になることを避ける意味があります。
何はともあれ、例会に出ること。それが大きな意味がるのです。
かつては、何人も連れ立って、朋友の例会に出席するということがよく行われました。また、熱心な人が断酒初心者を例会に連れて回るということもよく見られたものです。このようなことで、ちょっと気が乗らないという場合でも、仲間や先輩の誘いで厭々でも例会に出たものですが、最近は誘う人も少なくなって、いやいやだけどとか何となく例会に出るということがなくなり、それだけ「例会に出ること」そのものの効果も薄れてきているのです。
新入会員も減っている現状で、断酒初心者を連れて回る人たちも見られなくなったのかとも思われますが、連れて回る方の人たちもいなくなってきているのが現状ではと思います。
日本の農村的な、周りに合わせて行動するとか、だれかの声掛けに従うといった行動様式が、都会化でだんだん薄れてきた。率先して新人を連れて回る人がいなくなった、と言ったことになってきているのが断酒会ではと思えるのです。
日本の村的行動様式が薄れてきたということはあと、終身雇用の崩壊による帰属意識がなくなってきている、=会に入らないという面でも表れてくるのです。
日本の農村的人間関係が、都会的人間関係に移ってきたというところが、断酒会の衰退の根本だというのが私の感じるところなのです。