ディープインパクト

父:サンデーサイレンス

母:ウインドインハーヘア

母の父:アルザオ

14戦12勝-3着失格(凱旋門賞)

 

今日、「ディープインパクト安楽死」のニュースを見て「え!うそ!?」としか言葉は出なかった。

この馬の凄さを僕なりにこのブログを読んでくださっている方もいるということなどで書こうと思いました。

素直な気持ちとして「悲しい」という気持ちが時間が経つにつれ大きくなってきま。

 

サラブレッドは血脈、血統の馬である。

そして、牧場などで純真に交尾をし生まれた仔は父親がわからないため出走することはできない。

 

私はテンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスの時代から見ている。

素直に馬の勝負が好きで見ていた。

好きだった。

昭和52年の同級生の馬で3強と言われていた。

奇しくもテンポイントはレース中に故障、安楽死という生涯だった。

 

ノーザンテーストという馬がリーディングサイヤー10年という記録が続いたが、僕の印象として産駒はあまりパッとしない印象が強い。

平均的に勝つがGⅠ馬は少ないイメージです。

サラブレッドは母の父の血脈が重要だと言われてた時代。

 

1990年代に入り外国産種牡馬がどんどん入って来た。

1991年のトニービン、ブライアンズタイムが入って来た。驚いたのはアメリカの種牡馬が入って来た、アメリカのレースは基本的にダート(砂)だからです。欧州は芝なので。

ブライアンズタイム代表産駒はナリタブライアン(3冠馬)、マヤノトップガン

トニービン代表産駒ウイニングチケット、エアグルーヴ(史上最強の牝馬だと思っています)、ジャングルポケット

 

そして翌年、日本競馬界の血脈を塗り替えてしまい、いい繁殖牝馬を見つけるのが大変な状態となる。

その馬の名はサンデーサイレンス!!

代表産駒はスペシャルウィーク、フジキセキ、タヤスツヨシ、ジェニュイン、ダンスパートナー,ダンスインザダーク、マーベラスサンデー、ディープインパクトと名前を上げきれない。繁殖牝馬に困るというのはサンデー産駒の種牡馬、繁殖牝馬ばかりになり近親配合となり爆発的な馬も生まれるケースもあるが貧弱な馬が多い。インブリード配合という。ちなみにどちらかの祖父とどちらかの曾祖父が同じな場合。祖父、曾祖父の3X4の配合でインブリードの3X4という。

 

サンデーサイレンスは毎年のようにGⅠ馬をだす(これだけでもすごいこともののです)。しかし、3冠馬を出していない長距離はダメなんだろうと囁かれて久しく、そこに新馬戦、若駒ステークスを桁違いの末脚(最後の全力疾走と思って頂ければ)見て「ダービー馬みっけ」と思いました。

「こいつ三つ獲るよ」と友人と話したのを覚えている。

 

皐月賞を勝ち、東京優駿(日本ダービー)は他の馬は関係ないという風に大外に持ち出し一頭だけで走り抜け快勝、菊花賞、サンデーサイレンス産駒に危惧されていた長距離3000m、武豊の追い出しが遅れ、一瞬、冷っとしたものの3冠達成!

 

【第72回日本ダービー】

 

僕の中にはある言葉を出すのを控えていた。

 

年が明け阪神大賞典を経て天皇賞・春

感想「化け物やん!」

あの位置で先頭に立つと普通ゴール前は全ての馬という馬に差されていく。

1995年だっただろうか、ライスシャワーが同じ戦法を取り辛うじてステージチャンプに差される寸前の逃げ切り。

ただ、ディープインパクトは出遅れた上に3コーナーで「どけ!どけ!どけ!」と我慢できず先頭に立つ。

直線向いたらどうなるのか?引き離し圧勝した。

 

「史上最強馬決定!」

なぜか?史上最強馬というすごい称号を早くからメディアは口に出す人が多かった。

僕が控えていたのは皇帝シンボリルドルフの存在だった。

16戦13勝2着1回3着1回海外6着

ルドルフも無傷の3冠馬というのがこころに残ってて、圧勝する馬じゃなかったが、きっちり無駄な力を使わず勝つ馬だった。

もういいだろうと判断しました。

 

 

残りのレースは割愛します。

ただ、凱旋門賞は勝てたと思います。

・ステップレースを走らなかったこと。

・武豊の追い出しが早かったこと。

タラればはないんですけどね。

 

一レース一レースに想いが強く、僕が久しぶりに馬を追った競走馬でした。

彼の最後のレースの新聞はまだ実家にあります。

僕の中で450㎏を切る馬はダービーは獲れないという鉄則を持っていました。

アドマイヤベガが450kgだったと思います。

成長段階の高校生のように何か成長要因があるんだろうと仮定していました。

ディープインパクト日本ダービーは448㎏でした。

かれはあっさり破り去りました

 

くしくも先週、7月26日(金)ディープインパクトのお母さんウインドインハーヘアと写真を撮って喜んでました。

怪我で今年は種付けを控えていたのでディープのいる社台は行きませんでした。

行ってれば丁度10年ぶりでした。。

 

正直、彼が引退してから、競馬はしても馬の名前が大して記憶に残らなかった。

 

 

さようならディープインパクト

ありがとうディープインパクト