7月から文章講座に通っていて、「生きること」についてコラムを書くという宿題が出た。

自分の中のモヤモヤがクリアになったので、手を加えてしてブログにアップ。

 

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40代半ばを過ぎたころ、いろんな立場での人間関係でなんとなく苦しさを感じ始め、心理学の本を読んだり講座を受講したりした。

 

自分を責めたり怒りを感じたりするのは、不要な思い込みに縛られているからだと知り、とても驚いた。

 

わたしの心の中に、「自分は妻、母、長女、起業を目指す女性として、こうあるべきだ」「こうすべきだ」と言う思い込みや、「こうであってはいけない」という思い込みがたくさん根付いているらしい。


よくある「妻として、家事はしっかりとやるべきだ」とか「ろくに稼いでないのだから、自分の好きなことにお金を使ってはいけない」という思い込みは、わたしにもあった。

 

こんな思い込みは、「いつの話?時代錯誤も甚だしい」と笑いたくなるが、これが無意識にあるぼんやりした感覚で、当たり前に心に存在し、もう心の一部のようになっているものだと、そうはいかない。

 

「家事を完璧になんてできないし、やらなくていい」「散財しなければ、自分の好きなことにお金を使っていい」と頭で思おうとしても、なんとなく後ろめたさが残ったり、心のモヤモヤを感じたりする。

 

頭で納得して自分にOKを出してやろうと、ムキになっている自分を感じることもある。

 

こういうモヤモヤから解き放たれるには、自分をがんじがらめにしている「すべきだ」「してはならない」という思い込みを全部なくしてしまうのがよいのだろう、と思った。

 

だから心がチクッとしたりザワッとしたりして、なにかを感じたときは、それに気づいてじっと観察するようにしている。

 

今、落ち着かない気持ちがするのはなぜだろう。

何に反応してるのだろう。

今自分が感じているのは、どんな気持ちなのだろう。

辛いのか、悲しいのか。腹立たしいのか、焦っているのか。

なぜそんな風に感じるのか。

子ども時代の、何が影響しているのだろう。

 

そんなふうに、気づいた瞬間を大切に扱って自分の心を見つめている。

自分を苦しめる思い込みを発見したら、「これは思い込みだ」「自分で勝手にそう思ってるだけ」と自分に言って、緩めるよう意識している。

 

そうしていくうちに、何重にも重なった「思い込み」が剥がれていき、いつか、「ほんとうの自分」、生育歴や社会通念に色づけられていない自分に、たどり着くんじゃないかと思っている。

 

いや、たどり着けたらいいなと思っている。