終戦記念日、他の言葉に変えられないものか?

 

靖國神社へ参拝し、遊就館を見学すると、とても戦争を煽ったり、極端な右傾化など微塵も感じられない。

 

事実を事実として展示されている。

 

1945年(昭和20年)、玉音放送の下、泣きながら跪き泣き伏した。

73年後、元号も令和に変わったにも関わらず、象徴天皇も内閣総理大臣も参拝できない。

おかしな国だと思う。

大東亜戦争と呼ぶことも何気に控えてきた気がする。

自然と太平洋戦争とう呼称で呼んできた気がする。

また、日教組が強い時代であった、時のも時代背景にあった気もする、

日本軍=悪いことをしたという誤った教育を刷り込まれてきたと気づくのに数年。



私自身、全く侵略の意図がなかったとは思わない。

でも、そのためだけに戦争に踏み切ったわけではないと思っている。



私は知人のお父様、最後の特攻兵だがベトナムで終戦を迎えたみたいです。

「喜んでたよ。日本人が来てくれてヨーロッパから解放してくれたって」と。



ここ十数年、どんどんアジア解放をして現地の人に喜ばれていた事実がネットが普及し隠せなくなったのは否めない。

中国は人民服を着ていたが、いつスーツになったのか忘れていた。

韓国に至っては「光復節」なるものを設け、日本に勝った日になっているがとんでもない。

彼らは当時、日本人として戦ったではないか。彼らは「どこの国と一緒にいれば安全でいられるか?」と考え、日本人の胸に飛び込んだじゃないか?日本が侵略したわけではなく併合という形で。



基本的に戦争とは軍人同士の戦いだ。

民間人は関係ない。

東京大空襲、原爆投下が軍人と民間の区別がつくはずはずがない。

これは大量殺戮、ジェノサイドだ、

1億総玉砕を日本人がやったか?僕はやり遂げたかもしれないと思う。それが日本人という民族の特性だと思ってる。

戦勝国が敗戦国を裁く東京裁判。ありえない。

有り難くもA級、B級などに分けて・・・。

荒木貞夫
板垣征四郎
梅津美治郎
大川周明
大島浩
岡敬純
賀屋興宣
木戸幸一
木村兵太郎
小磯國昭
佐藤賢了
重光葵
嶋田繁太郎
白鳥敏夫
鈴木貞一
東郷茂徳
東條英機
土肥原賢二
永野修身
橋本欣五郎
畑俊六
平沼騏一郎
広田弘毅
星野直樹
松井石根
松岡洋右
南次郎
武藤章


従軍慰安婦というありがたくなお汚名までもらって。

朝日新聞という新聞、吉田証言。

報道の自由はあっていいと思う。戦前、戦争を煽り、負けたら「民主主義」に大称賛!!

知覧の飛び散った若者の達筆な手紙をみて、そういう捏造記事が書けるのか!?



もう、アメリカ、中国に堂々とものが言えるリーダーは急務だ。

自国の神社に自由に参拝する日が来ることを祈念する。



今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。


問題は今後にあるのだから。


常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない。

「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。

「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

 穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

(中略)

智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

 

 

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