以前、Twitterでも書いたけど、私の好みで、家で食べるパンはエインコーン小麦やスペルト小麦という小麦の原種を使っているのだけど、こねるのに大変でめちゃ重い。


今の小麦はほとんどが品種改良されている事はよく知られていると思う。


《小麦が重くて扱いにくい(不便)》

     ⬇︎ショートカット[品種改良]

《小麦が軽くて扱いやすい(便利)》



こねやすいように軽くしていたり、膨らみやすいようにしていたり。


でも、せっかく重いパンをわざわざ使っているのだけど、やっぱり小麦が重いばかりに、こねてるうちに疲れて軽くなったらいいのになあ、とか単純作業にしたいという気持ちが私にはやっぱりどこかにあって、パンをこねる時にショートカットしてしまい情報処理して間違っちゃう事がある(炭素余剰)。


ブログのタイトルのように「重さ」には、小麦粉の重量の「重さ」と、小麦をこねる時の「重さ」があるわけだけどそれについて書いてみる。



一般的な、小麦粉(対象)と人間(私、観測者)の直接的な関係を考える場合。

これは、小麦粉の重量や質量のことを言う。

小麦を10kg買うとか、それを持ち上げた時の重さとか、体重の重さの40kgとか、

「私が」重いと感じている時の重さというのは、重力に対して反発する重さのことで、これが重量。

2種類の小麦があって、それをハカリで比較して、どちらが軽いとか重いとかいう重さの単位は質量。


でも、その「私が」重いと感じる重量や質量の重さとは別に、小麦粉が意志(かつて押し上げた記憶)をもって、「小麦粉さんが」重い!と感じている「重さ」もあって、これは「私が」重いと感じる以前の起源の重さのこと。

ここでいう「重さ」が、小麦の重量とは関係のない、こねる時の「重さ」。


原種のタネ(粉になっていても)は、かなり地球の記憶に近いから、落ちる重力の悲しみを引っ張ったり、押し上げたりして踏ん張っているアマの記憶の再現があって、小麦粉さんはカムさんの事を重く感じ、カムの重い悲しみを自分も感じて押し上げようと悲しんでたり、引っ張り上げれて嬉しく感じてたりしているアマ側の重さの記憶を持っている。それを人間に邪魔されないように毒を持っているものも沢山ある。



一見、小麦粉(対象)と人間(観測者)の私の直接の関係であるように思えるのだけど、それはショートカットしてしまっているからで、実際はそれ以前に、小麦粉さんがカムさんを押し上げている記憶があって、その最中に、人間の私が横からパンを作ろうとしてこねようとしてるわけだから、小麦のタネが重いカムを押し上げた重さがなかなか動かなくて、こねれなくて私は重く感じているという事。



小麦粉(対象)を人間(観測者)の私がこねる

➡︎重量・質量の「重さ」


⭕️《小麦粉(アマ)と空間(カム)の双子関係》を人間(観測者)の私が横から入って小麦粉をこねる

➡︎落ちる・押し上げるの重さ



私がよく間違えるのはこのことで、小麦粉(押し上げる)と空間(落ちる)が双子関係であることをショートカットしていて、観測してる側の私は「私(観測者)が小麦(対象)をこねている」のだと錯覚して感じてしまう。

こう感じている時は、地球外から観測してしまっているから、重力がない世界でも重さが感じられるように自分でしてしまっているということ。






現代の品種改良された小麦は、落ちる重力の方か、アマ側の押し上げる重さを、ショートカットして抜いて、人間と小麦の直接的な関係のように見せかけているために、こねやすくなっていて、小麦の種や粉自体が重力を感じていなかったり、押し上げてない小麦が多いが、ハーブの種なんかは、種子の時から匂いがしてるものもあるけど、それはすでに種の時から落ちる重力を、種の中心から押し上げているから匂いが周りに放出してる。

人間が横から観測してる種の重量自体は軽いのだけど、タネ自身が感じている落ちる・押し上げるの記憶はすごく重く感じている。



例えば、体重からすると軽い子供のアマがいたとする。大人に比べて重量が軽い。

でも、カムの重い悲しみを押し上げている記憶があって、何かの元素の記憶が欠けてないとする。

そうすると、子供だから体重の重量自体は軽くても、ものすごく押し上げる踏ん張りが凄いから大人が押しても引いても動かなそうな重い感覚があって、心も悲しみを押し上げているから、ずっしり重く感じる。



よく草でも全く抜けないのがあったりするけど、それは根が強く張ってたり(根が張るという感覚は地球から離れて横に広がっていくものだと思っているから起こる感覚)とか、草自体の重量が重いのではなくて、落ちる根っこの下から内アマが押し上げているから重くて抜けない、そういう感覚も同じ。

重量の重い人間の作ったビルは軸があって地震に対して脆いのは、地球の重さの感覚とは違うもので支えようとしているから。でも、植物自体は地震と同じ押し上げの記憶で発生しているから、地震と同じ重さの記憶をもってる。



逆に、もしアマ側の体でいうと、重力をそらしているか、重力に反発していると、体の内部からの押し上げを感じれないので、心もどこかふわふわしていたりとか、体に軸を感じてたりとか、アマ側の体の起源は爆発力なのに、それ自体が欠けているということになる。

そうした場合には、引っ張り上げ、押し上げて歩くのではなく、それを補おうとするショートカットの連続で、引きずったような歩き方になったり、面をすべって歩いている感覚が表れてきてしまう。

地球はアマの押し上げでトゲトゲなのに、足の裏まで面だと感じているということ。


●重力に反発する事から発生した重さ(重量:体重など)

●敷地に乗ってる事から発生した重さ(質量:物質の重さなど)


この2つの重さは、重力が起源ではないのだけど、人間の観測からは重力によるものだと思ってしまって、その結果、地球を面だという感覚を「私自身で」ショートカットして作ってしまい、その面に対して、さらに面で転がる足のタイヤという感覚を作ることで、車の足と同一化する感覚となる(押し上げのショートカット)。