生と死の輪廻 | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

先週の話。

9/8(火)
次男のところに二人目の子どもが産まれました。
女の子です。
姉妹になりました。

予定帝王切開だったので、前日の月曜日から、我が家で上の子をお預かり。

次の日、9/9(水)夜
主人の母が亡くなりました。
特養に入所して、12年。
83歳で、最期は病院で亡くなりました。

通夜が金曜日になったので、朝から次男と孫を連れて主人の実家のある京都へ。

土曜日の告別式を終え、日曜日の朝、自宅に戻ってきました。

疲れ果てた一週間でした。

昨日、次男のお嫁さんが無事退院したので、ようやく今日は一人でゆっくりできました。

生と死について、考えさせられた一週間でもありました。

生まれる命があれば、消えていく命もある。

元気な産声を上げ、生まれてきた孫。

そして、そっと息を引き取った義母。

命のバトンが引き継がれたのかなぁ。
  
義母の葬儀中、義兄に涙はありませんでした。

田舎の長男でずっと実親と同居して、嫁と母の間でいろいろ大変な思いをして、義母が要介護状態になるや、すぐに特養に入所させたことを、親族になじられたこともあった義兄。

それでも、その後も施設に面会に行ったり、ずっと介護に携わってきた義兄。

年金だけでは足りない施設費用を、負担していたのも義兄。

私たち、離れて暮らす弟夫婦には、義母が亡くなるまで、そんなこと全く言わなかった。

葬儀を終えた義兄の顔には、安堵感が滲み出ていました。

お兄ちゃん、本当にいままでお疲れ様でした。

一方、次男の我が夫。

単身赴任先で、母の死の一報を兄から聞き、大泣きしながら私に電話をしてきました。

ある意味、そんな風に素直に悲しむことができるっていいな、と思いました。

きっとその頃義兄は、葬儀屋に電話したり、葬儀の段取りを決めたり、親族に連絡したり、目まぐるしいほど忙しかったと思います。

私が、じーじが亡くなった時、そうだったので。

泣くことも、悲しむ暇も無い感じでした。

親の「生」に責任が無い子どもが、悲しみに浸ることができ、主介護者として、親の「生」を支えてきた子どもは、泣く暇もないなんて。

我が家のばーばは、まだ特養で生きてるはずです。

もう、2か月ほど面会できていませんが。

いつになったら、今までのように面会できるんだろう。

もう、自由に面会できる日は来ないのかも。








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