独り言。

 

夕べ送ったメルマガには、

 

「批判ではなくて、感謝や思いやりで

この難局を乗り切れますように」

って書いた。

 

感謝や思いやりの相手は、

コロナ感染拡大を食い止めようと

必死で仕事をしておられる方々。

 

政府関係の遠い存在の人から、

いちばん身近な夫まで、

わたしは感謝の気持ちを忘れないでいたい

という思い。

 

でも、感謝とは正反対に、

怒りがわいてくる人たちもいる。

 

 

 

コロナ不安が起こって、つくづく感じるのは

「分別ある行動ができる」

ということがいかに重要か、ということ。

 

周りがどういう状況なのかを冷静に見て

自分はどうすべきかを考える。

 

当たり前のことなんだけど、

「人として分別ある行動をする」というのは

意外に難しいことなのかな、

と最近のニュースを見てたら思う。

 

「まっ、大丈夫でしょ~」と根拠のない自信で

その後の思考をストップさせ、

目の前の娯楽を我慢できなくて、

やっちゃえ!って遊んでしまう。

 

その直前でストップをかけられるかどうかは、

どれだけ頭脳明晰で学歴優秀か、

じゃなくて

その人の人格によるもの

とわたしは思っている。

 

子育てや教育で「人を育てる」ことは、

「その人の心を育てる」ことに他ならないと思う。

 

知識や学力なんて、

その次でいいはずなんだよね。

 

頭脳明晰で学業優秀な人の中にも、

もちろん人としてすんばらしい人もたくさんいるけど、

報道を見てると、

知識偏重の学歴主義が

一部の人には災いしてるとしか思えない。

 

いわゆるエリートを目指す中で

「あなたは勉強をがんばっていればいいのよ」

的な言葉をかけられ、

勉強だけをがんばって、

気持ちや心の状態に鈍感になってしまい、

 

さらに勉強で結果を残してきた人は

「勉強ができるのだから許される」みたいな感覚が

「無意識」に定着してしまったんじゃないかとさえ思う。

 

でなきゃ、

お医者さんがコロナ感染のまっただ中に

懇親会なんてやらないでしょ。

しかも口裏合わせまでして。

 

なんでそんな無分別極まりない行動ができるの?

 

すべてが学歴主義のせいとは言わないけど、

その影響は大きいと思う。

 

エリートになるってことは

激しい競争を勝ち続けるってことだもんね。

 

それは、人を意識して

人より上に上がり続けなければいけないということ。

 

そのプロセスで掛けられる言葉は、

「がんばれ」とか「こんなことでどうする!」

みたいな言葉が多いんじゃないかな。

 

ほめるときだって

「今回はがんばったね、次はもっと!」とか、

「この調子で」にしても、

次下がったらダメだ、というプレッシャーがついて回る。

 

子どもが自らの意思で

その道を頑張っているならばいいけど、

頑張らせているのならば、問題だよね。

 

そんなので人を思いやったり

感謝する心が育つとは思えないし、

そうした感情をベースにした

想像力も育たないだろうから。

 

これだけ世界規模で不安をまき散らすコロナが起きていて、

リモートワークだのリモート授業だのと

大きな変化が起きつつある。

 

そういうハード面の変化に加えて、

もっと根本的な

「子どもの本心を見極めて尊重する目」も、

社会全体に生まれてほしいと強く思う。

 

 

 

 

 

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(左)『やさしいママになりたい!ギノット先生の子育て講座』(筑摩書房)
(右)『子どもを上手に叱っていますか?幸せな親子関係をつくるコツ教えます』(同上)